第35話 記憶の繋がり

 ソウのもとへ向かったカレルらは、この世で最も優れたヒトによる戦いを目の当たりにする。ホウは攻撃に特化したモデルであり、一方のソウは防御に優れている。人間の目では追いきれないホウの攻撃をソウの俊敏さが迎え撃っていた。


 それでもソウの不利は素人目でも明白だった。身軽に動き回っているものの、ホウを攻撃する手は一つもない。破壊されないことを優先に防戦一方だったのだ。物陰から戦況を観察するカレルとオーリハは援護の案を考えた。


 「それで攻撃するの?」


 「考えてる」


 カレルの手にはレンから回収した水素貯蔵タンクがある。本来、これはソウの補給用とするべきである。ナミハヤを出て以降、ソウは水素供給を受けていない。戦闘はエネルギーの消耗が激しいため、いつ体力切れになってもおかしくないのだ。一方、オーリハの言う通り爆発物として利用することもできる。


 「急がないと。あまり持ちそうにないよ」


 「分かってる。でも、タンクの爆発程度じゃホウは破壊できない。それにソウが近すぎる」


 「じゃあ向こうの倉庫に誘導する?」


 「駄目だ。漏洩後だと感知されて意味がない。それに僕らだってあの中じゃまともに動けない」


 カレルは必死に頭を回転させる。どうして互角以上の敵を前にしてなお愛読書を捨てようとしないのか。それは愛読書に新しい意味が与えられたからである。馬鹿げているようでソウの想いが詰まっている。


 「カレル?」


 カレルが黙っているとオーリハから不安に満ちた声が漏れる。しかし、それはカレルの耳に届かない。愛読書を手放しさえすればソウにも勝機が生まれる。適切な援護があれば、ホウを打ち負かすだけの力をソウは発揮できるのだ。そのためには、ソウに愛読書を捨てさせることと釣り合う犠牲が求められた。


 「僕が出ていく。オーリハは銃を構えて逃げる準備を」


 「え!?」


 「ホウの足止めは僕がする。出来なければソウがしてくれる。駄目だと思ったら」


 「嫌!」


 「だったら銃を捨てて命乞いして。ホウが丸腰の人間を殺さないことを祈りながら」


 「何言って……」


 オーリハが激しく首を横に振る。カレルはそんなオーリハの肩を抱き寄せ、強く説得した。


 「今からソウに愛読書を捨てさせる!ホウにはソウを諦めてもらう!そのためには僕らだって何かを手放さないと!オーリハにその覚悟は!?」


 「ある!でもカレルを見捨てたりしない!」


 「代わりに何かを奪われるとしても?」


 「当たり前。ついていくって決めた時から心の準備はできてた!」


 銃を握るオーリハは唇を真一文字に結ぶ。自暴自棄なわけではないらしい。覚悟があるならばカレルに強制はできなかった。頷いたカレルは自らの心を落ち着かせる。


 「これでホウの気を引く。爆発に巻き込まれれば僕は……」


 カレルはそう言ってオーリハの銃を一瞥する。視線の意味を理解したオーリハは手を震わせた。


 「じゃあ最後のひと仕事だ」


 ソウを追いかけアネクまで旅をしてきたが、その最期まで華々しいとは思っていない。カレルもこれまで当たり前だった事実と決別する覚悟を持つ。水素貯蔵タンクを握りしめて大声を上げた。


 「レンは死んだ!後はお前だけだ!」


 振り向いたホウは歩み寄るカレルを睨む。その時初めてソウが攻撃に打って出たが、簡単に弾かれてしまう。ホウと距離を取ったソウはカレルの行動に驚いていた。


 「お前が殺したのか?」


 「判断を間違えたな。ソウを諦めていれば」


 「諦めていれば三人死なずに済んだものを!」


 まるで頭に血が上ったかのようにホウが突進してくる。その動きは俊敏で、カレルは慌てて水素貯蔵タンクのバルブに手をかける。ただ、力を入れる直前にカレルの身体は硬直した。


 ホウはまだカレルに触れられる距離に居ない。しかし、全身を動かせなくなったカレルはその場で石像のように立ち尽くす。ホウは動きを止めて高笑いした。


 「やはりヒトになっていたか。レンを二度退けるなど人間には不可能だ」


 「カレル!」


 「ソウ!よく見てみろ!これが我々の力だ!お前はもうただの操り人形だよ!」


 まだ自分で思考を巡らせられる。それを確認したカレルはひとまず安堵した。ただ、身体は一切言うことを聞かず最悪な状況を飲み込む必要もあった。カレルはハッキングされた。ホウはすでにその能力を獲得していたようだった。


 「どうしてやろうか。私を何年も足止めした男だ。生半可では納得いかない」


 「カレルに何する気!?」


 「そうか。その科学書にはそんな意味が。ソウ、お前が抱いているのはただの幻想だ。私たちに心の拠り所など必要ない。この力さえあれば、心など脆く価値を持たない」


 ホウは勝手にカレルの思考を読んでいる。そうして何もかもが筒抜けになっていく。ソウは激昂した。


 「今、私の逆鱗に触れたことが分からないの!?」


 ソウはとうとうその場に愛読書を捨てる。それと同時に凄まじい瞬発力でホウに突進した。その目にはソウなりの覚悟がある。カレルがそれを読み解くとホウに伝わってしまう。


 「お前の相手はこいつだ」


 ホウに慌てた様子はなかった。その言葉の直後、勝手に動き出したカレルの身体はソウの前に躍り出る。驚いたソウは急停止してカレルと向き合った。警告しようと何度も声を張ろうとする。しかし、最後まで声は出ず、先にカレルが拳を振り上げる。ソウは後方に跳ねてそれを躱した。


 「信頼していた仲間に裏切られる感覚はどうだ?」


 「カレル!目を覚まして!」


 カレルは逃げるソウを追撃する。その最中、カレルが水素貯蔵タンクを開放しようとすると、ソウは直ちに肉薄してくる。これが爆発すればカレルは無事で済まない。それを分かっていたソウは足を蹴りつけられても怯まず、タンクを奪ってそれを遠くに投げ捨てた。


 武器を失ったカレルは即座に千切れかけの義手を強引に外す。次の武器はこの金属の塊だった。ソウは逃げるだけでカレルに手を出そうとしない。拘束することは容易い。ただ、カレルが無力化されれば、見切りをつけたホウがカレルの演算回路を破壊する可能性があり躊躇っていた。


 カレルもソウの置かれた状況を理解している。だからこそ、ソウの表情から目を背けようとした。しかし、ホウはそれを許さない。


 「二人していい道化だ」


 「もうやめて!」


 「ではこちらに来い。お前が戻れば我々には再び価値が生まれる。屋敷を離れた後の記憶を失うだけだ。それだけでこの男は救われ、お前は新しい土地で新しい居場所を手に入れる」


 この期に及んでホウはソウを説得する。その言葉はあまりにも残酷で、ソウと時間を過ごしたカレルも苦しみを感じる。しかし、思い出を掘り返せばまた情報を与えることになる。目の前のソウは見るに堪えないが、決断を邪魔しないためには心を無にするしかなかった。


 「お前なら何が最善か分かるだろう。不必要に育ったその慈しみの心でよく考えてみろ。裏手に隠れている女まで殺さなければ分からないか?」


 「………」


 ソウの瞳が揺れ、それに気付いたカレルは心配する。ソウは自らの存在意義を自分の価値観に基づいて見出してきた。それを簡単に捨ててほしくなかったのだ。ソウと目が合うと揺れの正体が溢れる涙だと分かる。激しい動きの中で無機質な地面に落ちると小さな染みを作り、再びカレルの記憶を刺激した。


 思い出してはいけない。しかし、脳裏に鮮明な記憶が蘇ってくる。カレルを背負ったソウが荒野を歩いている。不安や後悔に圧し潰されそうになりながら、それらを涙に溜め込んで吐き出している。


 カレルに混ざり込んだソウの記憶の断片。涙の一粒さえはっきりと重なる。これさえもホウの戦略なかもしれなかった。ソウはとうとう動きを止める。


 「諦めがついたか?」


 カレルは立ち止ったソウに迫る。決着がついたと判断したのかホウもこちらに歩いてきた。カレルは常にソウと目を合わせていた。ソウはそれから逃げるように涙目を伏せる。


 心が痛む。ただそれと同時に違和感がカレルの身体を駆け巡った。今のカレルはホウに支配されている。それにもかかわらず、カレルの目は誰の命令でもなくソウの瞳に釘付けとなっていたのだ。


 ホウはカレルの左隣まで近づいて来ると左手にナイフを握らせる。ソウには動くなと目で牽制していた。


 「あの日、お前が屋敷から逃げた日、罰を与えると言ったな」


 ホウはカレルの手首を掴んでナイフの先端をカレルの喉に当てる。刃先が皮膚を切り裂く直前に動きは止まり、カレルは自分自身にナイフを突きつけた格好となった。


 「刺せ。そうすればこいつの演算回路と女は逃がしてやる。お前は記憶を失うが、友人を守ることはできる」


 「……できない」


 「では俺が殺そう。演算回路は焼き切りあの女も殺す。お前は絶望の後に記憶を消される」


 ソウは拳を強く握る。カレルはそんな細かい動作まで目で追う。ホウはまだ気付いていない。カレルは心の中でソウに呼びかけた。


 「決めろ!」


 「カレル……ごめん!」


 顔を上げたソウの目は据わっていた。身体を失えばカレルの思考もそこで終わる。その前にソウに伝えなけらばならない。


 ソウは正拳突きでナイフの柄を押し込もうとする。そのわずかな瞬間、二人は見つめ合う。ナイフにソウの手が触れた瞬間、瞳に希望が灯った。


 皮膚が切り裂かれて血が噴き出る。しかし、刃先が深くに達する前にナイフはカレルの左側に逸れていった。そう分かった瞬間、カレルも腕に力を入れる。ナイフはカレルの喉を浅く切り裂いた後、ホウの腹部に突き刺さった。


 「なに!?」


 ホウはカレルの演算回路を破壊しようとして失敗する。絶対的に思われたホウの支配は二人の記憶の繋がりを前に途切れていたのだ。形勢の悪さに気付いたホウは直ちに逃走を試みる。しかし、逃がすまいとソウはさらに力を込め、ホウの中でナイフは砕けた。


 「何故だ!」


 数歩下がったホウが叫ぶ。ソウは深追いすることなくカレルを抱きとめた。喉から溢れる血を止めようと両手で傷口を押さえ、鋭い目つきでホウを威嚇する。ホウは舌打ちと同時に悪態をつく。


 「殺してやる!二人とも!絶対に!」


 「立ち去れ!あなたはもう戦えない」


 「なぜだ……」


 敵意を増大させるホウであるが、ふらついた足取りで倉庫から立ち去っていく。怒りや屈辱に支配されても判断を誤らない点は流石と言うべきか。カレルは安堵して身体から力を抜く。途端に喉元を流れる温かい血が気になり始める。カレルを横にしたソウは自分の服を千切って応急処置を始めた。


 「気付いてくれてよかった」


 「喋らないで!」


 カレルがホウの支配下から脱したと分かるなり、ソウは一撃に全てを賭けた。狙ったのは燃料電池のメンテナンス用に設けられたホウレンソウ型に共通の脆弱な部位だった。その結果、ホウは燃料電池に直結する回路に深刻な損傷を負い、撤退を余儀なくされたのである。


 「ソウの涙が……力をくれたんだ」


 「お願いだから黙って」


 「ありがとう」


 その後、駆けつけたオーリハに手を握られつつ治療は続き、最終的にカレルは一命を取り留めた。ただ、ここはアネクの地でありいつ援軍のアンドロイドが押し寄せてきてもおかしくない。カレルを背負ったソウと愛読書を回収したオーリハは足早にこの場を離れた。

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