5:兎と猫
通路の分岐点まで戻ると、すでに第一・第二分隊は集合していた。
「よくやったじゃないか、お疲れ様」
ガスト隊長は見てきたように第三分隊の背中を順にバシバシと叩いて歓迎した。初仕事での緊張が少しほぐれたものの、まだそう簡単に体の硬さは取れない。それでもみんながいるところではダンジョンの中でも落ち着けるのは確かだ。
「では隊列を組んで、二階の向こう側まで進む。そこでいったん休憩だ」
ガスト隊長が明るく声を掛けることで、前向きな気持ちで隊列を組める。見えないところの敵を見つけたり、的確な指示を出せるだけでなく、こうして皆を前向きな気持ちにできるのがガストを隊長たらしめている所だと、アルガンも納得できた。
アルガンたち第三分隊が戦った鼠はルートを外れたところだったが、兎は通路上に集まっていたので、進行すると再び交わることになる。兎のいたところも鼠と同じく、通路が広がったところなので、盾をがっしり組んで生き残った兎と戦わないように通り抜けることになる。第一・第三分隊で大きな盾の壁を作りながら兎の巣を通過する。第一分隊によって大きく数を減らされた兎の群れは、こちらを一瞥するだけで襲ってはこなかった。
「あれが、兎?」
今回が初めてのダンジョンになるカトが、通り過ぎながらぼそりと思わず声を出していた。
それは村の外れにいる兎とは大きく違っていた。後ろ脚が大きな体形は確かに兎だが、サイズは普通の物から腰に届きそうな大きなものまで様々。そして、尖っていた。あるものは角が、あるものは後ろ脚に大きな蹴爪が、あるものは牙が大きく突き出ていた。さっきの鼠は大きさの違いぐらいに見えたが、こちらは見た目で明らかに違っていた。
「ダンジョンでは角や牙、毒や電撃など、色々な特徴を持った獣が生まれて来る。大きさも見ての通り、大きいものから小さいものまで様々だ。だから兎と言っても外にいるものと同じと思うな。今回は角や爪が出ていたが、毎回様子は違う。一歩間違えば死ぬ獣ばかりだと、訓練でも散々話しただろう」
ルベイ分隊長の歩きながらの「講義」は何度も聞いた内容だが、知識として知っているのと、実物を見るのでは全く違う。そしてそれに続く話もアルガンは思い出していた。
「ダンジョンでは同じ獣でも毎回特徴が変わる。だから例えば角のある鹿がいても、それをいちいち『角あり鹿』とは名付けない。再現性が無いからな。あくまで鹿は鹿だ」
だったかな。それにしても、ダンジョンの中で円陣組みながら普通に講義されても聞く余裕ないって!円陣を崩さないように足並みを揃えつつ、ルベイ分隊長の話を聞いている風に頷くだけでアルガンもハイムもカトも、精一杯だった。カッシュがそれをにやにや見ているのがまたムカつく。お前もまだ二回目だろうが!
兎の住みかを抜けると円陣を解き、再び通路の前面・背面を守る陣形で進む。途中の分岐も迷いなく進み、下に降りる階段を通り過ぎて突き当りでガスト隊長が休憩を宣言した。
「はあっ、はぁ」
荷物を置くと溜まっていた疲労がどっと押し寄せる。荷物を椅子代わりにして腰掛けると、アルガンは大きく肩で息をしていた。隣に目をやればハイムもカトも同じような状態だった。二人の方がアルガンより体が小さいから、疲労もひとしおだろう。しかし第一分隊は引き続き通路を二班で交代して守っており、他のメンバーはにこやかに談笑している。あのカッシュだって疲れた様子は見せず、暇そうにうろうろしている。座り込んで話もできないのは、今回が初めての六人だけのようだ。
「最初は疲れるよなぁ」
相変わらず、二回目にして先輩風を吹かせたがるカッシュが、立ったまま文字通り上から声を掛けて来る。こちらが返事できないことを分かっていて、それでも暇だから声を掛けてきたのだ。
「ゆっくり呼吸しろって。誰でも最初は緊張で疲れるんだ。実際は訓練の方がよっぽど歩いてるんだぜ」
言いながら水筒を差し出してくる。親切で言ってくれているのは分かるが、たった一度ダンジョンに入っただけでこれだけの余裕を見せられるとさすがに悔しい。こちらは声を出す余裕もないので無言で水筒を受け取り、一気に傾ける。
「お、おい。そんな一気に飲んだら後で知らねぇぞ」
カッシュが慌てて止めるが、水筒の中身はもう半分を切っていた。後で足りなくなっても知るもんか。
「ありがとう、カッシュ」
水を飲んで少し落ち着いた呼吸で、なんとかそれだけ言うと、また大きく二度、深呼吸した。
「まぁ、落ち着いたんならいいや。もうちょっと休んどきな。水汲んでくるわ」
カッシュはハイムに声を掛けに行く。今回が初めてのメンバーに順に声を掛けていくんだろうか。ご苦労なことだ。カッシュはお調子者だが、ふざけているだけじゃなく目配りがきく。そういえば初めてのダンジョンから出てきたときも笑っていた。カッシュはいつも笑っている印象しかない。訓練で苦しくても、一息ついたら苦しくてももう笑っている。ダンジョンでは怖くて漏らしたことを笑いながら話していたが、その時はさすがに笑顔が消えていたんだろうか。その顔を見てやりたかった。
一息ついて、アルガンは通路を見渡した。通路は行き止まりになっていて、後ろを気にせず休憩が取れる。ここに限らず通路の左右には巨大な扉があるが、どれも開かないことを今までの探索で確認済みだそうだ。来た道を振り返ると通路は突き当りで左右に分岐していて、左に曲がると来た道に戻り、下に向かう階段がある。右には泉があるそうだ。カッシュは盾隊に声を掛けて間から出て通路の奥に向かう。ひょこひょこと肩をいからせて歩く姿が視界から消えて、泉のある部屋に入っていったのが視界の端に見える。まだ二回目のダンジョンだというのに、本当に慣れたもんだ。
「おい!今誰か出ていったか?」
急に前がざわつき、何があったかと目をやるとガスト隊長が盾隊に掴みかかるように声を掛けていた。
「ええ。第三分隊のカッシュが水を汲みに」
盾隊の一人が慌てて答えると、返事を最後まで待たずにガスト隊長が盾の間から飛び出した。第一分隊も慌てて壁を解いて追いかけるが、盾を持ってでは追い付けず、隊長一人が突出した格好になる。何かあったのか?と思った瞬間、通路の奥でひゅん、と人より一回り大きい影が二つ、通路の左から右に横切り、わっ、というカッシュの叫び声のすぐ後に、今度はその影が少し大きくなって右から左へと横切った。いや、大きくなったのではない、カッシュを咥えているのだ。ここからではよく見えないが、カッシュはぐったりして、首を咥えられていた。
「カッシュ!」
第三分隊は弓も装備している。慌てて弓をつがえようとしたところをハーカーが制する。
「やめろ!隊長に当たる!」
事実、隊長はもうカッシュに迫っていた。剣を振りかぶり、カッシュを咥えた獣に襲い掛かろうとする。が、何を思ったか急停止し、飛び込んだのと同じ勢いで一歩下がる。その隊長が飛びのいた、まさにその場所にもう一匹の影が頭から飛び掛かった。影の攻撃は見事に空振りして隊長の前に背中を向ける格好になる。その影の主は猫だった。全長は人と同じぐらいもあり、爪や牙も体の大きさに応じて人の指ぐらいある。それで搔かれればただでは済まないことは誰が見ても分かった。飛び掛かった勢いでたたらを踏んで向きを直そうとする猫に対して、隊長は剣を振りかぶらずに、そのまま体ごと前に出す。振りかぶるより早く、突進力を利用して深く突き刺す剣術だ。威力のある攻撃だが、体ごと突進するので防御ができない、捨て身の技だ。剣は吸い込まれるように首の根元に刺さり、そのままずぶずぶと、みるみる沈み込んでいく。
「ギャア!」
剣が深く刺さって首を向けられない猫はそれでも必死にもがき、腕を振り回す。隊長は剣を捨てて猫の体を蹴って大きく後ろに飛び、鋭い猫の爪をさらりと躱し、追い付いた第一分隊と入れ替わる。ここまで二~三秒だろうか。そのまま第一分隊の盾隊は勢いを止めず盾で猫を押し込む。
「槍!」
第一分隊長のバックランドが叫ぶと、盾の壁の隙間から、さらに後ろから追い付いた第二分隊が槍を突き出し、槍ぶすまが猫に突き刺さる。
「とどめ!」
再びバックランド分隊長が叫ぶと、第一分隊は盾を離しそれぞれが剣に持ち替えて猫に突きたてる。ぐぇえ、と猫が断末魔を上げるのを最後まで聞かず、それぞれがすぐに剣を猫から引き抜き、盾を拾って整列する。入れ替わるように第二分隊の面々が槍を拾う。バックランドはこの様子を目の端に入れながらガスト隊長を振り返り指示を仰ぐが、ガスト隊長は何も言わず、俯いて首を左右に振っただけだった。一匹目の猫とカッシュの体は、この混乱の間に通路の奥に去ってしまっていて、その血の跡は点々と階段を伝っていた。あたりには再びごう、という低い音だけが鳴り響いていた。
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