第5話 祖父、襲来
領地にいるはずの祖父ファウストが、王都にある屋敷へと現れたのは、
この一週間で習慣として根付きつつあるドロテアへの読み聞かせを終え、寝付いたドロテアの部屋からの帰りに、外が騒がしいのに気が付いた。
「ベルナデッタ!!」
「はい、お
バンっと音がなるほど勢いよく玄関扉が開かれ、祖父ファウストが玄関ホールへと飛び込んでくる。
外の騒ぎに、どうやら来客らしいとはわかっていたので、ゆったりとした歩みで階段を降りる私に、階下の祖父は目を丸くして瞬いた。
「ベルナデッタ! おお、ベルナデ……ベルナデッタ!?」
私の顔を見て驚き、家令のロベルトの顔を見て戸惑い、もう一度私へと視線を戻して祖父は固まる。
最初の勢いがなくなって困惑しているらしい祖父に、説明を求めてロベルトへと視線を移すと、ロベルトも祖父の様子に戸惑っているようで――否。何か思いあたるフシがあったらしい。
一瞬だけハッと息を飲み、すぐに申し訳なさそうな表情になった。
「申し訳ございません、お嬢様」
「『お嬢様』だなんて歳ではないけど……お祖父様はどうなさったの?」
「先日のお話を、私が早馬を使って旦那様へお知らせしたことが原因だと思われます」
「先日というと……」
何かあったかしら? と首を傾げている間に階段が終わる。
そのまま祖父の立つ玄関ホールへと進むと、ようやく再起動したらしい祖父にガバリと抱きしめられた。
「おお! ベルナデッタよ!! おまえが危篤だと報せを受けて急ぎ駆けつけてみれば……っ!」
「お祖父様……苦しい、ですわ」
感動のままにぎゅうぎゅうと抱きしめられて、少し息苦しい。
元ネタは少女漫画という設定のせいか、祖父はロマンスグレーの素敵な老紳士だ。
悪役の曾祖父となれば醜悪な老人にデザインされそうなものだったが、そこは少女漫画設定のおかげだろう。
イケメン老紳士に心配でぎゅうぎゅうと抱きしめられるなど、ご褒美以外のなにものでもなかった。
ただし、かなり息苦しい。
「ロベルトめが、おまえが危篤だなどと馬を寄越してな。取るものもとりあえず、急ぎ駆けつけたわけだが……誤報であったか! 危篤どころか……以前より顔色が良いぐらいではないか? どれ、その愛らしい顔をよく見せておくれ」
「お祖父様、ご心配をおかけしました。
私の顔をよく見ようと頬を撫でる祖父の手に自分の手を重ね、微笑む。
祖父の来訪の理由など、聞いてみれば極普通のものだった。
孫が病で――正確には服毒自殺だったが――倒れたと聞き、心配をして様子を見に来てくれたのだ。
「まるで一度死んで、生まれ変わったよう。心が晴れやかで、これまでの気鬱が嘘のようです」
やる気が満ちている今のうちに、手を付けたいことがある。
そう言葉を続けると、祖父は柔らかな――祖父に睨まれる覚えのある者が見れば震え上がるような――笑みを浮かべた。
「なにかな? 私のお姫様は何をお望みかな?」
なんでも叶えてやろう、と言って笑みを深める祖父に、家令へとお茶の支度を指示する。
馬を飛ばし、はるばる領地から会いに来てくれた祖父だ。
玄関ホールで立ち話など、するものではない。
「お祖父様には是非、私が危篤だと噂を流してほしいのです」
居間へと場所を移し、今後についての相談を祖父へと持ちかける。
私一人ではできることに限度があるので、借りられる
私の思う『今後』とは、愛娘ドロテアの障害を排除することである。
私は元のベルナデッタではないので、ドロテアにとっての障害を排除することに、なんの躊躇いもなかった。
「私が病床につき、枕から頭もあがらない状態にある。館には七つになる娘のドロテアと使用人しかおらず、葬式の準備もままならないだろう、と」
こんな噂を撒けば、さすがの夫も顔を出すだろう。
祖父のように私を心配し、駆けつけてくれるかもしれない。
そう続けると、祖父は笑みを曇らせた。
祖父はドロテアを出産後すぐに夫が失踪したことを知っている。
産後間もない妻を捨て、恋人と駆け落ちをするような男だ。
書類上の正式な妻が危篤だと聞いても、駆けつけるような人間だとは思っていないのだろう。
私ももちろん、夫がそんな可愛らしい人間だとは思っていない。
「きっと夫は戻って来ますわ。危篤のはずの
侯
「あれは愚かな男ではあったが、そこまで恥知らずではないだろう」
「そこまで恥知らずな男でなければ、娘に一つ下の妹などいるはずがありませんわ」
妹のことは、祖父でも知らなかったらしい。
溺愛する
「カシーク家からは、『夫を匿ってはいない』という回答を以前いただいたはずですが……」
「そんな話があったな」
ドロテア出産後、姿を消した夫の行方をベルナデッタが追跡しなかったはずがない。
そして、それを祖父に頼らなかったはずもない。
祖父はすぐに夫の生家であるカシーク家へと連絡を取り、領内へは戻ってきていないという回答を得ている。
人を雇って探させもしたが、カシーク領から夫が見つかることはなかった。
が、これは夫の失踪直後の話である。
浅はかな男ではあったが、一応は物を考えるための頭がついていた。
多少は考えて、祖父の手から逃れることぐらいは考えるだろう。
雇われた人間が夫を探すタイミングとずらしてカシーク領へと戻れば、祖父に見つからずに領内に潜伏することも可能だ、と。
「夫はカシーク領のはずれにある、カシーク家の別邸にいるようです」
恋人――もう気を使うのは止めよう。私が妻なのだから、恋人ではなく愛人、もしくは浮気相手だ――は別邸近くの町にある食堂で働いている。
なぜそんなことを屋敷からろくに出ない私が知っているかと言えば、ネット小説の知識だ。
屋敷を乗っ取った夫がドロテアを罵倒する際に、ご丁寧に自分の不幸自慢として『不遇の駆け落ち期間』を語っていたのを覚えている。
「カシーク家はアレの行方は知らぬ、と言っていたが……」
「嘘です。でなければ、いつの間にか別邸の鍵が消えていても気付かない、そこに誰が住み着いていても気にしない、不自由な方たちなのでしょう」
「ほう。カシークめが、私に嘘を……」
他人からしてみれば、祖父の言動こそ心配するだろう。
けれど、祖父はこれが普通である。
将来的にドロテアの障害となるものを排除するためには、森野優美の良心など蓋で閉じ込めておく。
そもそも、私は嘘をついていない。
祖父が私の言葉を信じたとしても、嘘をついてはいないのだから、なんの問題もなかった。
「そうだな。カシークめに、誰に逆らったかを教えてやらねばな」
「まぁ、お祖父様ったら。……悪そうで素敵なお顔」
頼りにしています、と話を結ぶ。
と、タイミングよく家令が祖父が泊まる部屋の準備が整った、と居間へとやってきた。
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