6:一階

「何故一人で行かせた!」

 優しく、頼りがいのあるガスト隊長の叱責に、「鬼」教官のルベイ分隊長がうなだれる。二人ともいつも見せるのとは全く違う表情だ。

「くっ、一人で行動しないようには言っていたんですが…目を離していました」

 部隊は猫の死骸を中心に通路に壁を作っている。後ろに危険はないのは分かっているが、追い付いた第三分隊もきちんと背後に壁を作る。その壁の中心で、ガスト隊長とルベイ分隊長が話していた。当然、それは全員の耳に入るところとなる。怒っているのはガスト隊長だが、悔しいのはここまで自ら育ててきて、自らが分隊長として率いていたルベイ分隊長だろう。その顔には隠しようのない口惜しさが溢れていた。

「いいか、ダンジョンに入って死亡率が一番高いのは二回目から三回目だ。『慣れてきた』と思った時が一番危ない。基本的な陣形や防御、行動時の二人行動ツーマンセル、とにかく基本行動をいつまでも忘れるな!」

 いつもの厳しいルベイ「鬼」教官の、そんな訓練の言葉が思い出される。アルはこれがダンジョン二回目、「経験者様」と自分で言う驕りは、彼の場合は当てはまらないとアルガンは思っていた。彼は単に疲れて動けないアルガンを置いて、忙しい他のみんなの手を借りないようにと考えただけだったはずだ。もちろんそこに慢心が無かったとは言えないかもしれない。しかし水を汲みに行く羽目になったのは、アルガンが水をたくさん飲んでしまったからだ。結局は自分のせいだ。

 しかしアルガンは、まだカッシュが本当に死んだという実感が持てなかった。目の前で連れ去られていったし、その前に首がありえない方向にねじ曲がったのをこの目で見てはいたが、その全てが一瞬のことで、その全てがあり得ない出来事で、そしてその原因は自分にあった。何もかもが受け入れるには突然すぎて、重たすぎて、アルガンは盾を機械的に構えつつ、ただ茫然としていた。

 ダンジョンはこういう所だと分かっていたのに。

 ダンジョンに入って一人も死なずにみんなが戻ってくることはまず無く、一度入れば通常二~三人は亡くなる。しかし今この瞬間まで、それはアルガンにとってただの「数字」だった。第三分隊二班の盾隊にはバックアップだったゲタールが入っている。また一人が死ねば、次は班長のハーカーが盾隊も務める。「バックアップ」の意味も言葉としては知っていたが、こうして冷酷に粛々と機能する様子を見ると、ダンジョンにおいて死がどれほど日常かを感じさせた。

「ひっ…ひっ…」

 隣ではハイムが無表情で盾を持ちながら、だらだらと涙を流していた。幼馴染の死を受け入れられないのが、また別の形で出てきているようだ。目は開き必死に盾を構えているが、周りの声がどこまで聞こえているかは分からない。しかしそうした一人一人を顧みることなく、ガスト隊長は第三分隊が荷物をまとめ、整列したのを確認すると素早く動き出した。部隊は階段に移動し、またぞろぞろと大股に階段を下る。嘆いている余裕はないし、アルガンやハイムが落ち着くのを待っている余裕もない。いくら今の時点の安全が確保できているとはいえ、ここはダンジョンの中なのだ。一か所で時間を使うほど危険は高まる。休憩は最小限、それも訓練で何度も教えられたことだ。


「泣くな。弔い合戦だ」

 ルベイ分隊長は階段を降りながらハイムに声を掛けた。隣のアルガンにも当然耳に入る。

「残念だがカッシュは首が折れていた。見つけたところでもう助からん。だがあの猫だけでも倒すか、カッシュの亡骸を改めて、遺品だけでも持ち帰ってやりたいとは思わないか?」

 ルベイ分隊長は唇をかみしめながらハイムに言う。その言葉はハイムに向けてというより、自分に言い聞かせているように聞こえた。噛みしめた唇に、悔しさが滲む。彼女にとっては何人、何十人といる教え子の死の一つだろうが、だからと言ってその一つ一つに慣れて、悲しみが薄まるわけではない。なにより強い獣との戦いでどうしようもなく殺されたわけではなく、一人で出歩いた結果という明らかな不注意だ。分隊長としてよりも、教官として悔しさはひとしおだろう。

「いいか、ガスト隊長は自分の周りの生物を感じることができる。ちゃんと隊長の周囲にいれば獣が来たのをきちんと知ることができる。今後絶対、離れて歩くな!」

 階段を隊列を崩さないように歩きながら、ルベイ分隊長が分隊に伝える。もうその目は前方を向いていた。人間もダンジョンの獣のように特殊な技能を持つことがある。ガスト隊長は広く生物を感じることができると聞いて、最初の曲がり角の向こうの鼠を見つけたり、襲ってきた猫を避けたりしたことを思い出した。カッシュが襲われる前に飛び出したのも隊長だ。なるほど、カッシュもガスト隊長の傍にいれば、不意打ちを食らうことは無かったのか。考えるほどに自分のせいでカッシュが死んだという事実が強化され、その自責の念で押しつぶされそうになるのを必死に堪える。階段の一歩一歩が地獄への道に感じた時、アルガンは階段を歩き終えて一階に着いたのを知った。慌てて陣形を整え直す。

「左だ。血を追うぞ」

 ガスト隊長の指示が後ろから耳に入る。やはり弔い合戦に向かうのか。後方の盾隊である第三分隊は進行方向に背を向けて歩くので前方の状況は分からないが、後ろ向きに進んでいくと、進んできた通路の真ん中にまっすぐ線を引いたように血の跡が付いているのが分かる。これなら隊長でなくても見失いようがない。

「待て」

 通路がまた分岐したところで隊長が部隊を止める。通路の奥に狼の姿がちらりと見えた。どうもカッシュの死体を狙っているらしい。カッシュを追ってきた部隊と猫、狼が死体を中心に三すくみになるという、奇妙な状態になった。狼がグルルルル…と低い唸り声をあげて威嚇する。声を聴く限りでは、数は一頭や二頭では済まない感じだ。猫もシャア、と威嚇するも、多勢に無勢と判断したのか、すぐに威嚇をやめ、静かになった。

「行くぞ」

 ガスト隊長の声を合図に盾が動き、通路の角を中心に円陣を組み、カッシュの体を踏まないように乗り越えて盾の内側に入れる。猫はいつの間にかいなくなっていた。どうやら威嚇をやめた瞬間に逃げ出していたらしい。狼は一層吠えたてるが、盾の壁に阻まれて手を出せないでいる。

「第三分隊一班、前へ。アルガン、ハイム、こっちへ来て」

 ルベイ分隊長の命令でザッザッと足並みを揃えて前後を交代し、内側に入ったアルガンとハイムは盾から手を離し、カッシュに向き合う。分かってはいたことだが、カッシュはすでにこと切れていた。頭を咥えられたまま階段を下り、通路を引きずられたために顔から首までボロボロになっていた。引きずられた時にぶつけたのだろう。手足の末端が特に傷んでおり、両手の指は真っ赤に染まり、左足首は逆の向きに曲がっていた。顔には猫の唾液がべっとり付き、歯形が太い剣山のように刺さり、左目は抜け落ち、誰かも分からない状態で、あの印象深い笑顔の面影はそこにはなかった。ハイムは手で口を覆い、それでもしっかりとカッシュの遺体に向き合っていた。ルベイ分隊長が二人の肩に手を掛けて、しっかりと目を見て言う。

「残念だが遺体を持ち帰ることはできない。何か遺品になるものがあれば、ここで外してやってくれ。帰りには獣に死体が持っていかれているだろうから、これが最後になる」

 猫が逃げて弔い合戦は出来なくなったが、最後にこうして対面できただけでも幸運な部類だろう。遺品と言われても、ほとんどの身に着けた装備はダンジョンのための武骨なものばかりだ。数少ない装飾品の腕輪とネックレスを外す。腕輪はアルガンが、ネックレスはハイムが作って二年前の誕生日にプレゼントした物だ。その年は三人がそれぞれへのプレゼントを作って贈りあった。カッシュは二人に指輪をプレゼントしてくれた。そう、こう見えて三人の中では一番器用な奴だったんだ。自分が贈ったものを外すのもおかしいが、間違いなく三人にとっての一番の思い出の品でもあった。

「それでいいか。すまんがあまり感傷に浸っている時間がない。狼と戦わなきゃいかん」

 ルベイ分隊長は言いながらカッシュの口(今となっては「口らしき部分」という方が正確だ)を開き、腰の小物入れから取り出したものを入れる。石だ。死者に対する葬送の儀式の一つだ。畑になっていない土地の黒土は「太古の土」とされていて、その中から拾った石を死者に口に入れることで、その死者の魂は大地に還ると考えられている。分隊長として、いや教官として死者を送ることが彼女の目的だったと、その姿を見てアルガンとハイムは理解した。

 ルベイ分隊長が優しくカッシュの頭を床に降ろし、両手を腹の上で結ぶと、ガスト隊長がそれに合わせたかのように命令を出した。

「よし、行くぞ。全体、前進」

 狼の群れは部隊を囲うように左右に広がっていた。その中を円陣がそろりと一歩を踏み出した。

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