第6話 今度は従兄弟

 翌日は、昼過ぎに起きてきた祖父とドロテアとで昼食を取る。

 祖父は孫娘が一番で、これまでベルナデッタを刺激しないようドロテアについては触れずにきたのだが、改めて紹介したらコロリと落ちた。

 顔つきは夫に似ていて、髪や目の色も夫と同じなのだが、ドロテアは私の血を継いでいる。

 それだけで祖父が曾孫を愛でる理由には十分だったようだ。

 

 今日まであまり構ってこなかった埋め合わせのようにドロテアを街へ連れ出そうとしたが、これは少し待ってもらう。

 私だってドロテアと母子デートをしたいが、しばらくお預けなのだ。

 というよりも、祖父が嬉々として曾孫と出かけてしまっては、せっかくの撒餌まきえが罠だと夫にばれてしまう。

 

 結局、屋敷の中だけで祖父とドロテアは交流を深め、一週間ほどで満足したのか領地へと帰っていった。

 その際は、来た時のような乗馬スタイルではなく、馬車を使ってのゆっくりとした旅路だ。

 私が危篤である、という噂をばら撒くため、祖父の行動の一つひとつからも『気落ち』を演出してもらった。

 

 

 

 

 

 

 一応は『危篤中』ということで、私は外へと出かけられない。

 母が危篤の中、娘が外へ出かけるのも不自然だ、ということで、ドロテアも屋敷に閉じ込められていた。

 子どもが家に閉じ込められるとなれば、暇を持て余しそうな気がしたが、ドロテアは淑女として育てられている。

 そのため、外へ出て走りまわるような子どもではなかった。

 

 ならば暇つぶしに、と屋敷中の布を集めて、ドロテアの部屋着を縫うことにする。

 部屋着といえど本来なら仕立屋を呼び、針子に作らせるものなのだが、ベルナデッタの母親力と信頼度がゼロなのだ。

 愛娘の服を繕うことで、少しでも愛情を示してやりたい。

 それに、作るのは部屋着だ。

 屋敷の中でしか着ないのだから、素人わたし作でも問題はない。

 

 服のデザインと布を選び、ドロテアの採寸をする。

 ほとんど関わってこなかった娘は、同年代の中では少し体が大きいようだ。

 少女漫画の設定上、将来的にはボン、キュッ、ボンになるそうなので、背も高くなるのだろう。

 

「……お母さま、玄関の方が騒がしいようですが」


 何かあったのでしょうか、と微かな騒音に、愛娘が不安そうに顔を曇らせる。

 私はというと、身を寄せてきたドロテアを抱きしめ、つい一週間前にも似たようなことがあったな、と思いだした。

 あの時は、ドロテアを寝かしつけ、自室へと戻る途中だった。

 家令の入れた連絡により、私が危篤であると連絡をうけた祖父が、馬を駆ってやってきたのだ。

 

 ……今度は誰かな?

 

 まさか夫のイグナーツが、取るものもとりあえずやって来るとは思えない。

 その程度の愛情があったら、そもそも浮気相手と駆け落ちなどしないだろう。

 

 では他に、祖父と同じような行動をとりそうな人物はと考えて、一人思い浮かぶ面影がある。

 

「……お母さまのお部屋に行ったみたい?」


「そうね」


 階段を駆け上がる音がして、ドロテアの部屋とは別方向へと足音が向かう。

 微かに私の名を呼ぶ声がしたが、私は私室ではなく子ども部屋にいるので、足音の主は無人の部屋へと飛び込んだはずだ。

 

「……だんだん近づいてきます」


「そうね」


 足音の間隔と、声の大きさから、声の主が一つひとつの部屋を覗き、そのたびに私の姿を探して名を呼ぶのが判る。

 それがなんとなく楽しくなり、くすりと笑う。

 笑い出した私を見て、ドロテアは不安を感じることなどないらしい、と思ったようだ。

 肩に入っていた力が抜けた。

 

「……」


「……」


 ドロテアと二人で息を潜めたのは、ここまで順調に大声で私の名を呼び、扉を開けてきた足音が部屋の前で止まったからだ。

 少し前までの私を知っている人物であれば、ベルナデッタが子ども部屋にいるとは考えないだろう。

 

 ベルナデッタがドロテアの部屋にいるはずはない。

 

 そうは思うのだが、他に探す部屋もなくなったのだと思う。

 たっぷりと逡巡しているらしい時間が流れてから、ノックの音が響いた。

 

「……」


「……」


 なんとなく、ドロテアと互いに見つめあい、息を潜める。

 探し回られていることが楽しくなってしまい、すぐに返事をするのが勿体無くなってしまったのだ。

 

「……」


「……」


 コンコン、と再び響くノックの音に、ドロテアの肩が震えた。

 ドロテアもこの悪戯が楽しくなってきたようで、今にも笑い出しそうな顔をしている。

 

 ……くらえ、必殺・変な顔。

 

 小さな悪戯に笑いを堪えるドロテアへと、正面から裏切り行為を働いてみる。

 私の作った『変顔』を正面から見ることになったドロテアは、とうとう堪えきれなくなって笑い出した。

 

「あはは、お母さま、ひどいわ! 笑わせるだなんてっ!」


「だって、ドロテアがあんまりにも可愛らしく笑いを堪えているのだもの。これは母として、可愛い娘を笑わせなければ、と思うわ」


「もう! ずるいわっ! わたくし、一生懸命笑いたいのを我慢していましたのに!」


 お母さまの意地悪! と頬を膨らませたドロテアを抱きしめ、その頬へとキスをする。

 ここしばらくひたすら抱きしめ、大好きよと伝え続けたおかげか、少しずつではあったがドロテアが甘えた子どもらしい顔を見せてくれるようになってきていた。

 くすぐったい、と身をよじるドロテアに、逆の頬へもキスをしようとしたら、頭上から声がおりてきた。

 

「……これはどういうことだ? 愛しの従姉妹いとこ殿が死んだと聞いて駆けつけてみれば、不仲だったはずの娘と随分仲良くなったようだ。二人で結託して僕をからかうなんて」


「アウグスト兄様」


 拗ねた顔を作って私たちを見下ろしているのは、従兄弟のアウグストだ。

 はしばみ色のゆるい癖毛を、落ち着いた緑色のリボンで結ぶ、美青年である。

 残念ながら以前のベルナデッタの好みではなかったようだが、私から見れば性格込みで夫よりも格段にいい男だった。

 なによりも、ベルナデッタに対して好意的というところがとても良い。

 

「……意地悪をしてごめんなさい、アウグスト兄様」


「いいよ。まずは抱きしめさせてくれたら、きみを許そう」


 広げられたアウグストの腕へと、促されるままに飛び込んでハグをする。

 ドロテアへもハグを促すと、ドロテアもアウグストへと謝罪の言葉を述べながらハグをした。

 一瞬だけアウグストが意外そうに片眉を動かしたが、私が平然としているのを見て疑問は押し込んだようだ。

 アウグストはここでドロテアのハグだけを拒否するようなことはしなかった。

 

 

 

 

 

 

「……しかし、本当に驚いたな。きみが娘とあんなに仲が良かっただなんて」


「いろいろと目が覚めたの」


 今ではラブラブ母子よ、と子ども部屋へ置いてきたドロテアを思い、かいつまんでの説明をする。

 アウグストは祖父の撒いた噂を聞いて飛んできたということだったので、噂についての補足と、これから私が目指すことについて協力を仰ぐためだ。

 

「いつまでもアレに縛られているのは馬鹿馬鹿しいって、気が付いたのよ。でも、ただやられっぱなしというのも面白くないでしょう? だから少しやり返してやろうと思って」


 そのために撒いた嘘の噂だ。

 妻が危篤と聞けば、夫が飛んで帰ってくるかもしれないだろう、と。

 

アレの代わりに、僕が飛んできたよ」


「アウグスト兄様を驚かせる意図はなかったのですが……説明が不足してしまったみたいで。ごめんなさい」


「いいよ。おかげできみの元気な顔を見れたし、良い話も聞けたからね」


 やっと目を覚ましたか、と言ってアウグストは目を細めて微笑む。

 魅惑的な微笑みを向けられ、少しだけ背筋がむず痒い。

 ベルナデッタは生まれた時からアウグストのこの視線を受けていたため気付いていなかったが、森野優美たにんとしての視点を持つ今の私から見れば、ひと目で判る。

 アウグストはベルナデッタが好きだったのだ。

 それも、従兄弟同士という肉親の情ではなく、それ以上の感情で。

 

「きみは男を見る目がなさすぎる。よりにもよって、あんな顔だけの男に引っ掛かるだなんて」


「それは、半分以上アウグスト兄様のせいですわ。兄様がわたくしから男性を遠ざけてきたから、男性に対して目が養われなかったのです」


「それについては反省しているよ。悪い虫を寄せ付けないためだったんだが……失敗だったな」


「おおいに反省してくださいませ」


 しれっと澄まし顔で言い切り、堪え切れなくて噴出す。

 その顔だけの男に嵌ったベルナデッタが、なにをいうのか、と。

 

 ベルナデッタが夫に対して盲目的なまでに執着したのは、アウグストの影響も少なからずあったように思う。

 何しろ、ひと目惚れから結婚までの期間が異常に短い。

 アウグストがベルナデッタの周囲に異性を近づけないよう、ベルナデッタを囲い込むように振舞っていたことが、我儘娘のベルナデッタには面白くなかったのだ。

 アウグストからしてみれば好意の発露だったのだろうが、ベルナデッタにはこれが息苦しかった。

 だからこそ、アウグストが旅行で国から出ている間にイグナーツとの婚約を成立させ、結婚している。

 アウグストが国へ戻り、ベルナデッタの結婚を知ったのは、ドロテアを妊娠している頃だ。

 

 ……我ながら、鬼だね。ベルナデッタ。

 

 ベルナデッタはアウグストを邪魔者のように思っていたようだが、森野優美わたし視点から見れば違う。

 ベルナデッタより五つ年上の従兄弟が未だに独身なのは、未だにベルナデッタを想っているからだろう。

 背筋がむず痒くなるほどの甘い視線が、そう物語っていた。

 

「……さて、ベルナデッタが悪戯を考えていることはわかったが、僕になにか手伝えることはあるかい?」


「アレの見張りはお祖父じい様にお願いしてあるから……アウグスト兄様には、嘘にならない程度に噂の第二弾をばら撒いてほしいです」


 私が本当に危ない状態で、すぐにでも葬儀の準備をし始めた方がいいだろう、と。

 

「しかし……葬儀の準備か。それだと、僕がきみに会いに来るのは控える必要が出てくると思うが」


 せっかく悪夢から目が覚めたというのに、また他の男に攫われても面白くない、とアウグストは洩らす。

 以前からこういった口説き文句のようなことをポロポロと洩らすアウグストだったのだが、ベルナデッタはまったく彼の気持ちに気が付いていなかった。

 それもそのはずで、ベルナデッタにとってはコレがアウグストの素だ。

 アウグストはベルナデッタをどうしても手に入れたかったのか、幼い頃から口説き始めている。

 ベルナデッタが男女の意識をするより早くから口説いていたため、アウグストの口説き文句は呼吸と同じものだと思っていた。

 常に口説かれる側にいたため、アウグストのそれが口説き文句だとは気付けなかったのだ。

 

「ドロテアを心配して、という名目でいかがですか? 従姉妹の産んだ子どもの心配をするなど、普通のことです」


 それほど不自然に思われることなく、屋敷へと顔を出せるはずだ、と言えば、アウグストの顔が引き締まる。

 以前のベルナデッタであれば、これ幸いとばかりに近づくなと言っていたので、建前を用意して訪問理由を提示する私に違和感を覚えたのかもしれない。

 

「……そんなことよりも、ベルナデッタ。アレを排除したら、今度は僕をその位置においてくれるだろうか」


 ……あ、森野優美わたしに違和感があったんじゃなくて、求婚でしたか。

 

 さてどう答えたものかと考えて、明言を避ける。

 ドロテアが嫁に行ってから考える、と。

 現在七歳のドロテアが嫁ぐのは、早くて九年後だ。

 それだけの時間があれば、アウグストも中身の変わったベルナデッタと森野優美の違和感に気付くだろう。

 その後、それをアウグストがどう思い、どう受け止めるかは彼次第だ。


「九年か……先は長いな」


「あら、二十年以上待っていたのですから、今さらでしょう?」


 もうそれぐらい待てるだろう。

 何を言っているのか、と笑い飛ばすと、アウグストは僅かに眉を上げる。

 今さら自分の気持ちにベルナデッタが気が付くとは思ってもいなかったのだろう。

 素で驚くアウグストの顔が、少し面白かった。

 

 ……うん、ベルナデッタ。罪な女だ。

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