第11話 岩屋城攻防戦初日ー②


「また会いましたな、伊集院殿」


馬上で槍を構えてそう言うのは、岩屋城の城主、高橋紹運だった。


落ち着いた声で、昨日と同じくとても戦場にいるとは思えない柔和な顔をしている。


しかしその握られた槍の穂先は、既に赤く染まっていた。


「高橋紹運・・・」


伊集院忠棟は呆然として紹運を見上げながら、そんな馬鹿な!と思った。


紹運は今まさに、五万の大軍で攻められている最中の岩屋城の城主であり、その首は岩屋城と同じ重さを持つと言って良い。


その武将が、あろうことか最前線で敵味方入り交じった戦場に顔を出すなど、正気の沙汰では無い。


「おや、大丈夫でござるか?」


紹運が心配そうに尋ねる。その言葉に伊集院忠棟は我に返り立上がって怒鳴る。


「貴様!どこから湧いて出た!」


紹運は後ろから突撃をかけてきた。しかし大手門も大手門の左右も、島津兵が攻めている最中だ。なぜ?一体どうやって?


「ワハハ。我は風神、風ある所に現れる」


紹運は楽しそうにそう答えた。


「それより伊集院殿、良いのですか?刀を落としていますぞ」


そう言われて伊集院忠棟は持っているはずの刀が自分の手に無い事に気づいた。どうやら転んだ拍子に落としていたようだ。


慌てて辺りを見回すと、刀は足を伸ばせば届くところに落ちていた。


「くそっ!」


伊集院忠棟は叫びながら刀を拾いに飛び上がる。しかし、それを紹運は黙って見過ごしはしなかった。


「甘い!」


後ろから先程の話し声とは全く違う、裂帛の声が響く。それと同時に、紹運の槍が伸び、伊集院忠棟の肩を抉った。


「ぐわっ」


激痛に顔が歪み、伸ばした手はあらぬ方にと方向を変える。受け身も取れぬまま、伊集院忠棟は再び地面を転がっていた。そしてその背後には既に紹運が詰めていた。


「ぐっ・・殺せ!」


何とか半身は起き上がったまま、伊集院忠棟は赤く染まり始めた肩を押えて叫ぶ。


この傷では刀を持てない。悔しいが、作戦でも武勇でも完全に上を行かれた。


こうなっては、せめて無様な散り際は見せまい。伊集院忠棟はその思いで、紹運を睨み上げた。


「・・・」


しかし紹運は、一瞬悲しそうな顔をすると、そこに伊集院忠棟は存在し無いかのように馬の向きを変える。


「なっ・・何処に行く!」


伊集院忠棟は叫ぶ。自分にはとどめを刺す価値すらないというのか?馬鹿にするな!


しかし紹運は、伊集院忠棟の声に一度も振り返る事無く、再び戦場へと駆け出していた。




その後伊集院忠棟は、家臣に肩を持たれ半ば無理矢理自分の陣地へと連れて行かれた。


それは大手門を攻めていた兵も、挟み撃ちで混乱している所を更に騎馬によって蹂躙され、隊としての形が取れなくなり、三々五々退却して行く事になったからだ。


結果、伊集院忠棟配下の島津兵は、大手門の戦いだけで戦死者五百、負傷者千五百(内重傷者五百)を数え、更に大将である伊集院忠棟が傷を負うという、大きな被害を受けたのだった。




「伊集院様、島津忠長様がお呼びです」


伊集院忠棟が自陣に戻り、傷の手当てをしていると、島津忠長からの呼び出しがあった。直ぐに伊集院忠棟は、手当もそこそこに本陣に向かう。外はもう夕暮れになっていた。


「遅れ申した」


伊集院忠棟はそう言って、傷を受けていない方の腕で幔幕をめくって中に入る。それでも傷は痛み、伊集院忠棟は口をしかめた。



本陣の中に入ると、既に総大将の島津忠長と秋月種実が床几に座って待っていた。


「伊集院殿、その肩は・・」


手当をしても未だ血が止まらずに、赤く染まった肩を見て秋月種実が声を失う。


「申し訳ない・・紹運にやられ申した」


伊集院忠棟は悔しそうに唇を噛みしめた。


「なんと!そちらにも紹運が?」


それを聞いて秋月種実は驚きの声を上げた。よく見れば、秋月種実も傷こそ負って無いものの、その付けている鎧には所々に、昨日はついていなかった刀傷がある。


「そちらにもと言う事は・・?」


「うむ。こちらにも現れた」


「なんと・・・」


今度は伊集院忠棟が言葉を失う。まさか大手門に来る前に、裏手の戦いにも参加していたのか?だとしたらまさに風の様な素早さだ。


「大手門はどうなったのじゃ?」


総大将の島津忠長が改めて尋ねる。伊集院忠棟は、戦況報告のため、重い口を開いた。


「前衛三千と本陣五千で交互に攻めましたが、突破出来ませんでした。相手はかなり鉄砲が多く、死傷者が多く出てしまいました。


それでも後一歩まで迫ったのですが・・突然現れた紹運めに強襲され崩されてしまいました」


「大手門の左右は警戒していなかったのか?」


「まさか!左右はそれぞれ二千の兵で登らせました。しかし険しい上に至るところから矢で襲われて、突破出来ずに引かざるを得なかったと」


「うーむ。鉄砲も問題だが・・紹運は一体どこから出てきたのだ?」


「わかりませぬ・・気づいた時には後ろに回り込まれておりました」


「・・どこかに抜け道でもあるんじゃろうな・・。秋月殿、裏手はどうじゃ?」


「はっ。こちらも二千の兵で登らせましたが、山頂に通じる細い道は竹柵で幾重にも封鎖され鉄砲隊が守っており近づけません。


なので道にかかわらず登らせましたが、山全体に穴が掘られ木を横に切り倒され、まともに歩く事も出来ない状況。また気づけば弓兵に回り込まれて討たれる者が続出しております」


「ううむ・・この山は大きさこそないが険しいからのう。それでそちらにも紹運が出たのか?」


「はい。竹柵の手前に集まっていると、どこから現れたのか五十人程の黒鎧に襲われました。面頬をしておりましたが、その中に紹運と呼ばれる武者がおりました」


「厄介じゃのう。紹運程慕われておる将が前線に出れば、それだけで兵達の士気が上がる」


「全くです。どこから現れるのか分からず、現れる事を常に警戒せねばなりませぬ」


「出てきた所を種子島で撃てばどうじゃ?」


「うーむ。しかし紹運は歴戦の侍。そこは重々警戒しておりましょう。それに普段は面頬をしているようです。これでは倒して顔を見るまでどれが紹運かわかりませぬ」


「そうか・・知っての通りこの城に時間は掛けられぬ。何か良い方法はないかのう」


「・・・」


島津忠長は2人に問いかける。しかし2人は良い案が浮かばない。沈黙が続きそうになったので、秋月種実は逆に島津忠長に質問する。


「南側はいかがでした?」


「うむ。龍造寺兵と肥後勢と儂の兵で交互に登らせてみたが、至る所に仕掛けがしてあって曲輪までたどり着けぬ。難儀しそうじゃ」


「そうですか・・」


「うむ・・」



「忠長殿」


結局話が進まず、重苦しい空気になった時、伊集院忠棟が話しかけた。


「なんじゃ?」


「いっそ、抑えの兵を残し次の城へ行ったらいかがですか?このままでは思ったより時間がかかるかと」


「ううむ・・・いや、それは出来ぬ」


伊集院忠棟の提案を一度は考えた島津忠長だったが、直ぐに否定する。


「どうやら紹運はまことに名将のようじゃ。そのような者を放置して前進すれば、後々島津にとって猛毒となりかねん。


何より、この先の宝満城と立花山城に入っておる将は、紹運の息子達という事がわかった。


ならば紹運は儂らがここから動けば、すぐさま儂らを後ろから攪乱させようとするじゃろう。


また息子達も父が抵抗している間は自分達も同じように抵抗を止めまい」


「確かに・・特に立花山城の立花宗茂は、道雪殿がその器量を嘱望されて養子として向えた若武者です。簡単には下りますまい」


秋月種実もそう言って頷く。


「ううむ。つまり、ここで岩屋城を攻め落とすしかない・・と」


「そうじゃ。逆を言えば、ここで紹運を討ち取るか捕らえる事が出来れば、大友側の士気が下がって九州の統一が早まるやもしれん」


「そうですな。もはや紹運は大友に残った最後の名将。その可能性は大いにありますな」


「・・・」


島津忠長の言葉に、秋月種実が再度頷いた。しかし伊集院忠棟はあまり気が進まない様子だ。


「忠棟よ、一度の敗戦で弱気になってどうする。いくら紹運が優れていても、兵力はこちらが圧倒的に上なんじゃぞ」


「それはそうですが・・」


「まぁ、確かに一日で落とすなどと言うのは無理があったようじゃ。明日からは無理をせず、確実に攻め上がる」


「しかしそれでは、時間が掛かってしまいますぞ」


「仕方あるまい。落とさなければ前に進めぬ」


「はっ・・」


「それに紹運としても、全滅は望むまい。ある程度被害を出せば和睦にも応じるはずじゃ」


「いや、それはどうですかな・・」


秋月種実が疑問を挟む。


「紹運は忠勇の士。和睦に応じるとは・・・」


「それはそうかもしれん。しかし籠もっている兵達はどうじゃ?この圧倒的戦力差。最初は意気を上げても、徐々に戦意が無くなっていくじゃろう。何しろ勝ち目など無いんじゃ」


「それは・・そうですな」


そう言われて秋月種実は納得する。確かに、いくら紹運が優れていても、一千に満たない兵で五万の島津兵を追い返す事は出来ない。精々、数日の時間稼ぎが精一杯だろう。兵達もそのつもりに違いない。?


「わかり申した。ではそのように」


「うむ。忠棟よ。明日は儂と配置を交換するぞ。儂が大手門を受け持つ」


「なっ?何を申される!」


伊集院忠棟は大声を出した。負けて配置を換えられるという事は、つまり力が無いと味方に宣告されるという事だ。それは正に恥辱だった。


「落ち着け。数日の間じゃ」


「数日?」


「お主の兵は今日の戦で大きな被害を出しておろう。それに大手門は勇猛果敢に攻めたとて落ちぬと見た。ならば儂が時間を掛けて確実に落としに参ろう」


「い、いや、しかし・・」


「これは命令じゃ。今日中に陣替えを行って、明日からお主は南側を受け持て。しかし無理はせずとも良い。なるべく多くの兵を引きつけよ」


「・・・」


「よいな」


「はっ」


忠棟は渋々頷く。


「では明日は準備をして今日と同じ時刻に攻めかかる。遅れぬように」


「ははっ」


こうして話は終わり、三人は自分の陣へと引き上げた。その後迅速に島津忠長と伊集院忠棟の陣替えが行われ、傷ついた伊集院の兵は陣の奥へと移され、明日を待つ。





暗い雰囲気で終わった島津軍の軍議とは対照的に、高橋軍の軍議は最初から明るい雰囲気で始まった。


「紹運様!あれほど本丸に詰めて下さいと念押しましたのに!」


紹運に詰めよるのは惣右衛門である。


「わはは。良いではないか。儂が回り込まなければ危なかったぞ?」


しかし紹運は全然気にした様子はない。むしろ楽しそうだ。


「だから本当ならば儂が回り込むはずだったのです!」


「なんじゃー、出番を取られて怒っておったのか。そりゃすまんかった」


「違いまする!そういうことではござらん!」


わざわざ最前線に出て行く総大将に、惣右衛門は中々怒りが収まらない。


「あはは。もう良いではないか、惣右衛門殿。紹運様のおかげで初戦は我らの完勝ぞ」


「そうじゃそうじゃ。今夜は祝おうではないか」


種速や大隅がなだめる。なにしろ紹運は昔からこうなのだ。言って聞くような総大将ではない事はみんな分かっている。


「まったく・・・」


惣右衛門はしぶしぶ頷くが、まだ納得はしていないようだ。


しかし本丸の雰囲気は良い。それは無事に初戦を終えたからだろう。圧倒的な兵力を持つ相手に、一歩も引かずに押し返した。その事実が城方を高揚させている。


「しかし紹運様。あの仕掛けは使えませんでしたな」


そう残念そうに言うのは、大手門を担当する左衛門だ。


「うむ。まあ大手門が突破されなかったしのう、そこは重畳じゃろう」


「それはそうなのですが・・天候もありますからなあ」


「そうじゃのう・・しかし雨が降れば守る方に有利じゃ。より長く敵をひきつけられようぞ」


「そうですな・・」


「ふふふ。そう言えば義影はどうじゃった?」


「あぁ、頑張っておりましたぞ!必死に矢を放っておりました。まあ殆ど寄せ手には当たっておらんようでしたが」


「ワハハ。そうかそうか。まぁ無事ならよい。生きたいなら自然に腕も上がるじゃろ」


「そうですな。まぁわざわざこんなとこにくる好き者ですから、生きたいのかよくわかりませんがのう」


「そりゃそうじゃのう。左京よ?」


紹運に笑いながら突然話を振られた左京は慌てて


「いやいや、そりゃあないですぞ紹運様!儂らは御身を案じたからこそ!」


と言い訳する。


「ワハハ。そうじゃったそうじゃった。頼りにしておるぞ」


「まったく・・」


実は突然話を振られた左京は、以前紹運の家臣であったが、現在は紹運の息子の立花宗茂が守護する立花山城の兵であり、主君も紹運では無く立花宗茂であった。


しかし紹運が岩屋城で島津軍を迎え撃つと知り、立花宗茂に無理を言って岩屋城に援軍としてやってきたのだった。



「しかし有り難かったですぞ!左京殿が来てくれて。種子島も火薬もかなり持ってきてくれましたし」


入道がそう言うと、種早も


「それに兵も二十人連れて来てくれたしのう!」と頷く。


「ホントはもっと多くの兵から自分も連れて行けとせがまれたんじゃ。しかし余りに多くを連れていくと、立花山城の兵がいなくなるんでな」


「わはは。宗茂様も慌てたんじゃないか」


「それが一番一緒に来たがったのが宗茂様でな。全員で説得してなんとか立花山城に残ることに納得してもらったわい」


左京はそう言うと、紹運をチラリと見る。紹運はにこやかに微笑んでいたが、その瞳は潤んでいる様にも見えた。


「そりゃあ宗茂様も紹運様と一緒に戦いたいじゃろうがのう」


今度は入道がそう言って紹運をチラリと見る。


立花宗茂は六年前までは紹運と共に寝起きしていた実の息子であり、その将来を紹運も渇望していたのだ。


しかし紹運の畏敬する立花道雪の重ねての要望により、子のいなかった道雪に養子として差し出すことになった。


今では実の親子ながら、高橋家と立花家という、斜陽の大友家を支える二本の柱として重きをなしている。


「ふん。宗茂がいても足手まといよ」


少しの沈黙の後、紹運はそう言うとそっぽを向いた。その場に居た十人は、それを見てただ微笑むのだった。


「今日完敗した島津は明日どう出るじゃろうな。明日も寄せてきますかな?」


刑部が話を変えて紹運に尋ねる。


「くるじゃろ!これだけやられたんじゃ。怒り狂って寄せてきよるわ!」


紹運に代わって刑部の問いに答えたのは入道だ。酒を飲んでる訳でもないのに、顔が赤くなっている。


「いや。被害が多いから作戦を練り直すんじゃないか?」


入道の予想に異を唱えるのは民部だ。民部はどちらかと言えばいつも顔が青い。


「五万の軍からすると大した事あるまい。恐らく明日も激しく来るわい」


「そうじゃのう。儂もそう思う」


入道と同意見なのは志岐と種速だ。変わって大隅は、


「いや、案外抑えを置いて先に進むやもしれんぞ」


と顎をなぞりながら話す。その後も明日の島津軍の出方に侃々諤々だったが、話が進まないので左衛門が紹運の考えを聞くことにした。


「紹運様はどう思われます?」


一気に注目が集まる。激しく攻め寄せると考える入道や志岐、種速も、明日は攻めてこないと言う民部も自信満々だ。しかし紹運は、そのどちらでもないと話した。


「明日はおそらく・・・というわけじゃ」


「なんと・・・」


「いや、確かにありうるのう」


「しかし、それではこちらはどう致せばよいのじゃ?」


誰にも当てはまらない紹運の意見に、集まった十人はうろたえた。


「ふふふ。その場合はな・・・」


その狼狽した十人を見て、紹運は明日の作戦を楽しそうに話す。作戦を聞いた十人は、喜色を浮かべて己の持ち場へと帰っていくのだった。

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