第15話

一日の終業を告げる鐘の音が近づくとヨナは一度座りなおした。

そして、鐘の音が鳴り響いたのはそれから数名のブルーカラーに配給カードを渡し終えた頃だった。


食料分配局の窓口のシャッターは一斉に閉じられて、向こうからはまだまだ大勢の気配が感じられた。小さな入り口から一日という時間をかけて補充され続けたブルーカラーたちは、今日も食料分配局のエントランスホールに充満していて、これから時間をかけてそれぞれの居場所へと帰るのだ。


そこに必ずしも屋根があるとは限らない。


ヨナは台帳とレシートを整理し帰宅の準備を整えた。無駄話をする局員など当然どこにも見当たらない。彼は無意識に例の強欲な男を探した。この日、ヨナは残り物を彼に渡さなかった。しかし、ヨナのかすみのようなうっすらとした心配をよそに例の強欲な男は真っ先にその場から姿を消していた。


そして、食料分配局の前ではこの日も小さな人だかりが随所に出来ていて、ホールに充満していたブルーカラーたちの放出も完全には終わっていなかった。


ただただ、通り過ぎていくだけの彼らの顔の中にヨナはどこかで見たような顔を見つけて、間違いを証明するためだけに一瞬立ち止まった。


「・・・まさか」


奔放に揺れる汚らしい人影の隙間からちらちらと覗く顔に向かって、ヨナは一歩また一歩と歩み寄った。見開かれた瞳は黒々としていて、あのブルーカラーの娘の頭髪のように艶やかだった。投げ出された手の指は何かにしがみつくような形のままで硬直し、折りたたまれた足の上にはぐったりと体が乗っていた。


「・・・なぜだ」


この場に集まった人々をずっと図々しくさせたのは、どこか普通ではないストーリーを互いが共有していたためだ。ヨナの存在に気が付いたブルーカラーの男は、小汚い編み帽子を外して、僅かに髪が残された油頭を夜風にあてると囁くように言った。


「強盗だってよ。赤色をもらったらしくてよ。それをやられちまったんだ」


赤色の配給カードもブルーカラーの死も、どちらも、それほど珍しい訳ではない、しかしながらそれを略奪され、さらには命をも奪われた事がこの悲劇の凄惨さをほんの僅かだけドラマチックなものに仕立て上げていた。


「みろよ」


別のブルーカラーが遺体の手から布きれを拾い上げ広げた。

使い古されたボロボロのハンカチのようだった。

布切れには、ただの円に黒い点が二つ、その下に小さな円が描かれぐねぐねとよれた書体で文字が書かれていた。


『まま』


ブルーカラー達の殆どは文字が書けないし読めない。

しかし、そんな彼等にも親から子へとまじないのように伝承され続けている言葉が存在している。その一つがこれだ。まま。これは、母親の事だ。



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