第30話 愛読書の行方

 「ここらでいったん休憩しよう」


 「……そうだね」


 ソウを背負うオーリハの先導で進んでいた一行は開けた場所に出て立ち止まる。少し山を登ったため海が下方に見えて、戦闘による煙もこの高さに届く前に風に流されていた。空を見上げると月は位置を変えていて、小さな星が見えやすくなっている。


 オーリハは木陰にソウを座らせてカレルのそばに寄ってくる。カレルは周囲を警戒して自分の目では何も捉えられないことを確認した。


 「大丈夫?」


 「ああ。川で顔を洗ったからもう今はなんともない」


 「目が充血してる」


 「時間が経てば治るよ」


 カレルには自分の身体より心配しなければならないことがある。ソウのそばに寄って隣に腰掛けると、ソウは顔を背けた。一段落ついて心に溜まっていた感情が溢れたらしい。


 「メンテナンスするから」


 「要らない」


 カレルが左腕を伸ばすとソウがそれを振り払う。強く接触したわけではないが、片腕を失っていたカレルはそれだけで体勢を崩してしまう。ソウはあっと声を出し、手を貸そうとしてすぐにひっこめた。


 オーリハはそんなソウの態度に足音で牽制する。カレルはそれを制止して頭を下げた。


 「ソウ、本当に悪かった。あの時、僕は自分のことしか頭になかった。少し考えれば馬鹿げた八つ当たりだって気付けたはずなのに」


 「………」


 「僕には母親の言葉が付きまとってた。人間として生きることに大きな理由はなかったんだ。固執しすぎて後戻り出来なくなって、自分に嫌気が差すよ」


 「違う」


 何故自分が間違った態度を取ってしまったのか、カレルは一人で考えて言葉にする。しかし、ソウはそれを聞いて首を横に振った。


 「誰であっても皆、自分の生き方は自分で決められる。他人に強制されるものじゃないし、ましてや強引に与えられるなんて……」


 「そうだよ。だから僕にも僕が考える生き方があるはずだった。なのに自分では何も考えず、死んだ人間の言葉に振り回され続けた。だから腹立たしいんだよ!ソウと面と向かっていたのは僕だった。それなのに別の人間の言葉で返すなんて……卑怯だ」


 カレルは過去の過ちを悔いる。今頃それに気付いて大人になったとしても、ソウに言い放った言葉が消えるわけではない。目の前のソウは俯き気味にカレルを見つめて困った顔をしていた。


 「私、捕まっている間、カレルと二度と会えないと思って嫌だった。でもこれが罪滅ぼしになると思って我慢してた。何度もあの夜のことを思い出したりもした。でも、カレルを見殺しにするなんてできないって……気付いちゃって。どうして私はこんなに我儘なんだろうって」


 「ソウ……」


 「カレルが追いかけてきてくれたことも嬉しかった。嬉しく感じちゃったの。……どうせ私は都合の良いことしか考えられないんだ。生まれた時からヒトだったから、どんなに努力したってカレルの気持ちを分かることなんて、できないんだ……!」


 唇を噛むソウが目尻に涙をためていく。それは瞬く間に大粒となって地面に落ちていった。こんなに感情を露わにできてどうしてそんな不安を持ってしまうのか。カレルはソウの涙を見て言葉を詰まらせる。すると、一つの記憶が蘇ってきた。


 涙を流しながら荒野を一人で歩いていた夢。大きな不安に押しつぶされそうになりながら、それでも歩みを止めることはしなかった。目の前のソウを見て、やっとそれが誰の記憶だったのかカレルは理解する。


 断言できる理由は何もない。しかし、今のカレルに疑う理由はなかった。カレルに記憶を移す過程で、自分の記憶を誤って紛れ込ませてしまったのかもしれない。理由はなんであれ目の前の姿と重なった以上、余計にソウを放っておけなくなる。


 「ソウ」


 「もう謝らないで!」


 「ありがとう」


 両手でカレルを拒絶するソウに感謝を口にする。結局、どのように言葉で取り繕うとしても両者の言い分が埋まることはない。そうであれば、あえて二人が納得できる着地点を見つける必要はなかった。


 カレルはこれからもソウと一緒にいるためにここまでやって来た。こうなってしまった経緯ではなく、その結果に感謝することで前に進める気がしたのだ。


 「ソウのおかげで僕はこうして生きてる。危険を承知で助けてくれたってイーロンから聞いた。二人分の自我を抱え込めるなんて聞いたことない」


 「それは私にも分からない。……ああっ!私、カレルの心を覗いたりなんて!移した後はちゃんと消したから!」


 「そんなの気にしない。残っていたって構わない」


 「それは駄目でしょ」


 今まで二人の話を黙って聞いていたオーリハが言葉を挟む。どうやらソウに怒ったのはこの点についてだったらしい。決してカレルをヒトとして生きながらえさせたことではない。


 「私、またカレルと一緒に居ていいの?」


 「迷うことなんて何もない!だから、ソウの身体を見せてほしい」


 「んん?いきなり何言ってるわけ?」


 「メンテナンスさせてほしいんだ。きっと足の動力機構をロックされてる。その他にもまだ何かあるかもしれないし」


 「……うん。おねがい」


 ようやくソウの承諾を得る。しかし、後ろではオーリハが鼻を鳴らしていてやりずらい雰囲気だった。無視していると、今度は銃を手にとって意味深にカチャカチャと音を鳴らし始める。


 「分かったよ。それも見るから」


 「うん」


 「でもカレル、その腕で」


 ソウがカレルの右腕を心配する。すでにカレルは受け入れたが、ソウは飲み込めずに狼狽えている。そうしているとオーリハがカレルの腕の断面を覗き込んできた。


 「あーあ、途中で千切れてるから端子を取り出すの大変だよ」


 「そうなのか」


 今になってカレルは自分の腕の状態を気にする。そう聞かされると不安になるが、オーリハがいつもと変わらない口調だったため恐怖はなかった。


 「また新しい義手を探さないと」


 「義手つけてたんだ」


 「ないとさすがに困るからさ。でも、演算回路も義手も思ってたほど嫌じゃない」


 「私に任せて。またちゃんとつけてあげるから」


 「よろしく。……ソウ?」


 カレルがそう返事をして再びソウに視線を戻すと、その顔には影が落ちていた。ただ、それも一瞬のことでカレルは早速メンテナンスに取り掛かった。


 「聴覚の接続まで弄られてた」


 作業には想定より多くの時間がかかり、終わったのは日の出の少し前だった。基本的にはソウの自己診断機能によって見つけ出された不具合を修正していったが、中には故障を引き起こすのではなく細かく性能を抑制する手が施されていたのだ。


 カレルが逃げる際に荷物を置いてきてしまったことも問題になった。ソウのメンテナンスに必要な道具を失い、オーリハの銃のための道具で代用しなければならなかったのだ。また、一本腕での作業も原因の一つとなった。


 「何度も強引にシャットダウンされた」


 「そうみたいだな」


 「怖かった」


 「うん」


 カレルが虹彩ロックを調べていると、ソウが小さな声で話し始める。このようなメンテナンスをした後は必ずシャットダウンをしなければならない。だからこそソウは胸の内の不安をさらけ出している。


 「気が付くと全然知らないところに座らされてるの。その間に何をされたのかも分からないで、あの二人ときたら今までどこで何をしてたのかってことばかり。頭の中をこじ開けようとまで」


 「ロックは最後まで機能してた。ソウの中は何も見られてない」


 「どうしてあんなことができるの?私がヒトだから?それともカレルが優しかっただけ?」


 「ソウ……」


 残す工程はあと一つ。ただ、こんな話をしている最中では切り出しずらかった。そこで今日はカレルから手を差し伸べる。ソウはその手に少し驚いた後、いつものように固く握りしめてきた。


 「起こしてくれた時、手を握っててくれた。ありがとう」


 「約束だったから」


 二人が横に並んで座ると、ソウの頭が肩に寄りかかってくる。カレルはそこで気付く。


 「押すための腕がない……」


 「あ、そっか」


 いつもはカレルが後頭部のボタンを押しているが今日はそれができない。すると、何を思ったのかソウは握っている手に力を入れた。カレルは仕方なくオーリハに声を掛ける。


 「オーリが代わりに押してくれないか」


 「私?いいの?」


 「いいよな?」


 「……うん」


 ソウは不満そうにしているがそれ以外に方法はない。カレルが場所を教えて、少し緊張した様子のオーリハが優しくボタンを押す。ソウは眠るように意識を失った。


 「毎回こうしてるの?」


 「ああ」


 「ヒトはシャットダウンが必要だって聞いてたけど、なんか想像と違ってた。カレルも必要?」


 「した方が良いのは間違いない。でも、僕の演算回路は完全に埋め込まれてるから切開しないといけないと思う」


 「でもしないとまずいんじゃ」


 「いいんだ。別に性能が落ちたって昔の自分を下回ることはないんだからさ」


 ソウが演算回路で身体の全てを制御している一方、カレルは単純に脳が取り換えられただけである。とはいえ、本当にその必要に迫られた場合のことを考えたくないだけかもしれなかった。このような形で他人に命を委ねる感覚を知らないからだ。


 所定の時間が経つとソウを起こす。目を覚ました後はいつものように握った手を確認するソウだったが、今日は特別念入りに絡めた指を確かめていた。恥ずかしくなったカレルは逃げるようにそれをほどく。


 朝日が昇って辺りが明るくなっていく。その方角にカレルらが帰るべきナミハヤがある。ソウを取り戻したことでカレルの旅の目的は達成されたと言っていい。ただ、一つだけ心残りがあった。


 「後は帰るだけ、なんだけどさ」


 「ん?」


 カレルが声のトーンを落として話しかけるとソウが敏感にその違和感に気付く。オーリハも何を話そうとしているのか分かったようだった。


 「実は、ここまでソウの愛読書を持ってきてたんだ。持ってきたというか、ナミハヤが襲われてイーロンが管理できなくなったから僕が預ってた」


 「良かった、燃えてなかったんだ」


 ソウはそれを聞いてまずは安心する。しかし、次の瞬間にはっと息を飲んで胸を押さえた。カレルが荷物を捨てて逃げてきたことを思い出したのだ。


 「ごめん。逃げる時に置いてきてしまった。まだ読み切れていなかったと思うけど」


 「そんなに深刻なこと?その本、難しくてまともに読めなかったんでしょ?」


 事情を分かった上でオーリハがそんな反応をする。その目的は明らかだった。ソウはカレルと顔を合わせ、我慢できなくなったのか目を伏せてしまう。


 「あのアンドロイドがホウに勝てたとは思えないから、きっともう回収されてるだろう。もともとあの屋敷にあったものだ。運が良ければあの場所にほったらかしにされてるかもだけど」


 「私が回収しに行く」


 カレルがそこまで説明したところでソウが声を張る。こうなることを警戒してカレルとオーリハは遠回しに自制を促していた。しかし、結局こうなってしまうことも分かっていた。


 「それだけの価値があるの?要論だったんでしょ?リスクが大きすぎる」


 「僕も同じ考えだ。ソウには悪いけど諦めるしかない」


 「ううん。私の失くしものだから」


 ソウはそう言って途端に身体の状態を確認し始める。カレルはせっかちなソウを慌てて座らせた。


 「今はそんな状態じゃない。あいつらが海を渡ればその後に探してもいいかもしれない。でも、ホウやレンがどこにいるか分からない中じゃ」


 「珍しいのかもしれない。それでもただの本。命に代わる物じゃない」


 「違う!あれは私にとって大切な本なの!」


 オーリハのやや強引な説得にソウの口調が激しくなる。これには二人とも閉口するしかなかった。ソウは小さく息を吐くと、何もない両手を見つめて愛読書の重さを確かめる。


 「あれはカレルと出会うきっかけになった本。何があっても最後まで読みたいの!」


 「気持ちは嬉しい。でも、ソウの方が大切だ。危険なことは……」


 「あの時カレルは言った!あの本を理解できればたくさんの苦しむ人たちを助けられるって」


 「言った。でも」


 「可愛がってた犬も死なずに済んだんだって」


 訴えかけてくるソウの目は出会った頃に戻っている。優しいだけではない。後悔に押しつぶされそうになった挙句、カレルについていくと決意した瞳である。説得のための言葉を探すカレルだったがそう簡単には見つからない。


 「カレルとオーリハさんは先にナミハヤへ。簡単に捕まったりしない。ちゃんと帰るから」


 「なるほどね。だったら、私は協力してあげてもいいけど?」


 「オーリ!?」


 ソウが一人で抱え込もうとしていたところ、意外なことにオーリハから協力が提案される。驚いたカレルは反対の声を出そうとするも、勝手に喉が締まって咳込んでしまう。その間にオーリハが続けた。


 「私は本を読んだことがないから分からないけど、でも今の言葉で何となく分かった。それで心に穴があいたら意味がない」


 「どういうことだ?」


 「私はついてく。カレルはどうする?」


 気が付けばカレルに味方はいなくなっていた。自分だけ立ち去るという選択肢はなく、強引に二人を引きずっていくこともできそうにない。頑固な二人を前に考えるだけ無駄だった。


 「アネクに渡ることになるかもしれないんだぞ?」


 「分かってる」


 「それだけじゃない。ホウやレンとも戦う羽目になるかもしれない。もし破棄されていたらどうする?」


 「あの二人に私の愛読書は必要ない。もし焼いたり破ったりなんてしてたら絶対に許さない」


 ソウはこれまでにないほど自らの意志を固めている。もはやカレルの言葉が入り込む隙間はなかった。

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