第28話

ヨナは咄嗟に人で出来た大波の第一波を躱した。

真っ先にかぶり寄った者はそのようにしてあっさりと躱された。にもかかわらず万事計画通りに事が進んで、早くも勝ち誇ったかのような微笑みを角ばった顔に浮かべると瞬く間に人の波に飲まれて視界から消え去った。


通路を覆いつくすように次から次へと人間が押し寄せる。

古いアパートは小刻みに振動するだけでびくともしない。


引く事の無い波は、初めからずっと第一波のままヨナを追い詰めた。

二人目を躱し、3人目も躱し、いよいよ上の階に逃れるしか術がなくなりつつあった。背中のブルーカラーの娘は状況を理解しつつも弱音を吐かない。


押し寄せる波からヨナは逃れた上へ。


するとどうだろう、逃れた先から見えたのは先ほどとまるで同じ景色だった。


今まで倒してきた者らに止めを刺さなかったことが仇となったのだ。


一時的なダメージから回復した平和贈呈局員たちの目はどこか人間離れした根源的な力を宿しているように見えた。彼等の腕が沢山のうねりになって迫った。背中のブルーカラーの娘が怯えている。ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ、そして、痩せ馬のロシナンテの旅はここまでだ。通い慣れたアパートの通路から一歩も出られないとはなんという結末なのだろうか。この娘の物語にもこんなにも酷い物はたったの一つとして無かった。


この街に平和を齎す彼等、平和贈呈局の局員たちはこの日も質実剛健に自らの使命をまた一つ果たしたのだ。


『捕まえたぞっ!!!!!』

『拘束しろ!!!!』

『骨を折れ!骨を折れ!』

『潰せ!逃がすな!』


手も足も、指先も、それがどこにあるのかもわからないような感覚がした。


「痛いッ!!いたいいたい!!やめて!・・・やめて」


ブルーカラーの娘の傷口に大きな圧力が加えられた。彼女は絶叫に近い悲鳴を上げた。


ヨナはもう抵抗するつもりもなく身体を脱力させた。不思議と痛みは感じない。

そうしているうちに段々と怒号や、悲鳴が遠のいていった。

淘汰、はたまた度重なる選別の末にどこかに置き忘れてしまった彼の記憶が見せたのか、それとも、あのブルーカラーの娘が紡ぐ物語の一つにあったのか、薄れゆく意識の中で彼はあるものを見た。


「・・・星だ」


奇妙な事に、組み伏せられた通路の冷たい床から見上げる天井は空のように高く見えた。彼等は、平和贈呈局の者たちは文字通り姿を消していた。

ヨナがそっと手を伸ばしてみるが届かない、空に向かって打ち上がる星はある程度の高さまで打ち上がると七色の輝きを放って砕け散った。それは彼にとって今まで一度も見たことが無い程に美しい光景だった。


その七色の光の周りからさらに何かが生み出された。新たに生み出された物は爆発的に広がって空間を飲み込んだ。平和贈呈局の者たちも、ヨナも、ブルーカラーの娘も、この古いアパートも、街すらも飲み込んだのかもしれない。


ヨナはスローモーションのようなその光景をじっと観察していた。

ふと、気が付くと頬が熱い。


これは、エクスプロイターの銃口だ。

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