第64話

かつてこの地は、世界中の富を独占した者たちが集う地上の楽園、薄汚い欲望にまみれた歓楽の街であったという。地上では、各々が持ち寄った乗り物に生きた人間を乗せて、誰が一番早いのか?誰が最後まで走り続けていられるのか?などと言う、極めて下らない疑問の元、金と命を秤に乗せた賭けが行われ。地下では堂々と人間や、絶滅の危機に瀕した何の罪もない生物たちが競売に掛けられ、日を跨ぐよりもずっと前にゴミのように捨てられた。流動分子固定装置りゅうどうぶんしこていそうち自然樹光触媒しぜんじゅひかりしょくばいの作用によって半永久的なリソースを得たこの街では、まさに、金さえあれば飛ぶ鳥も落ちる。といった、潜在的な不愉快を煽り立てる言葉がまさに適当な場所であり。それを地で行く腐った油を詰めたボトルの如き連中が悠々と闊歩する堕落した人間性の掃き溜めとも呼べる場所なのだ。


奴らがいったいどこに行ってしまったのか?それが、肝心だ。


ソロモンは、携帯していたエクスプロイターの動力シリンダーをスライドさせて、中のミラーリングバレルの劣化具合を確かめた。本来ならば、先の作戦を最後に壊れるはずだったこのエクスプロイターは先ほど死んだ仲間たちの破格の献身によって辛うじて残り数発撃てる状態が保たれていた。


「何を泣いているのです?ソロモン」


「・・・」


「価値の無い。全く。全く、価値の無い行為です。いやはや・・・あなたには失望しましたよ」


背後からソロモンの肩に大柄の細く白い女のような手が乗せられて、金色に装飾された指先が順番に折りたたまれて彼の衣服に食い込んだ。ソロモンは、手にしていたエクスプロイターを元の位置へと戻し、慣れた様子でその手を払い落とした。


給料野郎インカマー。何の用だ」


専用の昇降機で単身この地を訪れたインカマーは、まさに王のような威風堂々とした振る舞いに戻ったソロモンに対して体を真っ直ぐに向けると、その背中に向かって両手の爪の先を胸の前でそれぞれ寸分の狂いなく合わせ、頭を下げ、彼なりの最大限の敬意を表した。彼の縦長の虹彩がゆっくりと開かれ、もはや作り物のように入念に装飾された口と喉と胸元が僅かに動く。


「この前お話した案件について、そろそろお返事頂けないかと思いましてね。焦らせるつもりはありませんが、あなたはが最も価値があるものだとご自分でもお気づきでしょう?無論、お仲間方も・・・とかく、生命というものは、刻一刻と醜く劣化し、その価値は・・・常に、安くなっていくのです。安く安く。無価値なものへと」


「・・・」


「あなた達、経済生物が生み出す利益は細やかではありますがなかなかの物です。塵も積もれば山となる・・・。最も、そうなるように仕向けたのは、この、わたくしなんですけどね。ですが・・・」


「・・・」


「一度。壊れてしまえば・・・ッパァン!・・・それでおしまいです。あなたの言葉で言う所の。という奴ですね。ふふ。ですから」


「・・・」


「あなたが、まず、皆さんに対して規範きはんを示すのです。無価値なものから価値を。焼けた文明からから宝石ジュエリーを。酸素から金を。つちくれから命を。死から現金キャッシュを。さながら、何万年も前に滅びた愚か者たちの叡智。『錬金術れんきんじゅつ』のように。貴方でしたら、勿論、おわかりですよね?」


下らない口上に背を向けて、それら全てが終わるのを待っていたソロモンは、それ以上、続く言葉が無いようなので、ようやく口を開いた。まるで、彼等すべてを代表するかのように。


「膨れ上がる価値は、やがて世界を喰い尽くす」


どのような宝石よりも美しい燃える瞳がインカマーを捕えた。彼は蛇に睨まれた蛙のように体を強張らせ、遺伝子の奥底に眠る生物的な感覚の一時的な目覚めに愉悦した。彼は汗ばむ指先をすり合わせて、まるで無駄だと思いつつも、目の前の人物にそれを悟られぬように口角をほんのわずか持ち上げた。


「もしそうなるとしても、排泄されたものから再び価値を生み出すだけですよ」


言い終える前に、ソロモンは再び背を向け、それ以上なにも語ろうとはしなかった。

インカマーは、彼の背後に寄り、今度は両方の肩に指先を喰い込ませ、耳元で囁いた。


「お金を請求するつもりはありません。あなたが今日死ねば、ゴンドラ300。明日死ねば200を用意しましょう。あなたが特別目をかけている方々も、勿論同様に扱いますよ?わたしはあなたの死やあなたの素晴らしいお仲間たちの死が役立たずのに終わってしまうのがどうしても我慢できない。ただ、それだけなのです」


マーケットに訪れていた最後のゴンドラが上昇を開始し始めた。

それと、すれ違うようにいくつものゴンドラがゆっくりと降下をし始めていた。

二人はその様子を視界の隅で捉えていた。


「そうでした。じきに業務が始まります。そろそろ失礼させて頂きますよ。あなた方と違ってわたしは時間に追われる身なのでね」


不快な気配が一度遠のいて、それは少し間を置き再びソロモンの耳元へと戻って来る。


「今日は一段と、騒々しいようですね?一体何があったのでしょうか?」


ソロモンは、耳元にへばりつく不愉快な実体のない悪意のような幻想をことごとく冷徹に無視し、文字通り耳を貸すことをしなかった。

インカマーは再び歩き出し、背後に向けて言った。


「ふふ。通路はいつでも使えるようにしておきます。あなたのお仲間たちの事もわたしは歓迎いたしましょう。ご機嫌用。わたしの黒い太陽ブラックサン・・・」


次の瞬間。ソロモンはエクスプロイターを抜いて構えた。






「・・・」





「・・・」







あわれだな」


白く気味の悪い巨体は何事もなくクルードのどこかに飲み込まれて消えた。

何者かをを乗せたエレベーターが起動して、それはあっという間に地上まで昇り切り、エクスプロイターはすぐに元の場所へと戻された。

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