第33話 愛読書の意味
ソウが手掛かりを掴んで戻ってきたのは一時間もしない内のことだった。敵の上陸地点とそこから続く足跡が発見され、三人の進む方向が定まる。空に雨雲はない。それでも、足跡が消えてしまうことを危惧した一行は直ちに移動を始めた。
アネクは国と違い、誰かが国境付近に生活している様子はない。そもそも、カレルはアネクが国の外だということ以外知らず、国と同じように人間やヒトが生活しているとは限らなかった。とはいえ、敵は道と呼ぶべきものの上を進んでいる。この土地が何者かの干渉を受けていることは間違いない。
太陽が昇るとカレルらの移動速度は落ちる。敵がどこで索敵しているか分からず、夜間に動くとなれば昼間にオーリハに休息を与える必要があるからだ。ソウが先を急いでいることは雰囲気から伝わってくる。ただ、愛読書を追うとなって最初に頷いたのはオーリハであり、それがカレルの説得に繋がったことを理解していたソウは文句を口にしなかった。
太陽が地平線の下に消えていく頃、一行は出発の準備を始める。その前にカレルが用を足すと言って森に入っていくと、オーリハはソウと二人きりとなった。夕焼けによってソウの横顔が染められ、オーリハはそれに釘付けとなる。二人きりを気まずく思ったのはソウも同じで、最初はオーリハの視線に気付いていない振りをしていた。しかし、途中で顔を合わせた。
「どうかした?」
「ソウと二人きりになるなんてあまりないと思って」
「そうだね」
オーリハの言葉にソウが短く返す。そうして再び沈黙が訪れる。なおもオーリハが視線を逸らさずにいるとソウがもう一度声を掛けてきた。
「オーリハさんが来てくれるなんて思ってなかった」
「邪魔だった?」
「そうじゃなくて!カレルのためだってことは分かってる。でも、嬉しくて」
「嬉しい?」
「うん。何かおかしい?」
オーリハはソウに苦手意識を持たれていると思っていた。実際にそれは正しく、そう仕向けたのは過去のオーリハである。ただ、特別な感情を抱いていないにもかかわらず、ソウはただの人間に対しても態度を変えない。それをオーリハは不思議に思う。
「ううん、無事でよかった」
「ありがとう。あの、ナミハヤはどうなったんですか?私、すぐにシャットダウンされて連れていかれたからあまり知らなくて」
「壊滅っていうのかな。たくさんの人間が死んだ。ヒトも死んだ」
「その銃……ヨーゼフさんは?」
ソウがオーリハの銃を一瞥してから問いかけてくる。オーリハはそれに対しても少し驚いてしまった。ソウが形見の銃のことを知っていると思っていなかったのだ。
「死んだ」
「ごめんなさい」
「いいの。それよりどうして分かったの?」
「オーリハさんがナミハヤを出たことがなかったのってヨーゼフさんに言われていたからだよね?銃もそうだけど、もしヨーゼフさんがいたならカレルが一緒の旅を許すと思えなくて」
「ふうん。なるほどね」
ソウはカレルのことをよく理解している。オーリハはそのように上から目線の感想を持った後、当たり前のことだったと心の中で修正した。この二年間だけを切り取れば、ソウの方がカレルの隣にずっと長くいた。その間のカレルをオーリハは何も知らないのだ。
「カレルが戻ってくる前に聞きたいことがあるんだけどさ」
「私の愛読書のこと?」
ソウは予想していたのか先回りして言葉を返してくる。オーリハは正直に頷いて自分の読みが合っているのか調べることにした。
「どうしてあの本に固執するわけ?」
「それは……気付いたから私の我儘に付き合ってくれているんじゃ?」
ソウの返答はまたしても変化球でオーリハは言葉を詰まらせる。ソウの目は真剣で、太陽が完全に落ちると影を身に纏って瞳が妖しく光る。ここまで思考を読まれているとなれば、オーリハの推測が正しいこともソウには分かっているようだった。
「あれはカレルじゃない」
「ええ。オーリハさんから見ればただの科学書です。でも、私にとってはカレルと出会って一緒に過ごした証拠」
ソウの口からはっきりとした意味が述べられる。予想が正しかったと分かってオーリハはより複雑な気持ちになった。これで解決とはならない。オーリハに更なる疑問が生まれる。
「まるでカレルとまた離れ離れになってしまうような言い方」
「違いますか?私はその日が来ると思ってます」
「………」
オーリハは冗談を言ったつもりだった。しかし、ソウはそう断言して自らの右手に視線を落とす。何度か握る仕草をすると困ったように笑う。オーリハは銃を肩にかけ直して首を傾げた。
「私はヒト。カレルは違う」
「あなたがカレルをヒトにしたこと忘れたの?」
「ええ。でもカレルの心は人間です。人間とヒトは違う。特に私みたいにずっとヒトとして生きてきた存在とは天と地ほども」
「それがカレルと離れる原因になるって考えてるわけ?」
カレルが過小評価されている。そんな気がしたオーリハは声に力を乗せる。ソウが人間に対して全く偏見を持っていないのと同様に、カレルの心にもそんな考えはない。二人はオーリハが持っているような潜在的な憎悪と無縁なのだ。
「いいじゃないですか。オーリハさん、いつも私のこと煙たがってたから」
「そうよ。あの仕事のせいで私はカレルと離れることになった。なのに、どこからともなく現れたソウは、一緒に旅をして、一緒に新しい世界を見て帰ってくる」
「ほら」
「だからってカレルを穿った目で見るな」
「え?」
「カレルを都合の良い色眼鏡越しに見るなって言ってるの!」
オーリハが真正面から言葉をぶつけると、ソウはそれを全て受け止めて黙る。オーリハはため息をついて腰に手を当てた。
「煙たくたってソウのおかげでカレルが今日まで生きてこれたことは分かってる。それは私にはできなかったことだし、ヒトとして助けたことだって感謝してる。だから余計に今のソウの態度は腹が立った」
「カレルが大好きなんですね」
「ええ、だから応援してるわけじゃない。私はちゃんとカレルを見てる。カレルがヒトと人間をどう思ってるのかなんて知らない。だけど、ソウから目を背けたりしてないってことは分かる。ソウはそれを無視しようとしてるんじゃない!?」
なぜソウのためにここまで言わなければならないのか。オーリハは言ってからそう思い、恥ずかしさで顔を熱くした。しかし、それでも言っておかなければならない。カレルだけでなく、ソウのことも偏った目で見たくなかったからだ。
「やっぱり敵いそうにないです」
「どういう意味?」
ソウの言葉の意味が分からずオーリハは眉をひそめる。ただ、ソウはそのままオーリハに背を向けてしまう。急に話を終わらされたオーリハは戸惑ってその場で立ち尽くす。その直後、背後の茂みがカサカサと揺れた。
「ごめん、待たせた。もう準備はできてる?」
戻ってくるなりカレルは申し訳なさそうに二人に声を掛ける。ただ、誰にでも分かるほどその雰囲気は作り込まれていた。オーリハは顔を合わせないように頷いてソウの後ろまで歩く。それからしばらく、オーリハはソウの後ろ姿を睨み続けることになった。
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