11:穴の奥

「あなた!」

 一瞬の出来事に状況が理解できず、静止していた広間の空気をルベイ分隊長の鋭い叫びが切り裂いた。装備をかなぐり捨てたルベイは夫のバックランドに駆け寄り、脇を取って血だまりから引きずり出すと寝かして傷口を確認する。バックランドは反射的に傷口を抑えていたものの、吹き出す血は傷が動脈を正確に切り裂いていることを示しており、それはこの場では致命傷であることは、誰もが理解していた。

 同じ分隊長で、妻でもあるルベイの手でダンジョンの床にそっと置かれたバックランドも、もちろん自分の状況を正確に理解していた。この出血量ならあと二十秒もすれば意識を失い、一分半で死ぬ。止血して間に合う状態ではない。とすれば、やることは決めていた。

「ルベイ、アルを頼む。愛してるよ」

 一息にそこまで話すと、バックランドはルベイの手を握った。最後に口づけしてやろうとするが、力が入らず、途中でその手を離してしまった。

「ダメだな、もう、お別れ、、だ」

 ふふと笑おうとしたが、左の頬が少し引きつっただけだった。

「ダメ!バック!」

 ルベイは腰から縄を抜くと上腕に巻き付け素早く縛る。しかしそうしている間にもバックランドの顔は蒼白になり、すでに意識は朦朧としつつあった。手早い処置を前に周りが手伝えることはほとんどない。バックランドの頭に布を差し込んで枕にしてやるぐらいしかできなかった。

「ああ、ダメ。バック、バック…」

 バックランドはもう意識を失っている。必死の止血でも命を手放す瞬間をほんの少し延ばせるぐらいで、すでに体は熱を失いつつあった。

 ルベイはバックランドの頭を抱きかかえ、必死に髪を、顔を撫で、涙に濡れる瞳でその最期を目に焼き付けていた。自分が新兵の時から分隊長で、ずっと共に戦ってきた先生であり、先輩であり、恋人であるバック。そのそれぞれの顔を重ね合わせても、安らかな顔はいつも床に就く時と何も変わらないように穏やかだった。既に意識を失い、消えゆきつつある呼吸の最後の吐息を吸い込もうと、ルベイはゆっくりとその唇を重ねた。震えて唇を重ねるのは、二度目のダンジョンから出てきて、恋人となったあの時以来だろうか。唇を重ねたまま最後の吐息が吐き出され、沈んだ肋骨が浮き上がらなくなっても、ルベイはこの唇を離すまでバックがそこに留まってくれる気がして、しばしそうしていた。しかしずっとそうしていられるわけでは無いことも、ルベイは一番わかっていた。ゆっくりと唇を離し、ルベイはもう自ら動くことのない頭を、優しくゆっくりと床に降ろした。

 ルベイは涙を拭うと、腰の袋から石を出し、今自らが口を合わせていた愛する人の唇を指で押し開き、中に押し込んだ。口づけは家族として、恋人として。石は分隊長として。公と私の別れを手早く済ませると、だらりとぶら下がった左手を取り、指輪を外し、両手を胸の上で組み合わせた。

 二人で分隊長としてダンジョンに入る以上こうした別れは二人の中では遅かれ早かれ起こることだと覚悟はしていたし、こうして最期に言葉を交わせただけ幸運だともいえる。まさか同じ人間に殺されるなんて想像もしていなかったが、いつかは起こる事だったのだろう。

 ルベイは涙を拭うと指輪を袋に仕舞い、きっと顔を上げた。そう、まだダンジョンの中なのだ。バックランドに託された息子のアルドロヴァンディ(アル)のためにも。

 

 ルベイが顔を上げたのを見て、ガスト隊長はその肩に優しく手を置いた。ガスト隊長はルベイを、彼女が初めてダンジョンに潜った時から良く知っている。言葉を交わさずとも、その悲しみはお互いに伝わっていた。ルベイは声を出さず、もう大丈夫です、と小さく頷いた。それを汲み取ると、ガストは全員に声を掛けた。

「バックランド分隊長、ソービー、フォンの三名を失ったが、アンドルソフ村長の幼少のころ、村に出て大きな被害を出した象をこれだけの被害で倒し、ダンジョンの攻略は達成した。だが壁に穴が開き、そこから村の人間ではない者が出てきた。これから、その調査を行う」

 ガストはそういうと壁の穴に向かう。ルベイ分隊長はまだその場に座ったままだったが、それを敢えて口にするものは無かった。獣を倒した今、無理に動かす必要もない。

 しかしガストは、穴に近づくにつれその強烈な匂いに顔をしかめた。

「な、なんだ?これは。凄い匂いだな」

 慌てて荷物から布を取り出し、顔に巻き付けながらガストが顔をしかめる。部屋に入ろうとしたが、目が痺れて涙があふれて良く見えない。

「全員で入るのは難しいな。この匂いに耐えられるものだけ来てくれ」

 隊長として、ガストが頑張って中に向かうが、正直きちんと探索できる自信がなかった。

「い、行きます」

 最初に手を挙げたのはアルガンだった。自分が空けた穴だ。その向こうに何があったかを確認する責任がある。さらに数人が手を上げる。あまりの臭気に根を上げるものが多く、ガストを筆頭に、合計六名での捜索となった。


 改めて入ると、その中は地下一階と変わらない造りだった。大きさや部屋の形は違うが、見たものが並んでいる中に、不自然に死体の山や、汚物の山が気づかれている。死体は骨になっているものも、肉の残っているものもあったが、明らかに齧られた跡があるものもたくさん積み重なっていた。構造が同じなら餌場と水場がどこかにあるのだろう。他の獣は大きくなり餌が足りなくなると外に向かうが、外に出られないなら限られた食事を奪い合うしかない。それが足りなくなると…それから先は想像したくもなかった。

 一番気になるのはこの人間はどこから来たのか、ということだった。もちろんみんな薄々は、あるいはほぼ間違いなく分かっている。しかしそれを確認するまでは、それを認めたくない気持ちが強かった。

 アルガンは足元に気を付けながら奥に進む。血と脂で床はべとべとしており、気を抜くと転んでしまいそうだった。血と脂と糞尿にまみれたこの部屋で転ぶのだけはごめんだった。他と構造が同じならと大きな死体の山の対面を覗き込むと、果たして餌場と水場が見つかった。作りも他と同じだ。ということは。アルガンはさらに進んで大きな箱の裏を覗き込んだ。

 あった。

 そこには透明な容器があり、中では胎児が育っていた。胎児ならどんな獣も似たようなものではあるが、これは間違えようがない。人間の胎児だった。

「ありました。やっぱりこの人間はここで生まれたみたいです」

 アルガンの声に、調査メンバーがよたよたと近づいてくる。みんな悪い足元で転ぶことを気にしているのだ。そうして透明な容器に浮かぶ胎児を前に、皆言葉を失っていた。そうとしか考えられないにしても、考えたくなかった事実を前にされるのは違う。

「つまり、ここは人間を作る場所なのか」

 ガスト隊長が涙にまみれながら言うが、果たしてちゃんと見えているのか怪しい。

「ここも今まで閉じていたから浄化の力が働いていなかったということですかね」

「とりあえず戻ろう」

 一同は部屋を後にし、全員が広間で再び集合した。四十八人で入った部隊は、四十三人での点呼を終える。五人死亡という成績はダンジョンへの侵入としては平均的な結果だが、話題の中心は今回の新しい発見に集中した。

「あの人間たちはあそこで作られていた。それは間違いない」

 ガスト隊長の発表に、何度もダンジョンに入った歴戦の面々も思わず声を上げる。分かってはいたことだが、やはり動揺は隠せない。

「それだけではないと思います」

 アルガンが手を挙げた。初めての探索ながら、あの部屋を開け、調査では最初に胎児を見つけたアルガンの言うことはみんなの注目するところになっていた。

「長老の物語で人間もダンジョンから生まれたという話がありましたが、今までお伽噺だと思われていました。でも実際に人間が生まれていたことで、物語と、証拠が揃いました」

「それって、私たちもダンジョンで生まれたってこと?」

 ハイムが思わず声を上げる。

「そうかもしれないってことだ。でも、俺はそうだと思ってる」

 アルガンのその言葉に、部隊はさらにどよめき、収拾がつかなくなるところをガスト隊長が抑える。

「落ち着け。今の段階ではあくまで推測だ」

「はい。その通りです。それともう一つ」

 隊長より、アルガンのその一言の方が部隊を静まらせた。皆がアルガンの次の一言に注目する。

「人間たちのいた場所はダンジョンの壁に穴を開けて見つかりました。穴が開くまでは隊長でも分からなかった。そうですよね?」

 アルガンが今度はガスト隊長に確認する。もはやどちらの立場が上か分からなかった。

「ああ、そうだ。私も穴が開いた瞬間、人間がいることに気が付いた。これまで何度もダンジョンに入ったが、この壁に穴が開くなんて、全く気が付いていなかった」

 ガストが頷いて返事をする。

「この穴が開いた理由ですが、俺が壁の模様に触ったからです。ダンジョンの壁には模様がたくさんありますが、そのどれかが他の穴に繋がっていたり、何かの役目があるようです。この穴を開けても神の怒りを買っていないようなので、旨く使えばダンジョンをもっとうまく攻略できるかもしれません」

 この情報も部隊にどよめきをもたらした。ダンジョンは不可侵で、地図は変わらない。そう思っていた常識がひっくり返ることになる。

「どれなんだ?その模様は」

 クロース分隊長が叫んだ。

「これです」

 言いながらアルガンは壁際に行き、伸びあがって模様を指す。

「最初に見つけた時はこの枠が緑でした。でも、俺が押すとこれが赤に変わったんです」

 ぴょんと飛び上がってその枠に触れる。するとまた「ポン」と高い音がどこからともなく鳴るとともに壁がせり出し、穴が音もなく埋められ、まっ平になった。今そこに穴があったとは思えない。枠は緑色になり、あたりは何事もなかったかのように元に戻った。

「こんな感じです。押すたびに穴が空いたり、消えたりするようです。今まで誰にも気づかれなかったのは、こんな高いところにあったからだと思います」

 振り返りながらアルガンが説明する。おお、と感心した声が隊列から漏れる。

「こ、これもか」

 目ざとく同じ模様を見つけたカトが壁際に走り寄って飛び上がる。背が低いから大きく飛び上がらないと届かないのだ。

「待て、辞めろ!」

 ガスト隊長が怒鳴った時にはもう遅かった。「ポン」と音がして壁にもう一つ、大きな穴が開いていった。

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