第34話 レンとの決着
ホウとレンに追いついたのは開けた土地に建てられた大規模な工場でのことだった。カレルらは足跡からそれなりの集団を追跡していると想定していた。しかし、工場にいたのはホウとレン、それに綺麗な身なりをした男が一人だけだった。他のアンドロイドが工場から離れて移動を続けていることもソウの偵察で判明した。
工場は操業中らしく、あらゆる場所から機械の駆動音が聞こえている。ソウはそんな中で、管理者が誰一人いないことを不審がった。国の工場もそのほとんどが自動化されている。しかし、必ず管理者や警備のアンドロイドがいるため全くの無人ということはないのだ。
ホウとレン、そして謎の男は倉庫の一角で話し合っていた。接近は容易でなく、どうにかして三人が視界に入る場所を見つけてその場から観察する。積み上げられた金属の箱に身を隠し、頭だけを出して様子を窺う。しかし、数百メートルはゆうに離れているため、カレルの目ではホウやレンがいるということしか分からない。情報は全てソウの目によって集められた。
「やっぱり私がいた屋敷の貴族だ」
「間違いないか?」
「間違いない」
ソウは三人から目を離すことなく伝える。貴族の男がいたことにカレルは驚く。ただ、それと同時にホウレンソウ型の存在意義を確信した。
「もう少しレンが動けば口元が見えるのに」
「気付かれるなよ」
「分かってる」
「口を見て何が分かるの?」
カレルが注意を促すとオーリハが首を傾げる。カレルはもう一度ホウたちがいる場所を眺め、砂粒よりも小さい姿を確認してからオーリハと向き合った。
「唇の動きで話してる言葉を読もうとしてるんだ」
「分かるの?」
「分かるはず。……あ、動いた」
ソウが少し声を上擦らせる。カレルの目でもレンが数歩横にずれたことが分かった。そうして貴族の男の顔が見えるようになるが、カレルにはその表情さえ分からない。
「ここは何の工場なの?」
「周りを見る限り、合成石油工場だろう」
「合成石油?」
「今ではもうほとんど使われないけど、昔の文明は石油をエネルギー源にしてた。普通、石油は地下深くから採れるけど、石炭から合成することもできるんだ」
「石油ってなに?」
「よく燃える油だよ」
カレルの説明を聞いて、ソウは倉庫の壁沿いに並ぶ大きな金属製のタンクを眺めて頷く。石油は科学書に頻出する。タンクには国と同じ言語で水性ガスと書かれていた。
「それで、何話してるか分かったか?」
「うん、私のこと。もう一度海を渡って探すって。鬱陶しいなあ」
「僕らが追ってきてるとは思ってないみたいだ。でも、また国に戻ってソウを探すなんてリスクが大きいはず。そう簡単にソウを放棄できない事情があるんだろう」
「あんな連中に必要とされたって嬉しくない」
ソウが冷たく言い放つ。ホウやレンに諦める意志がないということは、仮にここで愛読書を回収できたとしてもそれで終わりにはならない。アネクからの干渉を一生受け続けることを意味していた。
「別れるみたい。またホウとレンが国に向かうって」
「わかった。あの貴族一人ならどうにかなる」
愛読書は元々あの貴族の男の所有物だった。愛読書があるとすればあの屋敷に関係していた三人が集まるここ以外にない。ソウの横顔に諦めはない。もしここで見つけられなかった場合、どのようにして諦めさせるかがカレルにとっての喫緊の問題だった。
倉庫を出ていくホウとレンを見送っていると、一人になった貴族の男も隣の倉庫に移動を始める。後を追いかけるとそこには車が用意されていた。物資の運搬に使うのか荷台は広く車高も高い。これも国ではあまり見かけない代物だった。
「逃げられる!」
「ソウ、駄目だ!」
貴族の男が車に乗り込むと、かすかなエンジン音とともに車体が小刻みに揺れる。動き始めると次第に加速していき、ものの数秒で人間の足では追いつけない速さに達した。このタイミングではまだホウとレンが工場を出ていないかもしれない。それでもソウは待てなかった。
走り出したソウはあっという間に車に追いつき、跳躍して荷台に飛び乗る。そこから屋根伝いに進むとフロントガラスから運転席に飛び込んだ。ガラスの破片が飛び散り、車体は右に流れて倉庫の壁に衝突する。車は大小のコンクリート片を生み出し、白煙を上げた。
カレルとオーリハはその場に急ぐ。この程度でソウは負傷しない。カレルのそんな考え通り、右手に愛読書、左手に貴族の男の襟を掴んだソウが大破した車から出てきた。
二人はひとまずその姿に安堵する。しかし、胸をなでおろす間もなく、今度は倉庫の屋根から破裂音が響いた。見上げると、二人分の影が屋根を突き破ってカレルとソウの間に落ちてくる。
「やはり来ていたか」
ホウは間髪入れずソウに肉薄する。ソウは仕方なく貴族の男を離して愛読書を背中に隠す。二人はそのまま格闘戦にもつれ込んだ。貴族の男はその隙に倉庫から逃げていく。あの男はホウレンソウ型に関わる重要な情報を知っている。しかし、カレルらの前にはレンが立ちはだかっており、追うことはできなかった。
「今度は殺す」
「オーリハ逃げろ!」
ホウはソウに任せるしかない。カレルとオーリハは再びレンと対峙して、まずは逃げることを選択する。オーリハの腕を掴んで先程まで身を隠していた隣の倉庫に戻る。レンもその後を追いかけてきた。
「逃がすか!」
レンに追いつかれそうになり、カレルはオーリハを先に行かせる。振り返るオーリハにはもう一度大きな声で走ることを命令した。カレルは壁沿いのタンクまで走り、壁とのすき間に入り込んでレンと向かい合う。
「兄貴の言った通り。あんな本のために命を捨てるとは」
「分からないだろうけど、あれはそれくらい大事なものなんだ」
カレルがソウの代わりに愛読書の価値を伝える。ソウとオーリハの会話を聞いてしまったため、今ではそのように断言できた。
「人間、今がどんな状況なのか分かっているのか?」
「そっちこそ」
そんなやり取りをしているとレンの後頭部で甲高い音が響く。振り返ったレンは銃を構えるオーリハを指差した。
「お前も八つ裂きだ!俺の身体に穴をあけたこと後悔させてやる!」
「よそ見するな!」
標的がオーリハに移ってはまずい。カレルは身体をタンクの陰に隠したまま、義手を伸ばしてレンを掴む。すると直ちにカレルは掴み返されて強い力で引かれ始める。大きな力にさらされた関節からは嫌な音が鳴った。
「タンクを撃て!」
カレルはその場にしゃがみ込んで義手が引き裂かれる音に耐える。踏ん張りがきかなくなると、カレルはタンクの裏から引きずり出された。復讐心に燃えるレンと目が合う。どれほど惨い殺され方が待っているのか。そんなことを考えた矢先、オーリハの弾丸がタンク下部の配管に命中した。
タンクには液化状態の水性ガスが保管されており、その内部は高圧となっている。外部からの刺激で穴があいた瞬間、爆発音とともにガスが倉庫に漏洩し始めた。
「オーリハ、外に出ろ!」
「これくらいで俺が驚くと思ったか!?」
レンはカレルの首を掴んで身体ごと持ち上げる。呼吸が出来なくなったカレルはレンの身体に蹴りを入れて抵抗する。しかし、レンの身体はびくともしない。次第に視界が暗くなっていく。ただ、意識がなくなる寸前にレンの力は弱まった。もう一度腹部を蹴りつけるとレンは後方に倒れる。
水性ガスは水素と一酸化炭素の混合ガスである。そして、一酸化炭素は燃料電池の触媒毒として作用する。そんな一酸化炭素を大量に吸気し、レンは急速な発電量低下に見舞われていた。
解放されたカレルはレンに飛び掛かって両腕の拘束を試みる。最初はレンの方が力が強く、すぐに振り払われてしまう。しかし、何度も続けている内にレンの動きはさらに鈍っていく。カレルが蓄電池からの電力供給では足りないほどの運動を強いたからである。
最終的にカレルはレンの背後に回り込むことに成功した。この乱暴なヒトを止めるための方法は一つしかない。格闘戦の中、カレルは二つのボタンを押し込んだ。ただ、今回はこれだけで終わらせない。
カレルは最後の力を振り絞ってシャットダウンされたレンを建物の外まで引きずり出す。そこではオーリハが銃を構えて待っていた。
「カレル!」
「大丈夫だ」
ガスを吸い込んでしまったため、カレルはめまいに襲われる。膝に手をついて呼吸を整えた後、オーリハの銃を指差した。
「それ、借りていいか?」
「何するの?」
そう言いながらもオーリハは銃を手渡す。カレルは初めて持つ武器に戸惑いながらオーリハと同じように構えた。
「これ、もう引き金を引けば弾が出るんだな?」
「うん」
カレルは地面に横たわるレンの顎を足で押し下げる。そのまま開いた口の中に銃口を突っ込んだ。
「中から弱いことは知ってんだ」
カレルはレンの上あごを狙って引き金を引く。弾丸が発射されると衝撃でカレルは後ろにのけ反った。それをオーリハが慌てて支えてくれる。
「危ない!何して……」
「ありがとう」
カレルは自分の足で立つと銃をオーリハに返す。そしてレンの状態を確認する。銃弾は口腔内から頭部の演算回路にまで達していた。
「こいつの相手は二度とごめんだ」
「だったら私に任せてくれればよかったのに」
「いいや、レンはヒトだから。アンドロイドみたいに物だって言い訳できない。僕の仕事だ」
カレルはそう説明しながら持っていたナイフでレンの腹部に切れ込みを入れる。内部構造はソウと全く同じで、手際よく水素貯蔵タンクを取り出す。
「さあ、ソウのところに急ごう」
レンは死んだ。それでもまだホウが残っている。ソウは愛読書を庇いながら戦っているはずでカレルとオーリハは倉庫に急いだ。
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