8:地下一階

 堅い床で目を覚まし、知らない天井に自分がどこにいるのか一瞬分からなくなるが、ルベイ分隊長が起こして回っているのを見て、ここがダンジョンの中だったことを思い出す。眠りが浅く、アルガンはぼうっと周りを見渡した。眠りが浅いのは四六時中明るいダンジョンのせいか、堅い床のせいか、緊張か、感傷か、あるいはその全部か。思い当たる節が多すぎて、アルガンは頭を振った。

 ぼうっとする頭を叩き起こすために泉の水で顔を洗う。ダンジョンの中なのに、こうして普段の日常のように顔を洗っているのが悪い冗談のように感じる。昨日はこの水を汲むためにカッシュが死んだのに。泉に映るのんびりした寝起きの自分と、潰れたカッシュの亡骸が今日この後の自分の姿のように重なる。何の誇張でもなく、事実そうなってもおかしくない所にいるのだ。いま自分がどれだけ恐ろしい場所にいるかを改めて思い出し、足元が崩れ落ちるような不安に苛まれ、背中から登ってくる震えを打ち消すように顔を強く洗った。落ち着け、まずは生き残る、カッシュのことを嘆いて悲しむのは、ここから出た後だ。パン、と大きく頬を張って、アルガンは顔を上げ、出発の準備を始めた。


 四十八人でダンジョンに入った部隊は、四十六人で朝の点呼を終え、死んだ二人分の荷物を残った面々で積みなおした。すでに二人が死んでいるとはいえ、ダンジョンはここからが本番だ。過去の実績でも、死亡率はここからが急激に跳ね上がる。

「昨日は十二体の狼に対し、五体を倒し、二体が矢で負傷している。これでほぼ半減できたと判断し、今日はここを出たらすぐに階段を下る」

 ガスト隊長は例のごとく短く、てきぱきと方針を出すと、あらかじめ閂を外している扉を開け、今日も自らが最初に外に出る。その場には狼はいないが、人が出てきたのを知ると当然のように走り寄ってくる。隊長を追いかけるように第一分隊がまたするすると盾の壁を作り、背後では全員が出たところでパズルのような扉をくみ上げ、広間を後に階段へ向かう。

 狼は盾の壁に向かって唸り声をあげるものの、飛び掛かることはせず、お互いに今日は干戈を交えることなく、静かに分かれた。怖いのはお互い様なのだ。

「階段からは狼は追ってこないよ」

 また大股に階段を下りながらハーカーが言う。

「狼にとっても、この下は怖いところらしいからね」

 それはつまり、この階段を下ると狼が食べる側からになる、ということか。昨日数人がかりで混戦の中ようやく倒した狼の事を思い出す。あれでも一対一では人間はとても敵わない凶悪な獣だったが、それが恐れる獣とはなんだろう。アルガンはそれが想像すらできず、そのため恐怖を感じることもなく階段を降りることができた。


「これは…?」

 階段を降りながら、ガスト隊長は何かを感じてひとり呟いた。

「どうかしましたか?」

 その様子を見てバックランド分隊長が声を掛ける。

「良く分からん。もしかすると今回は運が良いかもしれん」

 通路は階段を降りると右に伸びている。第一分隊は例のごとく通路を塞ぐように盾を展開し、警戒態勢を崩さずじりじりと前進する。地下一階はまっすぐな通路を挟んで両側に同じような大きさの通路に沿った細長い、広い部屋が二つ並ぶ構造になっている。それぞれの部屋は通路より少し薄暗く、獣が生まれる場所がいくつか、そして獣の餌が出て来る餌場、水場があり、獣が生まれる場所の周りには良く分からない塊が音を上げたり、ぶるぶると震えていた。左右それぞれの部屋では、生まれた獣で一番強いものが餌場を占領するのが通例になっていた。獣の生まれる仕組みは良く分かっていないが、透明な筒の中で子供が浮いているのが見えることがあり、ここから生まれることは間違いないと考えられていた。それがどういう仕組みで、なぜ色々な獣が生まれるのかは、文字通り神の御業で人の考えが及ぶところではなかった。通路と部屋はいくつかの扉で繋がっており、開いた扉もあれば、閉じた扉もあった。

 左右の餌場・水場を占める獣は放っておくと大きく、強くなるため、これを倒すのがダンジョンに入る目的の一つだった。ここにも扉を取り付けて閉じ込められるなら、それに越したことは無いのだろうが、体が大きくなると餌場の食事では満足せず外に出て来るので、倒すのがより大変になってしまうそうだ。

「新しい武器、倒し方、閉じ込め方、なんでもいい。思いついたらどんどん言うように。だが我々も今まで、大きな犠牲を払って様々な方法を試している。駄目なことは正直に指摘させてもらう」

 アルガンは訓練で言われたことを思い出していた。あの時は気にも留めなかった「大きな犠牲」という意味が今なら分かる。閉じ込め策も実際に過去に試し、大きな被害を被ったのだろう。


「あれを見てみろ」

 ガスト隊長が声を潜めてバックランド分隊長に告げる。

「いますね。サイ、というやつですかね?」

 目に入ったのはどっしりとした太い足で、鎧のような革を何重にもまとい、頭の先端に巨大な角がある灰色の獣だった。巨大な角を使った突進力は最強の生物とも聞いたことがある。まともに戦えば少々の犠牲では済まないし、突進してくるなら、それを避けられたとしても勢い余ったサイがダンジョンを傷つけても面倒だ。地下一階、二階と下るにつれてダンジョンも頑丈になり、多少の攻撃では壊れないようになっているが、それでも戦いにくいことには変わりない。これはまた面倒な奴が来たなとバックランドは憂鬱になった。今は餌場の脇で寝ているようなので、このタイミングがチャンスだ。

「寝てますか?奇襲を掛けましょうか」

「いや、ただ寝ているわけでは無いらしい。左脚のあたり、見えるか?」

 こちらに背を向けて座り込んでいるサイは、右の尻あたりは見えるが、左側は部屋が少し暗いうえ、陰になって良く見えない。いや、よく見ると影ではなく、体が黒ずんでおり、また床にもシミが広がっているように見えた。

「怪我、ですか?」

「しかも、結構深いみたいだ」

 ガスト隊長がどこまで獣の事を読めるのか分からないが、彼が言うなら間違いないのだろう。しかしサイを傷つけることができる獣がいるなら、それはそれで注意しなければいけないことになる。

「しかし、サイをそこまで傷つけられる動物が、この近くにいるということですか?」

 慌てて飛び出すことはせず、バックランドは周囲を見回す。

「それがな、ちょっと右も見てみてくれ」

 ガスト隊長が珍しく少し戸惑ったような調子で話す。通路を挟んで右側、もう一方の部屋をのぞくと同じくこちらの餌場にも大きな獣がうずくまっていた。黄色と黒の縞模様で大きな牙と顔の周りに毛がある獣、虎だ。しかし縞模様にはもう一色、赤がまだらに混じっていた。こちらも背を向けているが、バックランドからも分かるぐらい大きく肩を上下させて呼吸が荒い。

「まさか、こいつら同士でやりあったんですか?」

「どうもそうらしい。獣同士で戦って傷つくことはよくあるが、どちらも重症というのは珍しいし、運がいい。傷は虎の方が深くて、もう虫の息のようだ。先にサイをやるぞ」

 ガスト隊長の声は隠しようもなく弾んでいた。地上部分で二名死亡は厳しい戦況だが、ここでの被害は無いまま進めそうだ。もちろん警戒は怠らないものの、有利なことには間違いなかった。


 部隊はサイの周りに展開した。立ち上がれば天井に届きそうな大きさのサイは、のそりとこちらを警戒して向きを変えるが、左足は深くえぐられていてよたよたと歩くので精いっぱいという状態だ。動くと時おり傷口から血が飛び、そのたびに深いうめき声を漏らす。深い傷口から骨は見えないが、嚙みちぎられたであろう傷の他にも何本も爪痕があり、激しい戦いの跡が見て取れた。

「第一分隊は右に回って陽動、第二・第三分隊は左に回って、傷口を中心に攻撃」

 隊長の指示で部隊は左右に分かれ、左右から盾の列が挟み込むようにサイを追い込む。素早く第一分隊が剣を繰り出し、サイの注意を引く。サイは傷を感じさせない速さで素早く上半身を方向転換するものの、傷ついた後ろ足が付いて来ないため、折れ曲がったような態勢のままで反撃を試みる。

「よし、一班、槍突け!」

 嚙み合わない上半身と下半身の動きのせいで傷口を大きく見せるような態勢にんったところで、号令に合わせて槍がサイの傷ついた左足の付け根を狙い、一斉にずぶりと深くめり込む。

「ぎゃあ!」

 しかし叫び声をあげたのはサイと第二分隊の面々だった。サイは反射的に傷から逃げるように飛びのき、第一分隊に倒れ掛かるような態勢になるも、盾の壁は見事な連携で左右に分かれ、その巨大な体躯をひらりと躱すと、そのままくるりと反転し、再びサイの前に盾の壁を形成した。もんどりうって倒れたサイは、それでも素早く立ち上がって痛む足を引きずりながら振り返り、再び部隊に対峙する。大きな体をゆすって激しく動き回ったことで抜けた槍も折れた槍もあるが、その左脚にはまだ三本の槍が深く高々と突き刺さっている。

 第二分隊の六人は槍を突き刺した瞬間に同時に叫び声をあげると、そのまま逃げるサイに引きずられるように前に倒れていた。急いで抱え上げられて盾の後ろで介抱される。それぞれの手が赤く灼けていた。ある者は手のひらを斜めに赤く灼けた線が走り、あるものは人差し指がから手首に向かって赤い模様が枝分かれしながら這っていた。

「て、電気てんきです」

 まだろれつの回らないまま、一人がなんとか声を上げる。そう簡単にはいかないか。ガストは自分の甘い見込みを少し反省した。電撃を放つ獣はここでは珍しくないが、このサイズとなると発電量も大きく、電撃を喰らえばしばらく力は入らないだろう。発電量には限りがあることが多いので、放電させることができれば良いが、こちらも体が大きいとどれだけ放電できるか分からない。体の大きさはそれだけで、相手にするには面倒な存在になる。

「感電した者を下げろ、二班前へ」

 ここまでは順調、感電しても治療は出来る。しかし攻撃するたびに倒れていては持たない。深く傷を負っているとはいえ、巨大なサイの体力は読み切れなかった。

「クロース、弓を使ってみてくれ」

 ガストは攻撃部隊である第二分隊のクロース分隊長に声を掛ける。

「了解」

 クロースはその一言だけで理解すると、素早く装備を弓矢に交換し、サイの周りを右へ左へと回り込みつつ、一発、また一発と射かける。放電は攻撃に対して反射的にやっている獣が多い。こうしてちくちくと攻撃すると放電を繰り返すことになり、そうして「放電疲れ」を起こすのが狙いだ。放電疲れの症状は獣により様々で、単に放電が出来なくなるものから、全く動けなくなるもの、昏倒するものまでいる。問題は放電が目に見えないことで、放電が出来なくなるだけだったら、いつまでこれを続けなければいけないか、判断が難しかった。サイの注意がクロースに集中しないよう、他の面々も周囲を囲って威嚇をする。もちろん感電しないよう、絶妙な距離は保っていた。

「さあて、どっちが持つかなー」

 的がこれだけ大きく、周囲を囲んで動きを封じていれば、クロースの腕なら外す心配はない。矢は厚い皮膚に弾かれることもあったが、一番の目的が傷つけることではないから、それは大した問題ではなかった。見た目には分からないが、矢があたればサイは電撃を放っているはずだ。傷を与えるのではなく、刺激して放電させることでサイの電気が底を着くのを待つのが目的だった。矢が無くなればまた槍での攻撃に入らざるを得ないが、その時までサイの放電が持つかが勝負の分かれ目だった。

 と、七発の矢を射ったところで、サイは膝から崩れ落ちで荒い呼吸を始めた。立ち上がろうとするも膝が震えて力が入っていない。

「放電疲れか?」

 クロースは次の矢を矢筒に戻し、弓矢を渡して槍に持ち替える。

「いや、怪我の状態が重いのかもしれん。まだ放電がある可能性がある。槍は注意して攻撃しろ」

 ガスト隊長は注意はしたものの、槍での攻撃に切り替えること自体を止めはしなかった。クロースはそれを確認し、第二分隊のニコルに指示を出す。全員ではなく一人なのは、これは攻撃であるとともに、電撃が残っているかの確認でもあるからだ。ニコルは緊張した面持ちで一歩前に出て槍を構える。すぐ脇には倒れた時に引き上げるよう、左右に二人が付く。(ただし感電しないよう、触りはしないように距離を取りながら)

「行きます」

 サイはニコルに一瞥をくれるが、激しく動いたりはしない。すでに剣や槍で散々牽制し続けているし、サイもすぐに動けないぐらい消耗しているのだ。ニコルはサイが反撃しないことを確かめると、狙いを澄まして首に槍を突き立てた。部隊に緊張が走る。しかし槍はあっけなくずぶずぶとその分厚い肉に沈み、そのまま穂先が見えなくなった。

「だ、大丈夫です」

「槍、突けぇ!」

 ニコルの声に被せるようにクロース分隊長の命令が響き、その命令が終わらないうちに槍が一斉に首に突き立てられる。その一本が頸動脈に当たったらしい。後ろ脚と比較にならない量の血を噴水のように真横に吹き出しながら、サイはずるりと力を失い、沈んでいった。

 部隊は勢いに乗って向かいの部屋の虎を攻めたが、こちらなどはもっとあっけなく、盾に囲まれても一瞥するだけで立ち上げることすらできない状態だった。

 そうして結果としては部隊の損失・損害は第二分隊の軽傷六名(手のひらへの熱傷)、槍が二本、矢が三本という、これ以上ない成功で幕を閉じた。完全勝利に部隊は高揚を抑えられないまま、最終目標の地下二階へ向かった。






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