第22話

ヨナの体はどちらかといえば扉よりも離れていてその事が幸いであったのか、また、そうでなかったのかは今となってはもうわからない。


酷い耳鳴りと砕かれた建材の粒子が舞い上がって出来た靄と強い血の匂いの中に彼はいた。


上か下か、あるいは右か左かもわからない。自由を失った体を何とか持ち上げてヨナはブルーカラーの娘を探した。

ぼやぼやと霧の向こうで鳴り響く汽笛のような音がして、彼の目の前を大きなブーツが通り過ぎていった。床と壁そして天井の位置関係が確かになり、ヨナはその後を追った。


ブルーカラーと思わしき物はその先に折りたたまれた状態で落ちていた。

持ち上げられた指先は不気味に焦げていて、腕や足や頭と言った物らがいったいどこから生えているモノなのかすらわからない。

そしてそれらは今なお広がる新鮮な血だまりの中心にあった。


ああなんてことだ


ヨナがそう呟くと血だまりの中心の物は命を吹き込まれたかのようにビクリと一度跳ねて獣のようにおぞましい音を立てて、ぐったりとこと切れた。

ヨナにとってそこそこ見慣れた風景のはずであったが、この時彼の中にあった何かが音を立てて壊れてしまったような気がした。


ヨナの耳や平衡へいこう感覚が次第に回復し始めた頃、平和贈呈局員の一人が突き付けたエクスプロイターそのままに、巻き上がった塵や埃が晴れていくにつれ明らかになる部屋の中をぐるりと見まわして当惑したようにつぶやく。


「なんだこれは・・・」


ヨナは彼等にきちんと説明する必要があると感じた。そして、自分たちがいったい何をしてしまったのかを理解する必要があると思った。これから、彼等に訪れるであろう災難が妥当なものであり、その理由を思い知らせななければならない。


「この絵はそこに居るブルーカラーがすべて書いたものだ」

「これを?・・・すべて?」


平和贈呈局員たちはすぐに殺してくれとでも言わんばかりに隙だらけになって狭い部屋にかかれた絵の数々を見回した。彼らが足元にも同様の絵が広がっていた事に気が付くとヨナは再び口を開いた。


「彼女は君たち一人一人が個のキャラクターとして、何かに必要とされるような世界を創造したかもしれないんだ。わかるか?例えば、その巨人だ」


ヨナは、九つのを持つ怪物『クジラ』と格闘する人のシルエットを持った絵を顎で指した。

奇跡的に無傷で残っていた絵を平和贈呈局員たちも視界の隅で捉えた。


「その巨人は『結ぶ巨人タイ・タイタン』」


薄らいでいく意識の中でヨナが続ける。


「彼は寝静まった夜に人々の頭上に現れては眠りを妨げ嫌がらせをするクジラを人々の住処から追い払うために人の王が雲の上から呼び寄せた巨人だ」


ヨナは、彼等平和贈呈局員の者らの記憶力が大変優れている事を知っていた。

せめて、彼等だけが覚えていてくれさえすればそれでいい。


「結ぶ巨人はある条件と引き換えに人々が安心して眠れるようにクジラを追い払う事を約束した。その条件というのが彼の後ろの絵だ」


怪物との死闘を繰り広げる巨人の後ろには円形上の枠に何本も紐を通した不思議な道具を携えた女の絵が描かれていた。


「結ぶ巨人は人間の美しい歌声が何よりも好きだった。その娘は王の娘だ。君たちは知らないかもしれないが彼女が持っているものは『ハープ』という楽器に近い物だろう。結ぶ巨人は100日間の激しい戦いの末ついに怪物を人の住処から追い出し。人の王は、最愛の娘を年に1度巨人の元へ送り。歌とハープの演奏を聞かせたそうだ」


ひとつの物語を語り終え、ヨナは自分の体から生命力が一つ抜け出ていくような気がした。視界がぐらりと下がり暗くなったが、彼は最後まで続けるつもりだった。

しかし、平和贈呈局員たちにとっては彼の語る物語など何の価値もない絵空事であり、規則通りに務めを果たす事こそが彼等の価値でありまたリアルでもあった。

ヨナが原形をとどめている絵をどうにかして探し出そうとしている僅かな間に、平和贈呈局員の一人は顔色一つ変えずに言った。


「残念だが。少しも分からないな。おい、そのブルーカラーはどうだ?」


平和贈呈局の一人はゴミでも扱う様に、靴底で遺体をひっくり返して答えた。


「脳はまだ使えそうだな」


ヨナは、邪悪だ。と、思った。


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