第5話 確認
見上げると白い雲が暑苦しさを感じさせること無くゆっくりなびいている。
どうやら、いつの時代も夏の色は変わらないようだった。
義影が家を貸して貰ってから、1週間が過ぎた。今では怪我した足もだいぶ良くなり、ゆっくり歩くくらいなら痛みも無い。
結局案内して貰った日に城主の高橋紹運は姿を見せず、次に姿を見たのは2日後だった。
また戦ってきたのか、至る所が血まみれだった。最も本人は怪我一つ無く、とても元気そうだったが。
あれから義影は、一日中借りた家の中にいるのも心持ちが悪く、足に気をつけながら山城の近場を散策したり、同じ長屋に住んでいる人達に岩屋城や紹運についてそれとなく聞き込みをしていた。
それによるとこの岩屋城とその周辺には、おおよそ兵士750人程が生活していて、最近は特に守りを固める為に工事をしているらしかった。
また城主の高橋紹運は結構有名な武将で、風神と呼ばれる事もあるらしい。風神と言えば気性の荒そうな神様のイメージだ。そんな風には見えないけど、戦いではまた違うのかもしれない。
「どうじゃ、足の具合は」
数日後、突然扉を開けて紹運が顔を出した。
この時代には、まだノックの習慣は無いようだ。最も、あっても頼める立場では無いのはわかっている。
なにしろ、城主と正体不明の男だ。自分で言ってなんだが、むしろよく住まわせて貰えている。
「だいぶ良くなりました。普通に歩く分には平気です」
義影がそう言うと、紹運は頷いて義影の隣に座った。紹運に付いてきた民部は、一度中を覗き込んで扉の外に出た。
どうやら小屋の前で立って見張りをしているようだ。
「そうか。どうじゃ?ここの暮らしは」
「ありがたいです。食べ物も分けて貰ってますから」
そう言うと義影は軽く頭を下げた。実際に分けてもらっているのは米や魚ではなく、いわゆる雑穀とカピカピの魚の干物、食べたことの有るような無いような野菜だったが、自分で食べ物を確保出来ない以上、本当に有り難い物だった。
「なんのなんの。今丁度食料の運び入れをして備蓄しとるでな。1人分くらいかわらんよ」
高橋鎮種はそう言うと、ワハハと笑う。その爽やかな顔を見て、義影はこの人のどこが風神なんだろう?と疑問に思いながら、しかし自分を助けてくれたのが、この人で良かったと改めて思った。
「それより、これからどうする?」
笑っていた高橋鎮種がそのまま気楽な感じで尋ねる。しかし義影は返事に詰まった。すぐに死ぬ気は無くなったとは言え、現状1人で生きていけるとは思えない。
しかし既に世話になっているのに、これから更に世話になりたいとは言えなかった。
「まぁここにおりたいなら好きなだけ・・と言ってやりたいとこなんじゃが・・」
答えない義影に、紹運は済まなそうに言う。
「あ・・そうですよね。すいません」
それを聞いて、義影は思わず謝った。そりゃ、縁もゆかりもないただ飯食いを、長く置いておけるはずが無い。
「そうじゃなくてじゃな、戦が迫っておるんじゃ」
謝った義影に、慌てて紹運はそう言った。
「戦・・ですか?」
戦・・戦争?この間のようなやつだろうか。
「うむ。儂らは大友軍なのは知っておるな?」
「はい」
それは既に聞いていた。最も、その大友軍が何なのか、イマイチわかってはいなかったが。
「かつて九州の内、6ヶ国の守護をしておった大友家なんじゃが、今じゃ3ヶ国がやっとの有様でな」
「そう・・なんですか」
義影はとりあえず相づちを打つ。
「最近は島津の勢いが増してきての、何とかせねば、奴らは九州を全て取ってしまうじゃろ」
紹運はそう言うとため息をついた。
「凄いですね、その島津って」
「そうなんじゃが・・・聞いた事無いか?島津を」
「えぇ・・まぁ・・」
義影はあやふやに頷いた。どうやらこの時代には広く知られているらしい。怪しまれるくらいなら、知ったか振りした方が良かったかもしれない。
「ふーむ」
紹運は、あやふやに頷いた義影を見て手を顎にやり、何か考え込む。義影の心臓は大きな音を立てていた。
そして紹運は顔を義影に向け、真剣な顔で話し出した。
「義影よ。お主、本当は何者じゃ?」
やっぱりか。義影はそう思った。歴史が苦手だったせいで、今居る時代の知識がほとんど無く、話しにづれが出るのはわかっていた。問題はここで正直に話して、信じてもらえるのかだ・・・
「実は・・・
「まて、儂が当てよう」
義影の言葉を遮って、紹運は話を続ける。
「最初、儂はお主は南蛮の者じゃと思っておった。日の本じゃ見慣れぬ格好しておるしな」
紹運はそう言うと、改めて義影の服を見る。確かに、義影の服は、この時代では珍しいだろう。なにしろ、ジーンズを履いている義影と違い、回りはみんな膝くらいまである長い着物の様なものを着ている。
「しかし、どうも宣教師の着ている物とも違うようじゃ。となると、後考えられるのは、明の者じゃな」
そう言うと紹運は得意そうな顔をした。義影は、紹運が何を言っているのかわからず、反応出来ない。
「うん?違ったか?」
反応出来ない義影を見て、紹運は、初めていぶかしむような顔をした。
義影は、どうすればまだしばらくここに居られるかを考えて、答えた。
「実は・・・俺は記憶が無いんです」
「・・記憶が無い?」
紹運は首を傾げて続きを促す。
「山で猪に襲われて、崖から落ちたせいで、それ以前の記憶が・・」
「ほう・・・」
「なので、ホントは知ってるかもしれないんですけど・・」
義影がそう言うのを、紹運は真っ直ぐに義影の目を見つめて聞いていた。義影はその逸らしたくなる視線をなんとか持ちこたえる。すると紹運の表情が変わった。
「なるほどのう。それは大変じゃったのう・・」
そう言うと優しそうに紹運は頷いた。信じてくれたのだろうか?
「はい。だから、何処に行けばいいのか・・」
「ふーむ。この辺りの、地元の者では無いのか?」
「地名なんかは、なんとなく聞いた事はあるんですけど」
「そうか・・では、もう少しここにとどまって、辺りの人間に聞いてみるか」
「あ、ありがとうございます」
嘘をついてしまったが、何とかもう少しここに居られるようだ。義影はやっと安心して、気づかれないように息を大きく吐いた。
「ただ、ここにもいずれ島津が来る。それまでには出て行かんとのう。死んでしまうぞ」
紹運はそう言って、笑いながら義影の肩を叩く。
「あの」
「ん?」
「島津は・・いつ頃来るんですか?」
「それはわからん。儂は稲刈りが終わって九月じゃと考えてはおるが・・」
そう言って紹運は難しい顔をした。確かに、安易に聞いてしまったが、攻め寄せる敵がいつ来るかなんて敵の事情、分かるはずがない。
「まあ、出来るだけ早めにここから出ないと危ないぞ。ワハハ」
紹運はそう言ってもう一度義影の肩を叩くと、笑いながら小屋から出て行った。
義影はその後ろ姿を、申し訳無さと不安で満ちた顔で見送った。
7月に入り、義影の足は殆ど元通りになった。よっぽど力を入れない限り、傷が開く事は無さそうだ。そして義影はその足で広く周辺の土地を歩き回った。勿論、自分で帰ってこれる範囲だが。
歩き回ってみると、思ったよりも更に地形がタイムスリップ前と違っていて、わかりにくかった。
タイムスリップ前は、基本的に道路があり、目印になる建物や地名を書いた看板があた。しかし今は、まともな道路もなく、似たような荒れ地や雑木林の中に田んぼや家が交互に点在するだけだ。
何日か目にかろうじて太宰府の政庁跡という、かつて足を運んだ事がある場所がわかり、その他おおよその地域の方向が判明して、ほんの少しの、砂粒のような希望を胸に、何とか歩いて自分が住んでいたであろう場所にも足を伸ばした。
しかし着いてみると、その一帯が何もない広い荒れ地で、全く面影も無い。
そんな事は分かっていた事なのに、わざわざ確認にきた自分の滑稽さと強まった孤独感で、義影は立ったまま、しばらくその場から動く事が出来なかった。
自分の家があった場所を見に行ってから数日、義影はまるで無気力になり、ただ小屋の中で蹲っていた。
訪れた民部や紹運はそんな義影を心配してくれたが、義影は大丈夫です、大丈夫ですと繰り返し、ずっと何かを考えているようだった。
そしてやがて7月も1週目が終りを迎える頃、義影はやおら自分の小屋から出て、紹運を尋ねた。
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