7:狼
ガスト隊長の指揮の元、盾の壁は通路を縦横無尽に動き、向きを変え、形を変え、狼をその内側に入らせることなく通路の奥に押し込んでいった。カッシュの亡骸と別れを告げた通路の分岐点から奥に進むと、ほどなく通路は行き止まり右に折れる。その先は大きな広間になっており、その入り口まで辿り着いたところでガスト隊長は盾隊に命じた。
「よし、ここを維持しろ!」
広間は天井の高さは通路の倍程度だが、幅と奥行きはこの建物に入っているのが信じられないほど長く - その構造を維持するためだろう - 一定の間隔で柱が立っていた。地図によると二階から降りてきた通路はいくつかに分岐するが、ほとんどはこの広間に繋がるらしい。地下に向かう階段はこの広間を抜けたところにある。広間は狼に占拠され、見える範囲で十頭程度がいるようだった。狼たちは盾隊を警戒しつつ包囲するように、一定の距離を取りながら右に、左にと槍が当たらない程度の距離を取りながらうろうろと歩いている。
「第二分隊に弓矢を渡せ。弓、構え!」
第二分隊のクロース分隊長の指示で、弓矢を渡す。ダンジョンの中で投擲武器は使えないと聞いていたが、ここでは使えるらしい。
「向こうに板が立てかけてあるの、分かるか?」
班長のハーカーがアルガンたちに話しかけながら顎で広間をしゃくる。第三分隊は今はやることがないので、戦いを高みの見物だ。言われた通り目をやってみれば、確かに壁に沿って木の板が立てかけられているのが分かる。
「今までのダンジョン攻略で持ち込んだ板だ。あれだけ大きいと、死体と違って片づけられないそうだ。あれはダンジョンじゃないから傷つけていい。弓隊は狼じゃなくて、板に向けて打つんだ。矢を外してダンジョンを傷つけると大変だからな」
言っている傍からひゅん、と一人が矢を射、瞬間、突き刺さった狼がギャウと妙な音を立ててひっくり返る。即死ではないが矢は腹深くに刺さり、泡を吹きながら辛うじて前足でずるずると逃げていく。まだ動いてはいるが、おそらくは致命傷だろう。呼応するように狼がギャンギャン、ゴウゴウと激しく唸り声をあげ、広間に反響してあたりが一気に賑やかになった。
「凄い。そんな当たるんですか?」
カトが不安そうに聞く。弓矢の訓練はみんなやっているからこそ、生き物に当てる難しさも良く分かっている。
「まぁ、当たれば御の字というところかな。あんな綺麗に当たることはめったにない。安全に攻撃できるだけでも設けもんだからね。あとは…」
ぎゃう、と狼の叫び声がしてまた一頭がひっくり返り、足を引きずって逃げ出す。今度も当たったらしい。こちらは致命傷ではなさそうだ。その後も間を開けてさらに三発の矢が飛んだが、その中で当たったのは一発だけだった。三発目以降は狼も警戒して距離を取り、柱の陰に隠れて当てにくくなったためだ。それを見るとクロース分隊長が短く指示を出し、装備を戻す。ハーカーが荷物をまとめ、立ち上がりながら言葉を繋ぐ。
「あとは、こうして動きを止めることができる」
再び盾の群れがずるりと動き出す。狼は弓矢を恐れて柱の陰に二頭、一頭と分散している。集まった狼に囲まれると面倒だが、こうして分断して足止めできれば、今度はこちらが数で優勢になれる。狼がまだ弓矢を警戒しているうちに近くの柱に向かい、左右に部隊を分断して挟み込む。狼が囲まれたことに気づき、盾に襲い掛かろうと飛び上がったその刹那、第二分隊がタイミングよく突き出した槍が盾の隙間から飛び出し、飛び上がった体を正確に貫く。二頭の狼は身をよじって十二本の槍を避けようとするも、一頭は首と腹に、もう一頭は腰と腹に槍を食らい、ぐえ、と狼らしくない声を上げた。
第二分隊が素早く槍を引き抜き、第一分隊が盾を引きながら剣を出し止めを刺す。手順は二階で猫を倒したときと同じ、流れるような動きで二頭を仕留めると、さっと引いてまた円陣を組む。その訓練された迷いのない動きは戦いというより演武のような優雅さすらあった。もはや柱の陰にいると危ないと理解し始めた狼は柱から躍り出て部隊を囲もうと動き始めていて、これ以上深追いすると今度は自分たちが囲まれる側になる。攻める側と攻められる側は一瞬の間にも目まぐるしく入れ替わっていた。
「あそこに入るぞ」
ガスト隊長は広間を抜けて階段を降りるのではなく、広間の出口近くの板を指した。地図では「休憩所」となっていたところだ。立てかけてある板は他と同じく、以前に作ったもののようだ。しかしこれは矢を射るための的ではなく、奥の休憩所に獣が入らないように設けた扉代わりだった。狼はすでに集まって盾の円陣を囲い込みつつあり、つまりは攻守が完全に逆転しつつあった。板は押しても動かないように組み合わせられていて、それを一枚、二枚とずらすと開き、中に入られるようになる。扉を開くというより、分解するような感じだ。円陣の後ろにはすでに狼が飛び掛かり、上から攻撃されないよう盾を二枚にしているため円陣はより小さく、密集していた。
「よし、開いた。入れ!」
開いた扉に順に一人ずつ飛び込み、円陣を組み花のように開いた盾が萎むように小さくなっていく。しかし最後に二人、一人と飛び込む際には下手な手品のように盾の隙間というタネが狼に見られてしまっていた。目ざとい狼はその隙間に殺到し、一頭が、そして扉を閉めようとしたその隙間からもう一頭が休憩所に入り込んでしまった。
慌てて閉めた扉にもドン、ドン、とさらに突進してくる狼を、扉近くの面々が慌てて抑え込み、一人は扉を支え、一人は
「早く円陣を組め、抑え込め!」
誰かの命令が飛ぶも、第二分隊は盾を持っていない。扉で奮闘している方にちらと目をやるも、そっちも手いっぱいで盾を渡す余裕はない。自分で取りに行こうと目線を反らした瞬間を狼は見逃さず、盾を持っていない所に襲い掛かった。
「くそお!」
仕方なく剣で応戦しようとするも、飛びついてくる狼を、剣を持った人間の反応速度は追いきれない。首を守って左腕に噛みつかせるのが精いっぱいで、自分より大きな狼の勢いと重みに堪えきれずそのまま押しつぶされる。鋭い牙は押し倒すその間にも革のグローブをやすやすと貫通し、あっという間に上腕に突き刺さっていく。ぶすりと太い牙が皮膚を突き破る感触を感じつつも、痛みを感じている余裕は無い。そうしている間にも狼は腕に食らいついたまま顔をぐいと上げる。抵抗しようと腕を引っ張っても力の差は圧倒的で、その腕は容易に持ち上げられる。剣を持った右手を叩きつけようとするより早く、左腕が空いて無防備になった顔面に狼の左前脚が振り下ろされる。狼にとっては足を降ろしただけだろうが、その鋭い爪は軽く頬に触れただけで頬を貫通し、口の中まで達していた。
狼の爪が頬を貫通したその瞬間、狼の横っ腹に盾が突き刺さり、狼の体が「く」の字に折れ曲がるとそのまま文字通り吹き飛ばされた。バックランド分隊長が自分の盾を突き立てるように狼の腹にぶち込んだのだ。人の体より大きい図体を吹き飛ばすには、剣を突き立てるよりとにかく重いものに体重を掛けて吹き飛ばすのが良い。しかし深く突き刺さった牙は噛みついた腕ごと吹っ飛んでいき、噛んだ腕の根元、肩あたりを中心に狼の体が円弧を描いて飛ぶような格好になった。狼も体制を整えるのと、噛みこんだ腕を離そうと顔を振り回してと焦ったところを盾が、剣が、槍が一斉に襲い掛かる。この瞬間は作戦もへったくれもない。口を噛みこんで悲鳴を上げることすらないまま、純粋な暴力対暴力の戦いは、圧倒的な人数差の人間側の勝利で終わった。
肩で息をする面々の後ろで、ガスト隊長ももう一頭の狼を危なげなく斃していた。その後ろでは盾隊が各自の剣を回収している。
「大丈夫か」
剣を仕舞い立ち上がったところで倒れている所に気が付き、慌てて駆け寄る。倒れていたのは第二分隊のスミルノフだった。もう十回はダンジョンに潜ったベテランだが、慣れていてもどうしようもないことはある。第二分隊の面々が牙が刺さらないように注意しながら狼の口を開き、左腕を自由にしてやる。しかしその左腕は手首から肘までに牙の形がはっきりと分かる形で歯形が付き、噛んだ状態で何度も捩じられたせいで一つ一つの歯形が大きく広がってしまっている。骨は繋がっているが肉は酷い有様で、これでは回復しても動かせるようには思えなかった。腱も血管も切れているのは間違いなく、見た目は綺麗な左手首の先はだらりとぶら下がり、生気は無かった。
「こりゃ酷いな。誰か消毒液を」
そう言いながらガスト隊長はスミルノフの呼吸が異常に早いことに気づく。出血でショック症状が出ているにしても、それだけとも思えない。と、突然がくがくと顎が震え、泡を吹き始めてガストは気が付いた。
「しまった、毒だ!」
スミルノフの顔はみるみる生気を失い真っ青を通り越し、白くなりながら全身をびくびくと震わせ、涙と涎が止まらなくなっていた。腕を切ればあるいは毒の周りを止められるか…と考えたところで、顔に入った四筋の傷に気づく。顔から入ったなら、もう止めようがない。けいれんは顔から背中、手足と徐々に範囲を広げ、動きも大きくなり、四肢がバタバタと暴れ始めたのを周囲の人が必死に抑える。毒の周りが早く、手持ちの道具では治すどころか、多少でも苦しみを和らげることすらできそうになかった。
「すまん、スミルノフ」
決断をすれば迷うガストではなかった。懐からナイフを取り出し、喉を切るとひゅーと息の抜ける音がして、スミルノフはほどなく力尽きた。周りの面々も感傷に浸る余裕はない。スミルノフが力尽きて弛緩したのを見届けると、各自が武器や盾を洗いに部屋の奥へと向かった。毒の武器が効く獣もいるだろうが、間違えて自分や仲間を傷つける恐れも高い。武器や防具に体液が残っていないか、確認する必要があった。何より、さっき牙を左腕から外してやっていた。注意はしていたが、そもそも腕に傷があったらそこから毒が入るかもしれない。隊員は真っ青な顔で奥の泉に向かった。
休憩所は扉で隔離されているため、最低限の歩哨で休むことができる。扉をしっかりと補強し、狼が諦めて攻撃してこなくなったのを見極めると、軽い食事をとって順に休みに入る。食事と休憩は戦い続けるには重要な要素だ。ダンジョンの経験があるなら体力はまだ大丈夫だが、アルガンはじめダンジョンが初めての面々はもう体力の限界を迎えていた。この辺でしっかり寝ておかないと生き残れない。今回はスミルノフの犠牲があったが、休憩所はそうしたまれな代償を払ってでも維持し続ける意義のあるダンジョン攻略のための最重要拠点だった。
ここは地下一階に降りる手前という立地も拠点として重要だが、中で生活できるだけの要素が揃っているのも重要な点だった。奥には水の沸く泉があり、物を捨てられる穴がある。
穴は神殿にあるものと同じで、そちらは単に「神殿の穴」と呼ばれている。なんでも、無限に吸い込める不思議な穴だ。
「そう、神殿の穴と同じもんさ。使い方もな」
ハーカーは慣れた手つきで荷物を解き、隊員分の食事の準備をしながら話をする。こうした作業をするほど口も動くのがこの人の癖だとだんだん分かってきた。
「ここは入り口を閉じてるだろ?だから浄化の力も働かないのさ。自分で掃除して、綺麗にしなきゃいけない」
そういえばここには何というか、他にはない生活感があった。落ち着いてみれば部屋の隅や床に汚れが点々とこびりついているのだ。ダンジョンでは神殿のようにピカピカしたところが続いているから、こうしたごく普通の汚れが逆に不自然に感じてしまう。第二分隊は狼の死体を運び、床にできた血だまりを掃除していた。これも今までになかった光景だ。
「そう。だから食べたら片づける。ゴミは穴に捨てる。残念ながら、スミルノフの死体もそうだ」
最後の一言だけ、さすがに悔しそうな表情をして、ハーカーは呟いた。それはつまり、死体も穴に放り込むということだ。ダンジョンの外では死体は土に埋めるが、ここにはそんな場所はない。
「でも、人間は穴に入らないんじゃないんですか?」
ハイムが尋ねる。
「ああ、そりゃ生きた人間の話だ。ここで試したやつはいないが、少なくとも死体は穴に放り込める。…今までもやってるからな」
神殿の穴は何でも放り込めるが、なぜか人間は入れない。何年に一度かは子供が穴に落ちかけて、不思議な力で穴から放り出されるから、村の人間なら誰でも知ってることだ。しかし、死体は放り込める。これは逆に神殿では試したことがないことだ。それは知らなかったし、「今までもやってる」の意味の方がアルガンには怖かった。
「勇敢なるスミルノフ、その魂の平穏を祈り、古の土に還る事を願う。遠き、古き土より出でて、黒き土に還らんことを」
ガスト隊長の言葉に、みな頭を下げて祈りを捧げる。スミルノフの口にはまた黒い石が詰められ、第二分隊の手によってゆっくりと穴に放り込まれ、虚空に消えていった。泣くものはいなかったが、もちろん悲しいわけではない。泣くならここから出たあとだ。感傷を抱いてダンジョンに向かってどうなるか。何度も潜った者ほど、その結末を何度も見てきていた。
今回は休憩のたびに誰か死ぬな。ガストはそんなことを思ったが、当然それを口に出さず、ダンジョンの夜は更けていった。
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