第31話 ソウの正体

 オーリハが仮眠を取っている間、ソウは周囲に気を配って警戒を続け、カレルはそれを木陰から眺めていた。この時間を使ってもう一度愛読書について話し合おうかとも考えた。しかし、なかなか言い出せないでいるとオーリハが目を覚ましてしまい機会を失ってしまう。


 昼過ぎになって三人は慎重に山を下り始めた。ソウが安全を確保しながら進んでいるが、敵がホウやレンであることを考えると安心はできない。歩いている間、カレルは風で軋む枝や小石の転がる音に敏感に反応してしまう。ただ、工場跡地まで戻ってもアンドロイドやヒトの姿は見当たらなかった。


 「酷い有様」


 オーリハが海岸線を見渡して言葉を漏らす。カレルも鼻につく油の燃えたような臭いを我慢しながら瓦礫の上を進んでいく。昨日の夜、ここで大規模な戦闘があった。しかし今では、波の音と海鳥の声だけが聞こえる穏やかな場所になっている。


 「国のアンドロイドは?」


 「撤退したのか、それとも皆こんな風になったのか」


 カレルの足元にはアンドロイドの頭部が転がっている。形状からして国のアンドロイドのもので、戦いが激しかったことを証明していた。敵アンドロイドの残骸もあちらこちらに散らばっている。


 「敵の数が一致しない。ホウとレンの欠片もない」


 瓦礫に足を取られたカレルらがまともに動けないでいる内に、ソウはあちこち飛び回って情報を集め、二人の前に戻ってくる。ソウの分析はいつも正確で、それならば残党がどこに向かったのかとカレルは考え始める。感覚がソウと旅をしていた頃に戻りつつあった。


 「心当たりは?」


 「あの倉庫には船があるはずだった。それに乗せられてアネクに行くことになってたから。でも、それが見当たらないからきっと出ていったんだと思う」


 「じゃあまずは好都合ってわけだ」


 足が棒になりかけていたカレルは元々は工場の外壁だったと思われる瓦礫に腰を掛ける。ホウやレンを相手にしなくていいと分かると勝手に安堵してしまう。しかし、ソウに息つく間などなく、即座に自身が監禁されていた建物へと走っていった。重たそうな銃を肩に抱えているオーリハもその後を追って瓦礫の山を登る。


 「カレル」


 「分かってる」


 オーリハに呼ばれてカレルも再び動き始める。ソウが愛読書に執着する理由は言うまでもない。しかし、今になってオーリハまであの難しい本に興味を示している理由が分からなかった。面倒なことにならないか心配に思いながら、カレルも再び瓦礫の山に足を掛けた。


 ソウが捕まっていた建物は大きな損傷なく残っていた。既にオーリハが辺り一帯をくまなく調べている。部屋ではオーリハがカレルを待っていて、その手には紙切れが握られていた。


 「何か見つけた?」


 「これ……読めないんだけどソウの絵が描いてある」


 「ん?」


 渡されたのは一枚のパルプ紙だった。現代においてこのような紙が情報媒体となることはほとんどないため、カレルも興味を持ってそれを観察する。表面は薄汚れてしまっており、端はところどころ破れてしまっている。しかし、書かれている文字を読むことはできそうだった。挿入されている図には確かにソウと似たヒトの絵が描かれている。


 「原古代言語だ」


 原古代言語は現在の言語と構造が似通っているためカレルでも解読できる。多くの科学書がこの言語で書かれているため、接する機会も多いのだ。そうして読み進めていくと本当にソウに関する情報が書かれていた。


 「なんて?」


 「ソウのことだ。ソウの能力のこと……」


 読めないオーリハはカレルからの説明を待つ。ただ、この内容を簡潔に説明することは難しいように思われた。カレルがどう説明するべきか言い淀んでいると、ソウが唐突に窓から飛び込んでくる。驚いたカレルは紙を落としてしまった。


 「……見つけられなかった」


 「そうか」


 「何それ?本の一部?」


 ソウは落ちている紙に気付くと強い関心とともに近づいてくる。今見せるべきではないと思ったのは、すでにソウが手に取った後だった。


 「三号実験計画書?」


 「この部屋にあったんだな?」


 「うん。あの机の下に落ちてた」


 カレルとオーリハで話している間にもソウは目を見開いて内容を読み進めていく。徐々にソウの眉間にしわが寄っていく。


 「なにこれ?」


 「書いてあることが正しいとは限らない」


 「何が書いてあるの?」


 我慢できなくなったオーリハがカレルに問いかける。カレルはひとまずソウと目を合わせる。ソウは震える手でその紙をカレルに渡した。


 「ホウレンソウ型の実験計画についてだ」


 「実験って?」


 「詳しいことは分からない。続きがあるんだろうけどこの一枚しかないから。でも、項目に書いてあるのはハッキング性能とスパイとしての運用について」


 「私……こんなこと知らない!」


 「分かってる」


 ソウが取り乱しそうになるが、その前にカレルが優しく言葉を掛ける。ソウを気にしていると、今度はオーリハに腕を引かれた。


 「ホウレンソウ型には自我の並列化ができるって書いてある」


 「自我の並列化?」


 「つまり、他人の演算回路に干渉して思い通りに操作できるってことだ」


 「私知らない!本当に!」


 「大丈夫。ちゃんと分かってるから。そもそもネグルージュの法則に反してる」


 ソウは部屋の中を落ち着きなく歩き回って首を横に振る。一方、オーリハにはその意味するところがまだ理解できていない。カレルは言葉を噛み砕いて説明した。


 「ここにはソウが他のヒトを遠隔で操作できると書いてあるんだ。自我をハッキングして制御するんだと。でも、それは原則に反してる。ネグルージュの法則では、個人の意思はその個人の自我のみによって決定されるはずだから」


 「私、分かってたんだ。だからカレルのことを……」


 「ソウがカレルの自我を移せたのってそれで?」


 オーリハの一言でソウが再び頭を抱える。カレルは即座に違うと断言した。


 「ソウが誰かの自我に干渉したことは一度たりともない。僕が保証する。あの時にソウがしてくれたのは単なる情報の移動だ」


 「でも、そうやって二つの自我を操れるってことは……」


 「ああ。ソウが特別なのは間違いないんだろう。普通のヒトに自我に関する情報を二つ持たせることはできない。だからお互いが別人として生活することができていた。でも」


 「自我を操ることで、ソウは誰かをもう一人の自分にすることができるってことね」


 オーリハは重苦しい雰囲気に気を配ることなく結論に触れる。カレルはその場に座り込んでもう一度内容を読み返す。カレルの中ではこれに対する疑義ではなく、納得が支配的になっていた。しかし、それはソウの見方が変わるということではない。


 「これで辻褄が合うことは幾つかある。僕を助けてくれたこともそうだけど、ソウの演算回路にはこの国で知られているどの演算回路より高い能力が与えられていた。演算能力や解析能力が桁外れだったのも、自我を二つ組み込めることが理由だとすれば納得がいく」


 「でも!どうやってするのかも分からないし」


 「何度も言ってる。ソウを疑ってなんてない。僕らが出会った時、ソウは訓練の最中だった。だから基盤はあったとしても、能力はまだ付与されてなかったんだろう。街に出ていたのも人間として振る舞う練習のため。その最中に僕と出会った。このスパイって項目も、あの貴族がアネクと繋がってたと考えれば腑に落ちる。ホウレンソウ型はアネクの技術だ」


 ソウに気を遣いながらカレルは導き出した結論を口にする。これはソウがどのように生まれたのかという話であって、ソウが何者かという話ではない。しかし、ソウにはそう簡単に割り切ることができなかった。


 「優しくしなくていい!もし私が……万が一私がこれをカレルに使ったら、カレルはカレルじゃなくなるかもしれないんだよ!?」


 「あのね、ソウがそんなことしないってことくらい分かってる。もっと落ち着いて冷静に考えて。誰の本を探してここに留まってると思ってるわけ?」


 「オーリハさん……」


 ソウを宥めたのはオーリハだった。難しい顔をして考える素振りを見せているが、結局は肩をすくめてカレルと向き合う。


 「問題なのは向こうがこれを使ってくるかもしれないことでしょ?特にカレルは危ない。今はもう頭が演算回路になってるんだから」


 「ああ。信じられないことだし、どういう作用で引き起こされるのか分からないから打つ手がない」


 「やっぱり私……」


 「駄目だ」


 カレルはソウの声を遮って普段通りを振る舞う。立ち上がって埃を払い、手に持っていた紙を丸めるとその辺りに捨てた。


 「捕まってる間、ソウはあいつらから自我への干渉を受けなかった。ということはあいつらも使えないか、もしくは同型には効果がないってことだ。僕の見立てでは、まだあの二人にも使えないんだと思う」


 「どうしてそう言えるわけ?」


 「ホウレンソウ型はこの国でスパイ工作をする目的で作られた。だけどソウを失って、二年越しに見つけ出すなりアネクに連れ戻そうとした。つまり、この計画はまだ進んでない」


 「それで?」


 「ソウの確保にホウが動いたんだ。もしすでにホウがその能力を持っていたとしたら、あまりにもアネクの連中は稚拙すぎる。なぜなら、同型のソウにはホウに打ち勝つ可能性があるわけで、そうなれば能力を奪われることになりかねない。ソウを失った時点でまだハッキング能力を与えていなかったのであれば、ソウを再教育するか排除するまで計画を凍結するに違いない」


 「なるほどね」


 「だから僕らもソウと行く。オーリが言った通り、ソウが優しいことはよく知ってる。こんなことで僕らに猜疑心が生まれるとかそんなことを思われる方が心外だよ」


 遠回りになってしまったが、カレルが言いたいことは最後のこれだけだった。そのために上手くない説得まですることになった。オーリハも頷いてソウの反応を待つ。


 「みんな馬鹿だよ」


 「馬鹿に説得されてるのは誰だ?」


 カレルの言葉を聞いてソウに笑みが戻ってくる。それを見て、オーリハは呆れたように部屋を出ていってしまう。ソウに暗い顔は似合わない。カレルはこれでソウが元通りになってくれることを願った。

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