9:地下二階

 地下二階には一階の広間と同じくがらんと広い空間が広がっているが、柱の間隔は広く、数少ない太い柱で支える構造になっている。地下一階と同じく、獣が生まれる透明な入れ物は四基あり、地下一階より何倍も大きい。今もそれぞれに大きさの違う塊が浮いている。大きいものは丸まった胎児のような形をしており、それが見ているものに生理的な嫌悪感を催させる。これを壊すなり、止めるなり出来れば良いのだが、神の御業に対して人は無力だ。こうして生まれつつある恐怖を眺めながら、今ある恐怖を一つずつ犠牲を払って排除していくことしかできない。

 そこにいる獣は、地下一階にいたものよりさらに一回り大きかった。

「象…って、やつかな」

 ハーカーが第三分隊の面々に教えてくれる。もちろん他の面々は誰も「象」というものを見たことが無いから、それが正しいのか、間違っているかすら分からない。

「あんなの、どうやって倒すんですか?」

 ハイムが恐る恐る訊くが、ハーカーは首を横に振りながら答えた。

「さあな。オレは戦ったことは無いから。でも記録があるってことは、昔誰かが戦って、倒したことがあるってことだ」

 とはいうものの、そう答えたハーカーの顔も血が引いて真っ白で、口元は引きつっていた。


 象は餌場から立ち上がると部隊に向き合い、ゆらり、ゆらりと長い鼻を揺らす。その鼻の先端は二股に分かれ、片側は指のように、もう一方はこん棒のようになっていた。ずしり、ずしりと歩く一歩一歩で部屋が震えるようだ。

 隊長としてガストは自信のある様子を崩さなかったが、しかし象を見て不安になるのは内心抑えられなかった。象は伝承として残っているが、実際に前回出たのはアンドルソフ村長がまだ幼少のころだ。その時は手負いの象がダンジョンの外にまで到達し、火を怖がったのでそれを利用して罠に追い込み、槍で仕留めたと聞いている。しかし火を怖がると知っていても、ダンジョン内で火は使えない。あとは足の甲への攻撃が有効だという話も聞いていたが、実物を見ると足ですら槍が通るか心許ない。ただ鼻が二股になっているのはまだ朗報と言えた。今までの経験から、特殊な造形や能力は一つだけであることはほとんどなので、鼻が変形しているなら電撃や毒のような能力があるとは考えにくい。とにかく大きいことを警戒すれば良かった。もちろんそれだけで十分面倒だが。

 ダンジョン内で火は使えないが弓矢は使えるし、他に使える道具もある。地下二階は他の階層より強く作られていて、多少の衝撃では神の怒りを買うことは無いと分かっていた。それが証拠に、部屋のあちこちには今までに獣が突っ込んだ凹みや欠けがあり、他の階層とは明らかに違っている。やれることをやるしかない。

「よし、相手が何でもやることは変わらん。第一分隊は防御、他は準備しろ」

 手早く荷物を開いて棒や板を手早く組み合わせる。みるみる、大きな弓矢が出来上がる。バリスタだ。普通の弓よりこわい矢が打てるが、威力が強すぎて他の所では使えない、地下二階だけの武器だ。出来上がった二つのバリスタを左右に素早く展開し、弦を巻き上げていつでも打てる状態にする。さて、これでどこまで通じるものか。最強の武器を前にして、それでもガストには不安しかなかった。足の甲が弱点と言っても、バリスタでは細かいところを狙うのは難しい。まずはバリスタと弓矢で体を狙い、弱ったところを槍で突く流れだろうが、さてどこまで削り切れるか。


 前衛に第一分隊、残りは左右に分散して挟み込むように展開する。象は分散した盾に狙いを定めきれず、大きく鼻を振り回して威嚇する。その大きな叫び声は部屋に反響し鳴り響き、腹に響く重低音には歴戦の隊員ですら足が震えた。

「ってぇー!」

 象の声が収まったのに間髪を入れずガスト隊長が命令を出すと、左右からバリスタと弓が一斉に放たれ、打ち終わればすぐに後ろに下がる。どの動物もまず狙うのは心臓だ。この大きさではそこまで貫通は難しいだろうが、定石通り前足の付け根を狙った矢が次々に突き刺さる。

「ブオォオー!」

 象は恐ろしい唸り声をあげると、距離を取った左右の弓隊には目もくれず、真正面の第一小隊に狙いを定めて突進を始めた。第一小隊はいつもの通り左右に道を開けるが、振り回した長い鼻の間合いは今まで経験したどの獣の腕よりも長い。ぶぅん、と唸りを上げて振られる鼻の先端のこん棒に、右側に避けた部隊がまともにぶつかった。

 がっ!

 象のこん棒が当たった盾は小枝のようにあっけなく、ぼっきりと折れ、その先には盾に隠れていた頭があった。避ける間もなくその頭をこん棒が襲う。こん棒はその頭を、勢いを殺さず二つ目の盾、二つ目の頭をさらにし、三つ目の盾に弾かれようやく向きを反らされたが、その持ち主と、それに巻き込まれて前列がまとめて吹き飛ばされた。

 たった一撃でこれか!ガストは象の「大きさ」という単純な暴力の威力に絶望感を抑えきれなかった。しかも象は止まらない。打たれた痛みで鼻を大きく振り回しながら、どたどたとあっちへ、こっちへと暴れまわる。盾で防げない以上、こちらは作戦どころではなかった。幸い、象も狙って攻撃するほど冷静ではない状態だから、部屋の片隅や柱の陰に一旦分散して落ち着くのを待つしかない。

「全員、散会!柱や部屋の隅で避けろ!」

 命令を出しながらガストは倒れている一人の首を掴み、壁際に引き寄せた。


 それは獣の攻撃というより、アルガンに言わせればもはや天災の類だった。バリスタの前で盾を構えていたアルガンは、一斉攻撃で矢がきちんと突き刺さるのをこの目で見たが、そこから怒り狂う象は傷を負ったものの動きとは思えなかった。ガスト隊長の「散会」の声で隠れる場所を探すが、給餌場所の入り組んだところにバリスタを持った数人が隠れたため、アルガンは柱に移動することにした。まとまっていると狙われて危ないし、その場で動けるのは盾を持っていて一人で動ける自分だったからだ。

 壁から柱までの距離と、象までの距離を見計らって移動を始めたものの、アルガンは暴れ象の速さを明らかに見誤っていた。その図体でどうやってと思う速さで飛ぶように駆ける象は数歩でアルガンの近くに飛びより、またあの恐ろしい鼻を振り回した。アルガンは柱に辿り着くのを諦め、象から離れる方向に飛び上がったところで鼻が鞭のように飛び掛かってきた。運が良かったのは、飛び上がったことで象との距離が変わり、こん棒ではなく、柔らかい鼻での攻撃を盾で受ける形になったことだった。攻撃は盾を割るには至らず、アルガンは衝撃を受け止めてそのまま大きく弾き飛ばされた。

 盾は弾き飛ばされ、体も壁に向かって吹き飛ぶ。思わず壁に手を出すと、壁の緑色の四角い模様に手が当たり、それでも勢いは止まらず、頭、肩と順に壁にぶつかって、アルガンはずるずると力なく地面に落ちた。暴れ象はもうこちらに興味はなく、またのしのしと走り回っているのが目に入る。体中が痛いが、肋骨も、腕も、顔も、どこも折れてはいないようだった。象は今は広間の入り口あたりにいて、ここからは結構な距離がある。盾は左に五歩の場所に転がっている。これなら取りに行けそうだ。

 アルガンが状況を確認していると、後ろで「ポン」と高い音が鳴り、何かが動く気配がした。振り返ると、壁の一部が横に動き、その向こうに大きな空間が見える。開く部分の右上にはさっきアルガンが触った緑色の枠が、今は赤く変わっていた。アルガンは自分のしたことに気が付き、ざあっと血の気が引くのを感じた。ダンジョンに傷をつけると、神の怒りを買って世界が赤く染まり、大きな音が鳴り響いた。そんな伝説を思い出した。俺は今、ダンジョンを傷つけたのか?

 しかし赤い光や音で部屋が覆われることはなく、今や壁の穴は通路からの入り口ほどに大きくなっていた。アルガンはその意味が分からず周囲を見回すも、周囲には誰もいないし、第一皆象の動きを追うのに必死で、この出来事に気づいた人はいないようだった。アルガンは仕方なく盾を拾って構えると、壁に開いた穴を覗き込んだ。

 



 

 

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