1-2 ハンドラーと騎士

 一心に祝詞を捧げる。この地の古代語で書かれていると言われたそれを、俺は生まれたときから、あるいは生まれる前から読むことができた。

 それは日本語だったからだ。時代も大きく異なることはないだろう。江戸以前とか、あるいは遠い未来だとかではない。俺が生まれ育ちそして――死んだらしい、二十一世紀の日本の言葉そのものだったから。


 そう、俺はいわゆる転生者だった。死んだときのことは覚えていない。新たに生まれたときのこともまた。どうでもいいようなことばかり覚えていて、父母の顔も思い出せなければ、何が大切だったのかも定かではない。けれど物心ついたときにまず意識に上ったのは前世の記憶だったし、直後凄まじい高熱を出して寝込み――三日三晩して、ついに医者にもさじを投げられて神頼みのためにつれてこられたこの祠で、俺ははじめて目にしたこの祝詞を諳んじたらしい。


 そうするうちにみるみるうちに熱は引いていって、夜が明ける頃には口もきけるようになっていた。その時からこの領の守護神様は俺個人の守護神でもあると当時の祭司長や俺の両親たちによって認められて、本来ならば関係者以外立入禁止の祠への参拝を許されるようになった。


 俺は前世の記憶について誰にも話していない。両親や親友にさえ。子供の姿を演じて、受け入れられている。


 本当の自分がどちらなのかなんて、決着がつく問題とも思えない。


 独りきりの祠の中で、俺は祝詞の結句を告げる。


「自己回路診断開始せよ。ナイトフォール、起動アクティベート

「ステータスオールグリーン。MMI02-ナイトフォール、スタンドアロンモードで起動中。残稼働時間、四億秒で推移。おはようございます、ハンドラーアイザック」


 無機質な音声が洞の内側に響くとともに、解像度の高い地形図が視界に投射される。エリア名、ハービンジャー。それはこの領とその周辺の領を含んだ詳細地図だ。小さな光点がうごめくそれは、リアルタイムで更新されていることを明確に示している。


 当然、こんな地図は領主家たる俺の家にも存在しない。


 ここで初めの問いに戻ってくる。いったいこれはなんだ?


 外観は無骨な石造りの像で、背丈は5メートル前後。鋭角で構成された厳しい頭部構造に、鎧を着込んだ大男のように膨れた身体は、さながら羽化を待つ蛹のようでもある。一見して仏像や神像の類のようで、両親や祭司たちはそのように扱っているが、そんなに単純なものでないことは俺が一番知っていた。


 神託機、と老齢の祭司長は言っていた。この石像は時折神託を下すというのだ。意味の定かならぬ言葉で、たとえば高熱に苦しむ幼子を救ったときなどに。


 その言葉の意味は、多くの場合俺にとっては明瞭だった。コミュニケーションを図ったことさえある。ただ、言葉の意味がわかることはまだ誰にも話していなかった。それはあまりにもこの地域の言葉とは異なっていたし、たとえば伝説に聞く”万言”のような天与魔術ギフト持ちと誤解されるならまだしも、異物として排斥されては生きていけない、というのが七年前の俺の判断。その判断を後悔したことはない――家族への隠し事を二つも抱えることが、心のなかで棘のようにならなかったとは言えないけれど。


「おまえは何だ?」

「その情報へのアクセス権限がありません、ハンドラー」


 自然言語を理解しているということ。特に、”日本語”を操ること。知性があること。なんらかの治療行為を行える程度には外界に働きかける手段があること。その体躯。無機的な材質。総合して――元21世紀人の俺からしてみると、こいつは漫画やアニメで見たような巨大ロボット……としか思えない。


 なぜそれが、どうしてこんなところにあるのか。御神体として祀られながら、何らかの機能を果たしていることの目的は何なのか。わからないことはとてつもなく山積みであり、七年ここに通い詰めて、司祭見習いとしての立場も得て、日々向かい合ってみても今のところ解消の見込みはない。


 一通り周辺図を眺めた後、手で払って視界から消し去る。今日も大きな異常なし。

 


「父さん。最近の月獣の活動について、体調から報告受けてる?」


 その日の夕食の席、ふと会話の途切れたタイミングで兄はそう父に切り出した。


「いいや、何も。例年だと春前には活発化することがあったな。その件か?」

「そうじゃない。むしろ数は減ってて……なんていうか、奇妙だ。散発的かと思えば日が完全に暮れる前に大型が現れたりする」


 今日も夜交代前にオーガ級が出て、隊員一人が重傷を負った。食器を置き、真剣な表情でそう語る兄に、父もまた渋面になる。


「今までにないことだな。他になにか異常はあったか?」

「いまのところは。けど月獣の生態については王都の魔術師たちにもまだ解明されてない。気づいてないだけでおかしな兆候は他にもあるかもしれない」

「ふむ……後で隊長に詳しい話を聞くことにする。それと負傷した隊員の家はどこだ? おまえの判断でうちからも見舞金なりを出してくれ」

「ありがとう、父さん」


 二人の間での話はそれで終わったようだった。俺の視線が不安そうに見えたのか、兄はにこりと相好を崩すと俺の頭に手をおいた。父もまた、食卓に降りた沈黙を払うように、大皿に箸を伸ばし始める。


 心細気な母を勇気づけるように、兄は言葉を続けた。


「心配するなよ、俺が生まれてからこっち、村に大きな被害が出たことはない。それに報告を上げれば王都から機動魔鎧きどうまがいの二、三機借りれるかもしれない。アイクは見たことあるか?」


 機動魔鎧。何度か話には聴いたことがあるけれど、見たことはない。この国の主要戦力を担う兵器らしいが、このあたりの領はどこも金銭的に余裕があるわけではなく、また月獣の被害もさほどではない。自警団という私兵を抱えているだけで手一杯、というのが実情だと父がぼやくのを耳にしたことがある。


「身の丈がオーガ級の倍くらいはあってな、実際大型月獣とサシで組み討ちして打ち倒せる。機体によっては乗り手の魔術を強化する機能があったりもするし、王都では機動魔鎧と随伴魔術師を組み合わせた戦術も多数開発されていたり、戦場の華ってやつだ」


 俺も王都で学生をやってたときに一度だけ乗ったことがある。おまえも通うことになったら乗れるかもな、と兄は誇らしそうに言う。それが年若の弟から不安を取り除くために言っているのだとしても、兄の話からはどこか強い希望のようなものを感じさせた。


「乗って戦うの?」

「ああ、人が乗って魔術で手足を動かすんだ。乗り手は騎士と呼ばれ、王都でも屈指の名声を手にしている。だけど誰でもなれるってわけじゃない……適性があるからな」

 俺はなかった、とあっけらかんと兄は言った。


「だけどおまえにはあるかもしれない。大事なのは鎧を操るための念動魔術サイコキノと、なにより鎧で拡張された手足を自分のものだと確信できる想像力だ。熟達した搭乗者は、外からでも機動魔鎧を操る……らしい」


 その後、兄イッシュの身振り手振りも交えた学生時代の話で食卓は大いに盛り上がった。精神年齢では兄より上のはずの俺も、朗らかな兄の言葉で自然と笑いが溢れた。


 この家に、この家族のもとに生まれてこれたことを改めて幸福に思った。のびのびとして、純朴な彼らのもとでなければ俺はきっとふさぎ込んでいただろう……どころか、記憶を取り戻すよりも前に死んでいた可能性すらある。


 彼らに感謝すればするほど、前世の記憶という隠し事を続けている事実が心を苛む。いつか話せる日が来るのだろうか。自分はあなた達の家族になりきれない、などと?


「――しかし、騎士の出動を依頼するとなれば、今季は随分と金がかかるな。領が破産してしまうかもしれん」

「大丈夫、父さんのへそくりでまかなえる。そうだろ?」

「イッシュ! まさかおまえでもあの金を見つけられるとは思わん。ああ、母さん、悪いことで溜め込んでるわけじゃない……ただあれに手を付けるのは私が死んでからにしてくれよ。大丈夫だ、騎士に支払う報酬と鎧の整備費くらいは十分出せる」


 全くおまえにはかなわんな、などといい大げさにのけぞってみせる父を見て、皆が笑った。そうしたあと、ゆっくりと父は立ち上がる。


「さあ、私は隊長と話をしてこなきゃならん。母さん、後で暖かくしたワインを二杯私の部屋まで持ってきてくれ。異常があったならあいつも外で寒い思いをしておっただろうからな」

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