第16話 二日目ー岩屋城南側②
「伊集院様ーー!」
本陣の兵士が伊集院忠棟の指示に従い動き始めた時、兵士が大声で伊集院忠棟の名前を呼びながら本陣に駆け込んできた。
「ここじゃ!」
伊集院忠棟がすぐに返事をすると、その兵士は伊集院忠棟の元に駆け寄り、片膝をついて叫ぶ。
「前線に敵将、紹運が出ました!火車に混乱している隙を突いてこちらに向かっております!」
「なんじゃと!」
伊集院忠棟も報告を受けて思わず叫んだ。紹運の恐ろしさは昨日まざまざと見せつけられている。
「くっ・・本陣を移動する!後ろに一町(110メートル)下がって陣を立て直す!皆に伝えよ」
伊集院忠棟はすぐさま決断した。この状況では一瞬の迷いが致命傷になりかねない。
「ははっ」
伊集院忠棟は忸怩たる思いだった。兵数では圧倒的に勝っていながら、昨日も今日も後手に回っている。
しかしそこは歴戦の武将である。すぐさま次に向けて手を打つ。
ここで紹運を討ち取れば、一気に岩屋城を落城させる事が出来る。
そもそも総大将たる紹運がこうも前線に出てきていること自体、城方の先行きの不安さの現れだ。伊集院忠棟はそう考えて、ここで紹運を討ち取るために陣を立て直す事にした。
「弓を構えよ!儂が号令するまで放つな!槍隊は弓兵の後ろで待機じゃ!」
伊集院忠棟は手が空いている者を引き連れて素早く陣を後方に移すと、火薬箱の避難で混乱している鉄砲隊は諦めて、弓兵と槍兵を三百人ずつ岩屋城に向かって平行に並ばせた。
「紹運はどこじゃ!」
隊列が揃ったのを見て、伊集院忠棟が問いかける。紹運は火車の混乱に乗じて伊集院忠棟を狙うと思ったが、未だに本陣にはその姿が見えなかった。
「物見して参ります!」
側近はそう言うと前線に駆け出した。前線でも火車による混乱は収まりつつあるはずだった。
「妙ですな」
伊集院忠棟の側に仕える、植田康正が声を出す。どうやら気になる事があるようだ。
「何がじゃ?」
「紹運にござる。てっきり殿を狙って来るかと思いましたが」
「うむ。儂もそう思って陣を下げたのじゃ。あのままでは混乱に乗じられる」
「はい。そのための火車かと思ったのでござるが・・・」
「そうじゃろう。火車は場を混乱させるのには向いているが、大きな被害は出ないからな」
「その通りでござる。驚きはしますが、落ち着いて対処出来れば混乱も収まりまする。それなのに・・」
「む?」
「今だ前線から兵どもが混乱しておる声が聞こえまする。もしかして紹運は前線の兵士を狙っておるのでは?」
その意見に伊集院忠棟は眉をひそめた。確かに、なぜか前線ではまだ混乱は収まっていないようだ。
しかし元から圧倒的に兵力の差があるこの戦い。守る城方としては、立てこもって味方の被害を減らしながら、相手が厭戦気分になるほどの抵抗を見せるか、もしくは乾坤一擲、敵将を討ち取るしかないはずだ。
敵将はおおよそ陣の奥にいる。そこまでたどり着くために、紹運は火車という手間が掛かる物まで作って相手を混乱させた。後は自ら突撃をしてくるはずだ。それなのに・・
「前線に向かいますか?」
返事をしない伊集院忠棟に、康正は進言をする。確かにここに紹運が来ないのでは、構えている意味が無い。
「ううむ・・物見が帰るのを待つ」
しかし伊集院忠棟は決断を遅らせた。紹運の狙いが分からなかったからだ。
そしてその決断が、伊集院忠棟の命を救うことになる。
「殿、物見が帰って来ましたぞ」
伊集院忠棟が陣の後方で手持ちの刀をしごいていると、転がるようにして伊集院忠棟の前に物見が姿を現した。
「どうなっておる?前線は」
伊集院忠棟がすぐさま刀を鞘に収めて問いただす。すると兵は大いに慌てた様子で報告を始めた。
「大変でございます。前線では左右から紹運が現れ、まとまりを取り戻そうとしている部隊を狙って強襲をかけております!未だ火車もあり、中々統制が取れず、反撃出来ておりませぬ」
「ま、まて、左右から紹運が現れたと言ったか?」
物見の報告に驚いた伊集院忠棟はそう問い返す。
「はっ。面頬を付けて、紹運見参!と名乗りながら暴れ回っておる武者が、左右におりまする」
「影武者まで使いおるか・・」
伊集院忠棟は報告を聞くと、苦々しげに唸る。
顔を覆う面頬を付けていれば、味方でも誰かわかりにくい。敵なら尚更だ。
「殿、前線に押し出しましょうぞ!」
隣で同じく報告を聞いた康正が再度進言する。
このままでは立て直しに時間がかかる。何より、前線がやられているのに本陣だけ後ろに下がっていては、全体の士気にすら響きかねない。
「ううむ・・」
しかし伊集院忠棟は尚も躊躇する。確かに、今本陣ごと前線に向かえば、影武者も紹運も追い返せるだろう。しかし紹運ともあろう者が、そのことをわかっていないとは思えなかった。
「殿!」
歯切れが悪い伊集院忠棟に、康正が業を煮やして叫ぶ。これほど迷う伊集院忠棟は珍しい。しかし戦場は待ってくれない。必然、声も大きくなった。
そして煮え切らない態度を取っていた伊集院忠棟は康正にせかされて、兵を分けて向かわせる事にした。
「では康正、お主が弓兵と槍兵それぞれ百を率いて向かえ。その上で前線の兵を纏めてどちらか一方の紹運を討ち取って参れ」
「ははっ」
伊集院忠棟の命令に従い、康正はすぐさま合計二百を率いて前線に向かう。
「殿、なぜもう片方の紹運に本陣を動かさないので?」
物見から帰ってきた側近が不思議そうに尋ねる。
それに対し、伊集院忠棟ははっきりとした答えを持っていなかった。しかし、歴戦の武将として、理屈では無く直感で動いた為に生き残ってきた経験がある。
今回、後方に下げた陣から動かなかったのは、正に理屈では無く直感だった。
「ドドドドドド」
康正が前線に向かうのを見送るのと、後方に下げた陣の、更に後方から足音が聞こえてくるのとがほぼ同時だった。
天幕を張っていないため、振り返れば何が近づいてきているのか直ぐ分かる。だからこそ、伊集院忠棟は振り向いた直後に目を見開いた。
「成程な・・・」
胃がせり上がり、口から出そうになるのを、どうにか無理矢理押さえ込んで呟く。
「殿!高橋勢です!」
伊集院忠棟と同時に振り返った側近は、顔面を蒼白にして叫ぶ。その目の先には、なぜか秋月種実の陣の方角から疾駆してやってくる黒い鎧の集団が見えていた。
「落ち着いて方向を変えよ!」
伊集院忠棟は大声で陣替えを命令する。
方向的には一八〇度の方向転換だ。落ち着いていれば、時間は掛からない。しかし、迫る高橋兵との距離は、既に二町(約220メートル)を切っていた。
「ドドドドドド」
「うおおおおーーーー」
先頭の騎馬は三十騎程だろうか、その後ろを百人程の歩兵が続いている。
「殿!前線に引きましょう!」
側近は矛盾した進言をする。
それほどに慌てていた。実際、人数はこちらが多くても、陣替えをしなければいけない島津兵と、ただ真っ直ぐに突っ込んでくる高橋兵とでは、気構えに違いが出る。まして島津兵は、火車の混乱からようやく収まったばかりだ。
「ならぬ!ここで迎え撃つ!」
しかし伊集院忠棟は頑なに動こうとしなかった。なぜなら、騎馬の先頭を走る男が面頬を外したからだ。
「全ての弓兵よ!先頭を走る騎馬武者を狙え!あれが岩屋城主高橋紹運ぞ!」
伊集院忠棟は叫ぶ。距離はもう一町(約110メートル)になろうかとしている。
「おおおおおおお!!」
「ダダダダダダ」
迫る足音が振動として肌に伝わる。
迎え撃つ島津兵の首元は汗でジトリと濡れていく。どうにか弓兵の陣替えは間に合った。しかし距離から考えると、二射が出来て良いところだろう。これで仕留めなければ、弓兵では騎馬と歩兵に蹂躙される。
「構え!」
伊集院忠棟が気合いを入れて裂帛の声を出す。
既に騎馬兵の顔が分かる距離まで距離は縮まっている。
「放てえええ!」
そして伊集院忠棟の怒声と共に、二百丁の弓が緩い弧を描いて放たれた。
「ピューーン ピューーン」
「ピューーン ピューーン」
狭い距離で放たれた為に途中でぶつかりあう矢も出たが、その殆どは先頭の武者めがけて飛んで行く。
もしそのままこの矢を全身に受ければ、それこそ紹運は針鼠の様になって息絶えるだろう。勿論、伊集院忠棟と弓兵はそれを狙っていたのだが・・・
「「ヴオーーー!」」
伊集院忠棟が弓兵に構えの号令を出したのと同じ時、迫り来る先頭の騎馬武者の両脇から、二人の騎馬兵が雄叫びを上げながら突出した。
二騎は加速しながら先頭を走る紹運を追い越すと、そのまま先頭に出て紹運を左右から守るように並んで走る。そしてその手には、大きな盾が掲げられている。
「ガガガガッ」
「ガガガガッ」
飛んでくる矢が次々に二人の盾に突き刺さる。かなりの衝撃のはずだが、盾を持つ二人の騎馬武者は必死に耐えながら走る。そのおかげで、紹運には矢が届かない。
「ぐわっ」
「うぐっ」
しかし矢は盾以外の場所にも飛んでくる。最初の斉射を堪えた左の騎馬武者が、馬に矢を当てられ、馬ごと倒れた。
そして盾にも限界があった。島津兵までのこり半町(55メートル)を切ろうとした時、襲い来る矢で右の武者の盾が割れた。するとその騎馬武者は、盾の代わりに自分の身で紹運を守る為に両腕を大きく広げる。
「バシュ バシュバシュ」
紹運の前に立ち塞がる騎馬武者の体に矢が突き刺さる。広げた腕、首、太もも、顔。矢が刺さっていないのは、背中だけだ。
「なんて奴だ・・」
紹運の前に立ちはだかり針鼠のようになった騎馬兵を見て、伊集院忠棟は恨みがましく呟いた。
紹運を討ち取れるかと思ったが、
高橋兵は当たり前のように自身が紹運の盾になる。そのような兵、果たして島津にどのくらいいるだろうか。
「おおおおおおーーーー」
「ドカッ」
「ぎゃああああ」
「バシュ」
「ぐわっ」
結局、伊集院忠棟の本陣は弓兵の二度の斉射では紹運を討ち取る事が出来ず、突入を許してしまった。
騎馬兵が馬の蹄で、槍で、島津兵を蹴散らして行く。陣の中央にいた伊集院忠棟も、その勢いに呑まれ、跳ね飛ばされた。
「ドドドドド」
「ウオォーー!」
「ギャー――!」
弓を放ったばかりの弓兵は、抵抗する武器もなく騎馬兵に蹂躙されていく。そして騎馬兵が作った道を歩兵が駆け抜ける。
歩兵はすれ違いざまに混乱している島津兵を次々と突き伏せていく。
それをなんとか助けようと、後ろに控えていた島津の槍兵が前に出ようとするが、自軍の弓兵が邪魔で隊列が組めない。
そうこうしている内に、紹運率いる騎馬隊と歩兵は、無様に転がって逃げる伊集院忠棟には見向きもせずに、伊集院忠棟の本陣を駆け抜けて行った。
「はぁ はぁ」
まるで悪夢のような一瞬の出来事に、伊集院忠棟は膝と手の両方を地面に付いたまま、目の前から去って行く騎馬兵を見送る。
結局、紹運は今回も自分には見向きもしなかった。
一体、あいつらは何が目的なのか。伊集院忠棟にはわからなかった。
「敵がきたぞおお」
「後ろじゃああ」
伊集院忠棟の本陣を突破した紹運と騎馬兵は、そのまま駆けて前線に躍り出た。
そこには紹運の影武者として面頬を付けて暴れ回る大隅と越中の姿がある。
「大隅!越中!退却じゃ!」
紹運は勢いそのまま前線に突入して叫ぶ。
混乱している島津兵はされるがままだ。
そしてその隙を突いて、大隅と越中は今までの暴れぶりが嘘のように山に引いていく。
「殿!両名とも退却出来ましたぞ!」
二人の退却を見届けた騎馬兵がそう言うと、紹運は続けて騎馬兵に付いてきていた歩兵も山に上がらせた。
「殿!後は我らだけです!」
「わかった!我らも引くぞ!」
そして歩兵の退却を見届けると、紹運と残った二十八騎の騎馬兵全員が素早く隊列を組み直す。
「紹運はどこじゃ!」
先程まで地面に転がっていた伊集院忠棟が、ようやくの思いで兵を纏めて前線に到着する。
しかしそこには紹運の姿は無く、伊集院忠棟の目に映ったのは、あちらこちらで座り込み、放心している島津兵の姿だった。
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