3

 本来なら私たちはそのまま現場にいてヘリのレスキュー作業を見守らなくてはならないのだが、燃料切れビンゴになってしまってはそれは無理だ。と言っても、ビンゴになりそうだった時点で指揮所オペラには連絡済みで、既に2番機のアスコット02が到着していた。私たちはアスコット02に現場を任せ、小松基地に向かってRTBしていた。


『アスコット01、オペラ』


 ディスパッチャの千夏ちゃんの声がヘッドフォンに飛び込んでくる。彼女とは同期でとても仲良しなのだが、今はガールズトークなんかしていられない。


「オペラ、アスコット01、ゴー アヘッド」


『針路上に積乱雲キュムロニンバスあり。迂回しますか?』


「オペラ、スタンバイちょっと待て」無線にはそう応えて、私は操縦席をうかがう。


「機長、どうします?」


「無理だな」こちらを振り返ることなく、末広三佐が応える。「迂回するには燃料が足りない。揺れるかもしれんが、このまま突っ込むぞ」


「了解」


 私はそのまま千夏ちゃんに伝える。


---


 積乱雲の中は乱気流タービュランスのデパートのようだった。私たちの機体は、まるで風に舞う木の葉のようにそれらに翻弄され続けた。もっとも、私も慣れてしまって、この程度では飛行機酔いエアシックになったりはしない。だけど乱気流よりも恐ろしいのは、雷だった。目の前で稲光が走る。こんなのに直撃されたら、この機体は……


 ドォン!


 凄まじい轟音と衝撃。と同時に、目の前の画面が全部真っ暗になる。どうやら危惧していたことが起こってしまったらしい。


「みんな、大丈夫か!」末広三佐が叫ぶ。ヘッドフォンは機能していなかった。


「え、ええ」と、小島二尉。


「大丈夫です」と、私。


「自分も無事です。今の、雷ですか?」と、今江二曹。


「そうだ」と、末広三佐。「やられたな……電気系が全部ダメだ」


「で、でも、この機体、動いてますよね?」今江二曹が、信じられない、と言いたげにキョロキョロしながら言う。


「当たり前だろ」末広三佐が吐き捨てるように言う。「この機体の原型が初飛行したの、1962年だぜ。その時代の機体がフライ・バイ・ワイヤ(ケーブルや油圧ではなく、電気で操縦系統を動かす方式)のわけがねえだろう。だから墜落の心配はないんだが……これじゃ、方向も分からんし、無線で誘導してもらうわけにもいかない。参ったな……」


「雲の上に出て、太陽探しますか?」小島二尉が言う。太陽の位置と時刻が分かれば、おおよその方向も分かるのだ。だが、


「あのな、それが出来る燃料があったらとっくにやってるっての」と末広三佐に言われると、


「う……」と、小島二尉は項垂れてしまう。


「ったく、誰かさんが無理させたせいで、燃料がなくなっちまったんだよな。救難隊が遭難したら、シャレにもなりゃしない」チラリと今江二曹が私を見ながら嫌味っぽく言う。


「く……」


 何も言い返せなかった。確かに、私のせいだ。私がサバイバーを早く見つけられなかったために、余計に燃料を……


「やめろ、今江。あそこで春日が粘ったからこそ、サバイバーを見つけることができたんだぞ。それよりも、今はなんとか活路を見いだすのが最優先だ。考えろ」


 末広三佐の言葉に、皆が沈黙する。


 既にU-125Aは積乱雲の中からは出ていたが、薄く雲がかかっていて、相変わらず視界は悪い。高度を上げるには燃料が足りない。下げれば海面は見えるだろうが、水平線が近くなって遠くが見えなくなる。何とか雲の向こうの陸地を探すことは、できないだろうか……


 光では見えなくても、電波なら雲を突き抜けることが出来る。でも、今は無線機もレーダーも使えない。電波を送受信出来るものなんか……何も……


 ……待てよ。


 一つだけ、あるじゃないか!


 そう。私がお守り代わりにしている、アマチュア無線の2バンド携帯無線機ハンディ。今日も持ってきている。これなら地上の無線局と連絡が取れるかも。私は声を上げる。


「機長!」


「どうした?」末広三佐が振り返る。


「私、アマチュア無線の無線機トランシーバー持ってます。これ、使ってみます!」


「マジか!」末広三佐の目が真ん丸になる。「よし、やってみろ!」


「はい!」大声で応えて、私は早速無線機を取り出し、スイッチを入れる。ツーメーターのメイン周波数、145.00MHzにセット。PTT(Push to Talk:送信ボタン)、オン。


「非常、非常、非常。CQ、CQ、CQ ツーメーター。こちらは航空自衛隊小松救難隊、アスコット01。お聞きのステーション、ございませんか?」


 PTT を離し、受信待機ワッチする。ややあって、


『非常、非常、非常。アスコット01、アスコット01、アスコット01、こちらは JE9***……』


 ノイズ混じりだが、確かに応答があった。JE9ってことは、北陸地区の、それもかなりのOM(Old Man:無線用語でベテラン男性のこと)さんじゃないか……


「JE9***、現在地はどちらですか?」


安宅あたかです。安宅の関の近く』


 なんと! あの勧進帳の舞台となった、安宅の関。目の前は海だ。そしてそこから小松基地は目と鼻の先の距離。これはありがたい。


「緊急事態です。小松基地の救難隊指揮所に電話して、今から私が言うことをそのまま伝えて下さい。アスコット01、サンダーストライク。オール・エレキ・アウト(雷に直撃された。全ての電気系統が使用不能)」


『了解です』JE9***さんが応えて復唱する。


 これでこちらの状況は基地に伝わるだろう。そして、もう一つ、やらなければならないのは……


「JE9***、フォーサーティは使えます?」


『ええ、もちろん』


「それじゃ、435.00MHz で電波を送信しっ放しにして下さい。それを電波標識の代わりにします」


『了解しました』


 そう。無線機を使って、方向を特定するのだ。信号強度が強くなる方向に飛べば、間違いなく安宅の関に到着出来る。ツーメーターよりはフォーサーティの方が波長が短いため、電波の指向性が強く、方向を判別しやすい。


「機長、自分の誘導に従ってもらえますか」


 私が言うと、末広三佐はニヤリとする。


「ああ、分かったよ、君に命、預けるからな」


「はいっ!」機長に敬礼を送り、私は無線機に視線を戻す。


 周波数を 435.00MHz に合わせると、モールス信号で”ツーツー ツーツーツー”が連続で送られてきていた。さすが、JE9*** さん、良く分かってらっしゃる。

 これはフォックスハンティングでよく使われる信号だ。野外でどこに送信者がいるのか探して見つける、無線のゲーム。シグナルメーターと聞こえる音の大きさの変化で、送信者に近づいているか遠ざかっているかを判断する。


「そんなちっぽけな無線機で、本当に大丈夫なのかねえ」と、今江二曹。全く、嫌味なヤツだ。彼に目もくれず、私は応える。


「心配ない。子供の頃、私はフォックスハンティングの大会で優勝したこともあるんだ」


「フォックスハンティング? 狐狩りか? あんた、英国紳士だったのか?」


 全くトンチンカンなことを言っているが、説明している場合じゃない。私は彼をガン無視して無線機のイヤホンとシグナルメーターに耳と目をそれぞれ集中させる。


「ライトターン、スローリー(ゆっくり右旋回)」


「了解」


 私が指示を出すと、すぐに末広三佐はその通りに操縦する。


「レフトターン、ア リトル(ちょっとだけ左旋回)」


「了解」


 それを何度か繰り返した時だった。


「……陸地が見えました!」


 今江二曹の声に、思わず私も窓の外に視線を向ける。雲の切れ間から見えるのは……安宅海浜公園だ! 空から何度も見たから分かる。そしてそこに、カッパを着て手を振っている人がいる……もしかして、JE9***さん?


「すげぇ……マジで、あんなちっぽけな無線機だけでここまで正確に誘導した、っていうのか……」


 呆然とした顔つきで、今江二曹が私を見ていた。だから言ったでしょ? と言ってやろうかと思ったが、私はただニヤリとしてみせただけだった。


「よくやった、春日三曹」末広三佐がサムアップしながらウィンクしてみせる。「あとは任せとけ」


「ありがとうございます」私は頭を下げる。


---

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る