第14話 二日目ー裏手門②


「はっ はっ はっ」


若い兵は地面にうずくまったまま、激しく息を吸い込む。肩には矢が突き刺さり、流れる血の筋が地面まで届いている。


まずい!矢は今まで居た山道とは反対の方角から飛んできた。つまり、いつの間にか回り込まれている!?


若い兵がそこに思い至った瞬間、目の前に黒い鎧を着た侍が現れた。


そして若い兵がその事に気づいて目を見開いた瞬間、黒い鎧の侍が持つ槍が、若い兵の首を切り裂いた。


 「な、何事じゃ?」


秋月種実は、思わず自分の周囲の部下に問いただした。


もう少しで山頂にたどり着きそうだとの報告を受けて本陣ごと山際まで出張ってきたのに、着いてみると攻め上がっていたはずの秋月兵達が転がるように下ってきている。


それも一人や二人ではない。まるで洪水に押し流されるように人の波は続いていた。


「見て参ります」


秋月種実の問いに近くの部下がそう言うと、直ぐに物見に駆け出した。


「種実様。念のため陣を下げられては?」


家老の内田実久がそう進言する。確かに、兵達の様子はただ事ではない。


「いや・・まずは様子を見る」


しかし秋月種実はそう言うと、ドカリと床几に座って、駆け出した部下が戻るのを待った。


「ううぬ。大手門や南側はどうなっておる?」


「相変わらず苦戦しているようです」


「それならば、城兵を多くは裏手に割けぬはずじゃ」


「そうですな。山頂近くまで攻め上がっていたはずですし、それは間違い無いかと」


「ならばなぜ兵が逃げてきておる」


「それは・・あ!物見が戻りましたぞ」


秋月種実の問いに答えていた実久は、そう言って前方を指さした。しかしすぐにその顔を引きつらせる。秋月種実は座っていたため、なぜ実久の顔が引きつったのかわからなかった。


「どうした?」


実久の顔を見て秋月種実が問いかける。しかし実久はその問いに答える間もなく、大声を出した。


「襲撃じゃ!皆の者、殿の前を固めよ!」


実久はそう言うと刀を抜き、秋月種実の前に立つ。実久の緊迫した声に反応した本陣の兵達も、慌てて前方に集まって陣を敷き始めた。


「なんじゃ!何事じゃ!」


実久の大声に驚いて立上がった秋月種実が見たのは、先程味方が転がるように押し出されていた裏手の道から、黒一色の鎧を身につけた、まるで鴉の様な侍達が自分に向かって真っ直ぐ突撃してくる姿だった。


「バカな!!」


思わず秋月種実は叫んだ。


城兵は大手門と南側にも兵を割いていて、裏手は手薄なはずだ。だからこそ山頂近くまで攻め上れた。多少の反撃はあったとしても、山の下まで追い立てられるはずはない。


 「ドドドドドド」


しかし現実は、秋月種実の思考を無視して近づいて来る。攻め寄せる城兵の数は、見えている限りでは二百ほどだろうか。本陣には二千の兵がいる、本来なら負ける事は無い。だが・・


「いかん!皆のもの落ち着け!」


実久が叫ぶ。それは本陣の兵が、迎撃の陣を敷き終わる前に城兵が襲ってきたからだけではない。


最初に本陣に殺到したのは、城兵に追い立てられた秋月兵達だったのだ。


「ドドドドドド」


「助けてくれーー!」


「バカヤロー!こっちに来るんじゃねえ!」


「ぐわっ、陣を崩すなあ!」


山から追い立てられた秋月兵達は、そのまま山際に移動していた本陣に突っ込み、半ば転がりながら駆け抜けていく。


本陣の兵達はその勢いに呑まれ、槍を落とす者、鉄砲の火縄を付け忘れる者、一緒になって逃げ出す者が続出した。


いくら本陣の者が大声を張り上げても、逃げ惑う兵は全く聞き入れない。


「落ち着け馬鹿者!落ち着かんか!」


本陣の兵が尚も大声で叱咤するが、一度出来た流れは変わらない。


混乱な陥る本陣。


そこに山を駆け下りた勢いのまま、城兵が突っ込んでいく。


「エイ オウ エイ オウ」


「ギィン」

「ガキィン」

「バキッ」


本陣に詰める秋月兵は、なんとか流れに逆らって城兵に対峙しようとする。


しかし隊列は大きく崩れ、鉄砲を持つ者、弓を構える者、刀や槍を持つ者がそれぞれの場で迎え撃とうとしたため、組織だって反撃が出来ない。


そして城兵はその隙を狙っていたかのように、声を揃えて間合いを詰め、確実に槍を突き刺していく。


「グサッ」


「ぐわっ」


「やめろ!やめてくれ!」


「逃げるな!戦え!」


「逃げろーーー!」


大混乱が秋月種実の本陣を覆い、敵味方が入り交じり、もはや収拾がつかない。


そこにかけ声を揃えた城兵の声がこだまする。


「エイ オウ エイ オウ!」


混乱の極みにある秋月種実の本陣とは違い、二百の城兵は駆け下りた勢いを保ったまま、鋒矢の陣を組んで本陣の中央を突破せんとする。


秋月兵はそれを何とか押しとどめようとするが、城兵の勢いに飲み込まれて、次々に左右に分断されていく。


分断された兵は隊列を組み直して、城兵を後ろから攻撃しようとするが、味方の逃走に引きずられ、既に指揮系統が崩壊していた為に、纏った反撃が出来ない。その間に城兵はどんどん秋月種実の元に近づいていく。


「殿!一度引いて立て直しましょう!」


実久が叫ぶ。城兵もう鉄砲を放てば当たる距離まで来ていた。


「ならん!何としても防げ!」


秋月種実は味方のふがいなさに激怒していた。


大きく攻め込みながら、小数の敵にいいように本陣まで荒らされている。


昨日伊集院忠棟は大手門の攻撃に失敗して攻め手を変えられた。


もしここで本陣を下げれば、秋月頼りなしと思われて、今後頼りにされなくなるかもしれない。そうなれば、今後島津の命令に、唯々諾々と従うしかなくなってしまう。


「鉄砲はもうよい!弓じゃ、弓兵を集めよ!」


秋月種実は叫ぶ。どうやっても引く気は無いようだ。鉄砲隊では無く弓兵を集めるのは、一度陣が崩れると鉄砲隊は連射が出来ないからだろう。


「弓を持って集まれ!」


「ここじゃ!殿の前に壁を作るぞ!」


声を枯らす秋月種実の命令に、実久や隊長が反応して指示を出す。やがて城兵が本陣の中央に殺到する寸前に、百人程の弓と槍の壁が出来た。


「ドドドドドド」


そして陣が出来たのとほぼ同時に城兵が殺到する。


「来ますぞ!」


実久が秋月種実に告げる。本陣では反撃のタイミングを出すのは大将である秋月種実なのだ。


秋月種実は目をこらして、弓を放たせるタイミングを窺う。


「殿!」


実久が声を出す。あっという間に城兵が近づき、両者の距離は百メートルを切っている。既に弓の殺傷距離だ。しかし秋月種実はまだ命令を出さない。引きつけて、より多くの城兵を倒そうとしていた。


「殿!」


実久が再び声を上げた。今度の声からは焦りがありありと出ている。


そして、今だ!放て!秋月種実がそう叫ぼうと息を吸い込んだ瞬間、先に行動を起こしたのは城兵だった。


「ピィーーーーー」


甲高い笛の音が鳴り響く。すると正に瞬間的に、それまで鋒矢の陣で突進してきていた城兵が左右二手に分かれた。そしてそれぞれが中央に構える弓兵を嫌うように、左右に方向を変えて直進する。


「なっ?」


叫ぼうとした秋月種実は、思わず吸い込んだ息をそのまま吐き出した。ここにきてなぜ方向を変える?壁を見れば大将である自分がここにいることはわかるはずだ。


「と、殿!」


それを見て実久が三度声を上げる。我に返った秋月種実は、既に最接近距離から離れつつあった城兵に向けて慌てて弓を放たせた。


「左右それぞれに打ち込め!」


「ビュー――――――ン」

「ビュー――――――ン」

「ビューーーーーーーン」

「キィン」

「ドスッ」

「バンッ」


号令と共に数百の弓が放たれる。矢は浅く弧を描いて城兵に襲いかかった。


しかし放たれた多くの矢は、城兵を倒す事が出来ないでいた。突然構えの方向を変えて放ったせいで狙いが定まらなかったのだ。


勿論、矢が刺さりうずくまる城兵もいたが、致命傷とはならず、すぐに立上がって進んでいく。


「放て!放て!」


命の危機から脱した秋月種実は、狂ったように命令を連発する。しかし、結局一度機を逃した弓兵の矢が、去って行く城兵に大きな打撃を与えることは出来なかった。


「なんとしたことじゃ!」


秋月種実は既に姿を消しつつある城兵を見ながら激昂した。これではただの道化ではないか!このままでは終わらせぬ!そう決めた秋月種実はすぐに新しい命令を出す。


「皆の者!弓を持ち替えて城兵を追いかけよ!」


それは走り去って行く城兵を追撃させる命令だった。本陣にいた秋月兵は去って行く城兵を見て安心していたが、秋月種実の命令に反応して弓矢を捨てて抜刀し、槍を持つ。


「行けえええ」


「うおおおおお」


今度は秋月兵が雄叫びを上げる番だった。


今、味わった恐怖の裏返しか、その勢いは爆発的で、隊列も順番も関係なく、それぞれが逃げた城兵を追いかけはじめる。


「討ち取ればそれだけ城攻めが楽になるぞ!行け――!」


実久も刀を振り上げて城兵を追いかけながら大声で叱咤する。


「おぉおおおおーー!!」


左右に分かれた城兵は、何処を目指しているのか、そのまま直進を続けて秋月種実の本陣からどんどん離れて行く。


秋月兵はそれを無秩序に追いかける。


そうして、気付けば秋月種実は本陣に詰める兵数を減らしていた。



「ドドドドドド」


そして、まるでそれを待っていたかのように、新たな地響きが襲ってくる。


城兵を追いかける兵の後ろ姿を見ていた秋月種実はその音に気づき、視点を先程まで向けていた山の方に移した。


そしてまるで自分のこれからの運命をあらわすような言葉が漏れる。


「やられた・・・・・」


その音の正体は、矢の様な早さで自分に近づいてくる騎馬兵だった。数は三十騎程だろうか、全員が黒い鎧を着ている所から、城兵である事は一目瞭然だった。


 「た、助けてくれーー!」


秋月種実はそう叫んで迫りくる騎馬兵に背中を向けた。


三十万石の国主が、立ち向かうでもなく、兵を呼び寄せるでも無く、恥も外聞もない様で逃げ出したのは、それでも戦国の時代を生き抜いてきた武将の本能だっただろうか。


秋月種実はまるで転がるように、城兵を追いかけている秋月兵の元に追いすがる。



「種実ぇ――――!」


必死に逃げる秋月種実の背後から、地響きと共に自分の名前を呼ぶ声がする。瞬間、秋月種実はその声の主を思い出し、血の気が引いた。


「ば、ばかな!そんなばかな!」


それはかつて戦場で何度も聞いた、高橋紹運の声だった。

 

「だ、誰か助けてくれーー!」


秋月種実は前方にいる秋月兵に向かって叫ぶ。しかし得物を追いかけている兵達は主君の悲鳴に気がつかない。


「ドドドドドド」


「逃げるなーーー!」


足音と恐ろしい声がどんどん秋月種実に近づく。元から勢いが付いた騎馬が相手では逃げ切れるはずがない。しかし秋月種実は、それでも懸命に足を動かした。


「ドカッ」


「覚悟!」


「ガキィン」


秋月種実が何かにつまずいて身を投げ出されたのと、紹運が追いつきざまに馬上から槍を振り下ろしたのがほぼ同時だった。


結果、紹運の槍は、狙った胴体では無く、秋月種実が被っていた兜の上部を吹き飛ばす。


「ぐわっ」


秋月種実は首をへし折られるような衝撃を受けて転がりながら地面に叩き付けられた。


まずい、起き上がらなければ、このままでは!

しかし痺れて体が動かない!


「ドドドドドド」


その間にも後続の騎馬兵が近づいてくる。秋月種実は、終りを覚悟した。しかし・・


「行くぞ!」


「ドドドドドド」


前方を走る紹運の声に従い、騎馬兵は地面に転がった秋月種実の横を素通りする。


「なんだと・・・・?」


秋月種実は情けなく倒れたまま、顔だけを上げて様子を見る。


視界に写る紹運の騎馬兵は、速度を落とすこと無く、まるで自分が視界に写っていないかの様にその視界から消えて行った。

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