第30話
ヨナは、住んでいるアパートの周りにこんなにも野ざらしの人間が大勢いたのだという事実を改めて思い知った。それらが一体どこからやってきてどこへ行くのかを彼は知らない。
メルロック・フェイカーは、建物が立ち並ぶ通りから少し離れた場所に停めてあった。搭乗者の持つ起動キーを認識するまで完全に姿を消す特殊なボディは彼の大いなる秘密を隠すにはもってこいの物であり、移動手段としても使用できるそれは、今最も重要な要素の一つだった。
燃え盛る通路と悲鳴の前を影のように横切って、建物の角を何度か曲がる。
この先だ。
「まって・・・」
耳元で囁くような声と一緒に、街の騒ぎが鮮明になる。
「もう少し休んだ方がいい」
ブルーカラーの娘は、もそもそと動いてから今度は逆側の耳に向かって密談するような口調で言う。
「とても、嫌な臭い?がするわ。ヨナ。その角の先からよ」
「匂い?」
「ええ。そんな気がするの」
ヨナは、壁に背中を張り付けるように寄りかかって耳を傾け、鼻を利かせた。
今日の街は異常だ。
得られる情報全てが異常に思えて、彼女が言う嫌な臭いという奴がいったいどのことを指しているのかすら分からない。彼は今度はゆっくりと覗き込むように角の先を見た。
昼間よりも明るく照らされた狭い路地には巻き上げられた沢山の火の粉が降り注いでいた。目を凝らしてみると火の粉はメルロック・フェイカーの透明な車体の形をうっすらと浮かび上がらせている。
「大丈夫だ。すぐに屋根のある場所まで行ける。そこには、君に見せたいものもあるんだ」
ヨナは、タイミングを計って出来るだけ降り注ぐ火の粉が少ない間に進もうとした。
「まって・・・!違うの」
そんな彼をブルーカラーの娘は止めた。
「違う?」
「そう、とても嫌なにおいがするわ」
彼女の言う通り、辺りには酷い匂いが立ち込めていた。
その匂いの内のどのことを言っているのかヨナには分らない。
彼は、もう一度メルロック・フェイカーの周りを凝視したすると。
「ね?ヨナ。変でしょうあそこ・・・なにかあるわ」
「見えている」
ブルーカラーの娘が言うのは透明になっているメルロック・フェイカーの事だろう、しかし、この時ヨナもまた次第に明らかになる周辺の異常に気が付き始めていた。
注意深く目を凝らさなければ到底気が付かない。
完全に透明になっている空間のそばに二つ、歪んだ透明な人影が確かにあった。
数秒の短い間様子を伺っていると、どこか近くで大きな爆発が起きた。
巻き上げられた大量の火の粉が再び透明な空間に降りそそぐ。
すると、一瞬、黒い薄布で締め上げられた屈強な体が姿を現したかと思えばまた消えた。
形状からしてそれは女のようだった。
「・・・なんだ彼女たちは」
「・・・ヨナ向こう」
「わかった」
このブルーカラーの娘にどんなあてがあるのかヨナには分らなかった。しかし、彼はその言葉に一旦従う事にした。
元来た路地を少し戻り、煙が立ち上るいくつものグレーチング(街の排気を促すための埋め込み式の格子状の蓋)の内の一つを彼女は指さした。
先入観を否定して観察すると、明らかにそれひとつのみ痛みが激しく摩耗しているように見えた。まるで、それだけ何度も何度も使い古されているかのように。
ヨナは格子の一つに空調パイプを差し込んだ。
「まって・・・!」
背中のブルーカラーの娘の心配をよそに、街の者らはやはりそれどころではない。誰も、自分たちの事など監視してなどいない。
しかしながら、ヨナは指示に従い少しの間待つことにした。
「よさそう。ヨナ、行きましょう」
「わかった」
街を封じ込めていた蓋の一つが取り払われ、狭く小さな穴が開いた。
ヨナの背中に強く張り付く力が加えられたので、彼は素早く穴へと体を滑り込ませ元通りに蓋をした。この時、彼等を知る者はだれも居ない。
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