第7話 一人芝居

 従姉妹の娘を心配して、という体裁で、連日のようにアウグストが屋敷へとやって来た。

 最初は戸惑っていたドロテアも、私の娘として全力で構い倒すアウグストに人見知りをする暇はなかった。

 毎日のように構われ、仮病中の私の代わりに街へも連れ出され、半月もすればアウグストのことを『お父さま』と呼んで来訪を待ちわびるようになっていた。

 さすがに『お父さま』はやりすぎである、と注意するのだが、ドロテアは注意されたその場では『アウグストおじ様』と呼び直すのだが、すぐにまた『お父さま』と呼んでいる。

 これは将を射んと欲すれば、というやつだろうか。

 

 近頃のアウグストとドロテアの遊びは、『お芝居ごっこ』だ。

 アウグストがドロテアを街へと連れ出し、そこでみた劇団に刺激をうけたらしい。

 そこで、アウグスト監修による、ドロテア一人芝居の台本が作られた。

 観客が来る前に演技を仕上げたい、とドロテアが難しい顔をして話すのがまた愛らしい。

 衣装と小道具は、私と使用人たちとで用意する。

 あまり大々的に業者を呼んでしまっては、そこから情報が外へ漏れてしまう危険があるからだ。

 

 ――そして、なんの前触れもなく、観客は現れた。

 

 

 

 

 

 

 ……相変わらず、顔だけはいいこと。

 

 どこかに隠れて様子を見ようと思ったのだが、せっかくなので、と喪服に身を包んで『舞台』に上がる。

 舞台に上がるといっても、主役はドロテアだ。

 アウグストが、ドロテアの一人芝居として台本を作ったので、私は主演でも共演でもないモブだ。

 背景の一人とも言う。

 モブに徹するためベールを頭から被って顔を隠したのだが、観客がそれに違和感を覚えることはなかった。

 ドロテア自身が喪服を着ていたし、他の使用人も似たような服装をしているからだ。

 

 ……それにしても、ちょっと面白くなってきた。

 

 どうどうと目の前に立っているのだが、観客こと噂に誘い出された夫イグナーツはわたしの存在に気が付く様子がない。

 玄関ホールへと現れたドロテアを見下ろし、父親顔で懐柔に走るでもなく、そうするのが当然といった顔で背筋を伸ばして立っていた。

 

「どちらさまかしら?」


「躾のなっていない娘だな。この家の主人に向かって、なんて口の利き方だ」


 躾がなっていないのはおまえだ、と突っ込みたいのを飲み込む。

 これはドロテアの一人舞台だ。

 母親ベルナデッタが出る幕はない。

 

「この屋敷の主人は、お母さまですわ」


「その母が死んだのだから、夫である私がこの家の主人だ。おまえは私の従属物こどもである」


 忌々しい女の子どもだが、自分に似て良かった。

 アレに似ていないだけ、少しは愛おしく思えるかもしれない。

 

 そんな言葉を続ける夫の背後には家令のロベルトが立っているのだが、すごい顔をしている。

 夫の反応は打ち合わせどおり、予想の範疇のものであったため、ドロテアが驚く要素はないが、ロベルトの表情にはドロテアも驚いてしまった。

 今にもイグナーツを絞め殺さんばかりの表情かおをしている。

 

 ハッと息を飲んだドロテアに、イグナーツは何を勘違いしたのか自信を深めたらしい。

 輝きを増したイグナーツのドヤ顔に、今すぐ右ストレートを打ち込みたい。

 

「お母さまの夫、ですか? ということは、わたくしのお父さまということになりますが……わたくし、お父さまのお顔を知りませんの。あなたがわたくしの父であるという証拠はございますか?」


「証拠もなにも、使用人たちが知っている」

 

 そうだろう? と同意を求めてイグナーツが家令に振り返ると、家令はいい笑顔で答えた。

 

「ドロテアお嬢様がお生まれになってすぐに姿を消した父君の顔など、いったいどんな顔をしていたか……」


 おまえは覚えているか? とすぐ後ろに立っていた男の使用人へと話を振る。

 この使用人は私が子どもの頃から雇われているので、夫の顔を知っているはずなのだが――

 

「いえ、俺も知りませんね。こんな顔でしたか?」


「ベルナデッタお嬢様は面食いでいらっしゃいましたからね。最低でもアウグスト様並みのお顔でなければ……」


「いやー、ないわー。比べる相手が間違ってますよ」


 ……うん、言いたい放題だね、使用人きみたち。

 

 騒ぎに寄ってきた、という様子で使用人が玄関ホールへと集まってくる。

 これだけ『夫の顔など知らない』という使用人がいて、設定上の『少女漫画』でイグナーツが主人として家に君臨できたのは、彼らを解雇したからだ。

 元から家にいた使用人を解雇し、ドロテアを一人きりにし、そのうえで家を乗っ取った。

 本来であれば、ドロテアの味方は屋敷の中にこそいたはずなのだ。

 

「……もういい。おまえたちは今日限りで解雇だ。荷物を纏めて出て行け!」


「そうはおっしゃられましても……お客様にはなんの権限もございませんので」


「私がこの屋敷の主だと言っているだろう!」


「なんの証拠もなしに、そのようなことを宣言されましてもねぇ?」


 ……ベルナデッタ、ホントに阿呆これのどこが良かったの?

 

 突然屋敷へ乗り込んで、「私がこの屋敷の主人である!」と名乗って認められるのなら、みんな城へ乗り込んで「私が王である!」と自称するだろう。

 それだけで国主になれる。

 そして、そんな無茶が成立するはずもなかった。

 

 ……それにしても、酷い。

 

 正ヒロイン視点の少女漫画では、頼りになる優しいお父様という扱いだった。

 悪役令嬢ドロテアをヒロインとしたネット小説では、長年虐げられてすっかり卑屈になってしまったドロテア視点であったため、決して逆らえぬ壁のような恐ろしい存在だった。

 そして、同年代のこちらの方が立場が上という状態でみたイグナーツは、ただの阿呆だ。

 なんだかいろいろと残念で、こんなのに恋焦がれて服毒自殺したベルナデッタが馬鹿としか思えなくなってくる。

 これに愛しのベルナデッタを奪われたアウグストは、ご愁傷様なんてものではない。

 

「そうだ、あの女が私の肖像画を何枚も描かせていただろう! アレは私に夢中だったからな!」


 肖像画それが証拠になるはずだ、と言ってイグナーツは我が物顔で屋敷を歩きはじめる。

 目的地は、我が家の画廊と化した廊下だろう。

 以前のベルナデッタが、壁紙を埋める勢いで夫の肖像画を飾っていた。

 

 ……つまり、ドロテアが父親イグナーツの顔を知らない、ってことはないんだよね。

 

 すっかりアウグストに懐いてしまったドロテアは、実父であるイグナーツに対してなんの関心も持っていないらしい。

 もともとあちらがドロテアに対して関心を持たなかったのだ。

 これはお互い様である。







「これは……どういうことだ? 前はここに私の肖像画があっただろう?」


「何もありませんね」


 目当ての廊下についたが、絵画はあっても自分の肖像画など一枚も飾られていない廊下に、イグナーツは呆然としていた。

 イグナーツの肖像画など、森野優美わたしになったその日のうちに一枚を除いてすべて処分した。

 そして、その一枚は――

 

「……そういえば、お母さまのお部屋に男性の肖像画が飾られていた気がします」


「それだ! その絵を見れば、私がおまえの父親だと納得するだろう」


 さあ、行くぞ! と意気揚々と歩きだすイグナーツは、ドロテアが私を振り返ってニコッと微笑んだのを見逃した。

 上手に誘導できました、お母さま、褒めて褒めて、といったところだろうか。

 とても可愛らしい微笑みだ。

 これを見ていれば、イグナーツも少しは『おかしい』と気がつけたかもしれない。

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