五話 2-5

『永遠の愛をあなたに捧げます』


 しかし捧げられたその祭壇が、見せかけだけのハリボテだと、お前は知っている。


 どこかのホテルの最上階。

 街を見下ろす豪奢なラウンジ。

 告白と同時に静寂が訪れる。

 お前の嘘にも劣らない、出来すぎといっていいくらい整えられた告白の場。


 その中心でお前はまず、その約束はできないな、とだけ思った。

 お前にとっての愛とは、誰かと誰かが交わす約束事であって、お前に与えられるようなものだなんて思ったこともなかった。

 目の前にひざまずく、見目麗しい男を見下ろしながらお前は考える。

 この男は自分の何を愛したんだろう?


 問い直すまでもなく、お前にはそれが見える。

 男の望みはお前だけではない。

 稀代の歌姫の夫の座であるとか、更なる成功の足場だとか、性欲を満たす相手であるとか、その他全ての欲求が混ぜ合わせになったものだ。

 お前を手に入れることを、それら全てを解決する手段として認識しているようだということが、お前には全て、ありありと見える。


 下手くそな嘘だな、とお前は思う。

 同時に、お前はお前を縛ろうとする約束の出現に身を硬くする。

 好き勝手に嘘をついてきた自分が、徐々にその嘘に追い詰められていくような感覚が迫っているのを、お前はようやく認識する。


 お前はその申し出をさらりと断った。

 まさか自分の申し出が断られるなどとは夢にも思ってもいなかった男は、文字通りたっぷり一秒ほど固まった。

 最高のシチュエーション。最高の相手と言っていい。

 それでもお前は、それを足蹴にした。




 どうやってそれが気取られるものなのか、お前がその俳優を袖にしたことはあっという間に世間に広まった。

 人気俳優のファンはお前のことを悪し様になじり、お前のファンは俳優のことをフラれ男とせせら笑った。

 お前はそれらの反応を眺めてうっとりと微笑む。

 もはやお前が動かなくとも、お前の影響力は人々を騒乱に駆り立てる。

 罵倒も非難も、賞賛も喝采も、お前はお前に向けられる全ての反応を心から愛した。

 モニターに見入るお前の満面の笑みを見て、俺は満面の渋面だ。


 お前は変わらず新しい歌をバンバン歌い、その歌詞の解釈を巡って人々が争う。

 男を振った女の想い。

 叶わぬ恋に焦がれる女。

 恋を想いあっているのに引き裂かれる二人。

 ありがちでうんざりする、どこにでもあるようなラブソングは、それ故にあらゆる曲解を受ける。

 恋なんてそんなものだ。

 愛なんてそんなものだ。

 どこにでもあって、ありふれた、下らないものだからこそ、誰もが身近に感じることができる。

 中身のない嘘を歌うお前にとって、恋愛は最高の題材だった。

 具体性がなく、陳腐で、下らなくともそれは、尊いとされていたからだ。

 恋も嘘も。



 だから、お前にもありがちでうんざりする、どこにでもあるような中でも、最悪のやつがやってくる。


 繁華街の一角を歩くお前の前に、ふらりと人影が立ち塞がる。

 整った顔付きにすらりと伸びた手足。

 だが肌の色は悪く、目の下には隈が浮かび、無精髭が生えている。

 その手に、刃物が握られていることに周囲が気付き、悲鳴が上がる。


 お前はそれが、お前に愛を囁いた男だと気づいて、満面の笑みで、こんにちは、などとのんきに挨拶する。

 自分に向けられた殺意を全身で受けて、余すところなく味わい尽くす。


「お前……なんだ、ふざけてるのか、お前のせいで僕は……めちゃくちゃだ」


 ついに来たか、と俺は思う。

 こんな極限状態なら、流石のお前も嘘をつくのをやめるだろう。

 期待する俺。

 まあいい、まあいい。

 暴力沙汰はスマートじゃないが、この際仕方ない。

 やっちまえ!

 こいつの嘘を暴き立てろ!!!!


 男の目の焦点は合わず、手は震えている。

 男の殺意は本物で、お前に向けられている。

 お前にとっては、以前に向けられた雑念の多い欲望よりも、その純粋さがよっぽど好ましく感じられた。


 えマジで? 俺はお前の化け物ぶりに心底ビビる。

 いくらなんでも、それはないだろ!?


「おいで」


 お前は優雅に両腕を開き、女神のように柔らかく微笑んだ。

 その一挙手一投足は、演劇の中、心地よい夢のようで、周囲の緊迫した空気を一瞬で塗り潰す。

 甘いお前の言葉に導かれるようにして、男は奇声をあげながらお前に突進する。


 そして男は、唇が触れ合うくらいまで近づいて、変わらず蕩けるような甘い笑顔を浮かべるお前を見て、初めてお前の底に触れる。


 空っぽの存在。

 何もない。


 この瞬間、お前が自分に対して何の感情も持ち合わせていないということを、一流の俳優が有する感覚でようやく理解する。


「ひ、ばけもの」


 男は心底恐怖して、お前から飛び退った。

 お前の胸に深く突き刺した刃物を抜いて。

 派手な演出のように血が吹き出す。

 そこでようやくお前のかけた魔法が解けて、周囲の観客どもはこれが現実なのだと再び気づく。


 お前は強く落胆する。

 舞台に登ってきた役者が、突然役どころを捨てて逃げ出したことに、同じ嘘吐きとして憤る。

 誘われた物語に乗っただけなのに、当の本人は「違う、そんなつもりじゃなかった」だとかなんとかほざいて狼狽え、お前は一人舞台に取り残される。

 ここは一つ、気の利いた文句でも投げかけてくれなきゃあ。

 加速した思考で、お前はそんな事を考える。


 お前はごぶ、と息と血を吐いて、脚から力が失われ、その場に崩れ落ちる。

 倒れる時にまで姿勢のことを考えていて、俺はお前のそういった徹底具合に吐きそうになる。


 倒れるお前を取り囲む無数の目。

 スマートフォンのカメラ。

 お前はそれにどう写れば見栄えがするかを考えるが、身体を動かす力が入らない。

 それでも倒れる時の勢いを使って、お前はなるべく顔に髪がかからないように心がける。

 オエーッ。








 お前が意識を取り戻した時、お前は自分の身体が指の一本さえ満足に動かなくなっていることに気づく。

 全身にじくじくと響く痺れるような痛み。

 お前は意識を失う前のことに思いを馳せ、自分が病院に運ばれたことを理解する。





 側で話す女、医者か、看護師か、ともかく何か知っていそうな奴の噂話に聞き耳を立てて、お前は自分が歌声を失ったことを知る。

 人の気配が去り、一人取り残されたところで、聞いた言葉が本当かどうか確かめようとして、確かめることさえ自力ではできなくなっていることをお前は認識する。


 代わりに胸に激痛が走って、ヒッ、と音が鳴る。

 それは肺をやられたお前の身体が、もはや綺麗な音を立てることが出来なくなったからそう鳴ったのだが、その音があんまりにも、御伽噺の悪役が笑う時の声――ヒッヒッヒ、というやつ――に似ていたから、お前はそれにウケて笑う。

 ヒッヒッヒ。肺がやられているのに笑うもんだから、どうしようもなく咳が出て、呼吸が乱れる。

 傍から見ていたら、呼吸が上手くできなくて、苦しんでいるように見えたかもしれない。

 ヒッヒッ、ヒーッヒッヒッヒ。

 事実そうなのかもしれないが、お前は自分に起きた新しい変化を束の間楽しむ。


 お前の身体がお前の意に沿わなかったことはなく、身体が意思に逆らうことをお前は新鮮に思う。

 お前の積み上げてきた嘘の研鑽が一瞬で失われて、干からびたような音しか出なくなったことを、お前はしばし堪能する。

 そのせいで本当に呼吸の状態が悪化してきて、お前の意識はだんだんとぼんやり溶けてゆく。ただ眠りにつくのとは違う、二度と戻れない不可逆な意識の消失の気配をお前は感じる。


 そんなとき、ふと浮かんだ言葉をお前は口にしてしまう。

 誰もいない薄暗い病室のベッドの上、横たわるお前に着けられた人工呼吸器の中で、誰にも届かない独り言を。

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