4:鼠
確かに、そこにいるのは鼠だった。
大きなものはアルガンたちの膝ほどもあり、通路脇の広いスペースの片隅に集まっていたが、盾の壁が通路から出て来るとギギッ、と鳴いて一斉にこちらを振り向いた。黒ずんだ体に浮かんだ目は、光っているように見える。いや、あるいは本当に光っているのかもしれない。このダンジョンにいる獣は、どんな能力を持っているか分からないのだ。数は二十を超えたあたりで数えるのを諦めた。
アルガンたち第三分隊二班は盾隊となり、班の六人中五人が通路を塞ぐように盾の壁を作り、後ろには班長・バックアップ・分隊長、その後ろに一班が続いていた。通路から広いスペースに盾隊が出ると左脇に隙間ができるので、流れるようにバックアップのゲタールが、次に班長のハーカーがその隙間を埋める。盾の壁は通路を塞ぐ向きと、その直角の向きでL字型になっていた。
「一班、右へ」
ルベイ分隊長の指示で二班の右に盾がするすると繋がり全体が二列から一列になり、それに従って前面を向いていた盾隊が傾きを正面から左向きに変える。全員の盾が再び直線になった時、壁の盾は先ほどと九十度ずれた左向きになり、鼠と正対する格好になっていた。今や班長も含めた十四枚の盾は、通路と開いたスペースをほぼ分断する盾の壁を構成していた。しかしその盾の壁の幅はスペースを完全に分断するには一歩足りず、盾の壁の右側と、この広いスペースの壁には少しの隙間が生じていた。
「ギイ!」
みるみる作られる盾の壁を見た鼠たちはそれぞれが警戒音を発する。多くは奥まって身を寄せて警戒音を出すが、ごく少数は盾に向かい、また何匹かは右端の埋め切れていない隙間に向けて殺到する。
「後ろは私が見る。モーソン、右を頼む」
ルベイ分隊長が叫び、飛び出た鼠を叩き切るごつんという音が響く。切るというより、叩くような鈍い音だ。
「応!」
第三分隊一班の班長モーソンは分隊長の声に応えると盾を横殴りにし、鼠を吹き飛ばす。ごうん、と鈍い音が鳴るものの、多くはすぐに立ち上がり、大したダメージを受けているようには見えない。しかし、作戦はそれで良かった。倒すのではなく、盾の壁から逃がさないのが肝要だ。
「全体、進め右!」
ハーカーが叫ぶと、盾の壁全体が一つの生物のようにずるりと移動し、右の隙間を埋め、今度は左に隙間ができる。
「全体、前進」
再びハーカーの命令と共に、壁が前に進み、鼠たちは慌てて今度は左に空いた隙間を目指して移動する。追い詰められつつあるのを感じたのか、さっきより殺到する鼠の数が多い。
「おりゃあ!」
しかしそれを狙いしましてゲタールが今度は左端で盾を振り回し、鼠を吹き飛ばす。それを逃れた二匹はルベイ分隊長の剣で再び潰される。右、左、右。盾全体が一枚の生物のように動いて鼠を翻弄し、徐々に壁際に追い詰める。アルガンはその中で命令通りに動くのでいっぱいだった。訓練通り、命令通り。言われたとおりに動くたびに誰かの叫び声が聞こえ、何かが潰れた音が聞こえる。おそらくは順調なのだろうが、それを実感する余裕は全くなかった。
「よし、追い込むぞ。左から詰めていけ」
気が付くとハーカーは壁際まで盾を進めており、今や盾の壁は鼠たちが身を寄せる奥まった角を頂点に、三角形の斜辺を構成していた。もう鼠に逃げ場はない。左から壁際に追い込んでいき、一人、また一人と盾の後ろに回る。逃げ道を見失った鼠が大慌てで盾にぶつかってくるが、その勢いは一番体の小さいハイムでも十分防げるものだった。
「来るぞ!頭を下げろ」
余裕を感じたところでハーカーが鋭く叫び、思わず首をすくめる。その瞬間、盾を這い上がって鼠が首を出したところにゲタールの剣が走った。剣が当たった鼠は切られたというより叩かれた格好で、飛んだ先で慌ただしい音が響く。おそらくはルベイ分隊長に止めを刺されたのだろう。
ごつん、と左手の感触が変わる。隣にいたハイムが下がり、自分が壁際に来たのだ。逃げ出そうともがく鼠を防ぎながら一歩、一歩と足を進め、背中を叩かれてさっと後ろに下がり、それを右からカッシュが埋める。
気が付くと鼠を追い詰める盾の壁はもう残り七枚になっていた。
「剣、出すぞ」
ハーカーに言われて慌てて盾隊の隙間に移動する。盾隊は剣の邪魔にならないよう姿勢を変え、少し斜めを向く。先ほどのように盾を登られないよう、前列の盾隊の上に盾を重ねる役と、盾の間から攻撃する役を二人一組で順に行う。剣は適当に差し込むだけだが、ここまで密集していると何度かに一度は鈍い感触がある。刺さった感触はそれほど重たくもないが、一度など明らかに骨に達したと思われる時もあった。機械的にその作業を繰り返すと、明らかに盾の向こうの足音と鳴き声は小さくなっていった。
「よし、撤収するぞ、円陣組め」
ルベイ分隊長の冷静な声で皆ハッとして円陣構築にうつる。今度は分隊十五人全員が集まり、外周十枚、内周五枚の盾で二重の円を組む。鼠を抑え込んでいた七人がそのまま外周に、攻撃をしていたうちの五人は自然に内周に入り、あとは空いた場所を埋めるように外周に並び、全体で円形を作る。流れるように盾で円を組むと、内周の五人は盾を上に被せて上面を防御し、全方位で隙間の無いようにする。出来上がった分厚い盾の円柱は一丸となってそろりそろりと来た道を戻っていく。鼠も最初は盾に嚙みついていたが、引き上げるようだと理解すると大人しく壁際に集まっていった。もう鼠からすれば相手をしたくないのだろう。戻りながら振り返ると、元気に動いている鼠は半分どころか二割ぐらいまで減っていた。追い込まれていた一角は血と肉がうずたかく積みあがっており、他にあちこち離れた場所に点々と血だまりがあるのは、ルベイ分隊長や班長が倒した鼠の死骸だろう。
振り返ったところにハイムの顔があり、ふと目が合う。初めての戦いを終えて上気した頬は赤く染まり、幼馴染は見たことのない高揚した表情をしていた。一瞬だが思わず見とれていたことに気づき、お互い慌てて目を反らして盾の位置を調整する。気が付けば通路にまで円陣は戻っていた。走れば十秒もかからない距離だから、すぐに戻るのは当然だが、気が付けばびっしょりと汗をかいている。それは息も上がるはずだ。
「一班、後列で盾構え!」
ルベイ分隊長が容赦なく命令を出し、一班は慌てて盾を組みなおして背面を守る。初めての戦闘は嬉しさよりも疲れと、怪我の無かった安心感しかなかった。
「二班も前で盾構え!ぐずぐずするな」
鬼の命令が響いて慌てて盾を構えなおす。廊下の先には第二分隊がおいでおいでとこちらを手招きしている。周りを見ても誰も怪我をしていないようだ。初めての実戦は快勝だった。だが、本番はこれからだ。
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