第27話 ホッポ
最寄りの街はホッポという名の寂れた港町だった。ここには他の街で見かけるような検問所はなく、カレルらは誰からの関心も引くことなく歩くことができる。通りに並ぶ建物は今では見かけない木造で、そのどれもが風雨に晒されたために朽ちてしまっている。しかし、そこにも住んでいる人間の姿があった。
「へえ、旅人ね。こんな辺ぴな場所までわざわざ」
「あまり見かけませんか?」
「こんな有様だし来る理由がないだろ」
カレルは街で最初に出会った住人に話しかける。その者は漁師のようで、仕事に使う網を直している最中だった。顔を上げた漁師は物珍しそうにカレルとオーリハを観察する。警戒している様子はない。カレルは街に入ってから気になっていたことを尋ねた。
「国のアンドロイドを見かけない気がするんですが」
「そんなもんとっくの昔に居なくなっちまったよ」
「どうして?」
「全部破壊された」
漁師は自分の手元に視線を戻して抑揚なく答える。当然だと言わんばかりの態度を取っているが、それはカレルからしてみれば信じられない話だった。国境に最も近い街に国のアンドロイドがいないということはつまり、この地域で国防が全く機能していないことを意味しているのだ。
「誰が壊したんですか?」
「そりゃアネクの連中よ。一晩で全てが鉄屑になったって話だ」
「国は追加を寄こさないんですか?」
「最初の内はあったっけ。だけど、割に合わないと思ったのか今はもうないよ。おかげでこの街は襲われなくなった」
どこか遠くで海鳥が鳴いていて、波の音が周期的に聞こえる。発展度で言えば、この街は国の中で最下層と言って差し支えない。ただ、この漁師はそれを不満に思っていないようだった。
「アネクの連中は頻繁に見かけますか?」
「ああ。街には干渉しなくなったが、海岸沿いの林や大昔の廃屋によく根城を作ってる。見つけた時は国に通報しているが、まあいたちごっこだな。追い払ってもすぐ別の場所で何かしている」
「どうして街を襲わなくなったのですか?」
「さあね。この街にはヒトはおろかお嬢ちゃんみたいなのもいなくなった。襲う価値もなくなったんだろ」
その言葉を聞いてカレルとオーリハは顔を見合わせる。ホッポの状況について、今のところ現状が安定していることしか分からない。アネクの侵入を簡単に許していることにも驚かなければならないが、気になったのはホッポがアンドロイドやヒトの存在しない街だということだった。だからこそ襲われなくなったとも考えられる。
「最後に、この街に商店はありますか?あと、こういう義手を手入れできる場所とか」
「国の通貨が使えるのは通りの先にある品揃えの悪い店だけだ。色んなものが欲しいならここじゃ物々交換ってルールになってる。その義手を治せるかは知らないが、船やら金属の小物を取り扱ってる工作所ならもっと西の海岸沿いにある。ぽつんと一つだけ、レンガの煙突が目印だ」
「ありがとうございます」
丁寧に教えれてくれた漁師に感謝を述べてカレルらはその方向に歩き始める。話を聞いてからもう一度観察してみると、確かに住んでいるのは中年以上の人間だけのようだった。若者が街を立ち去る決断をしたとしてもおかしくはない。
「不思議な街だね」
「不思議どころじゃない。異常だ。でも、成り立ってる」
街の成立には大前提として平和的な環境が必要だとカレルは考えていた。少しでも防御や自衛の意思を損ねれば、直ちに盗賊や他の武力的な集団が襲いに来るからだ。国境の街ともなればそれは顕著なはずである。しかし、そんな想像とは違って、ホッポではなぜか安定的な生活を送ることができている。
「確かに、ここで戦う必要なんてなさそう」
「え?」
「だって元気ないし。近くで簡単に拠点を作れるんだったらここにわざわざ手を出す必要ない」
「それはそうだ」
「国の外がアネクなんだっけ?だったらここももうアネクなんじゃないの?」
オーリハは戦いに巻き込まれなくて良かったというような論調をする。そんな考え方はあながち間違っていないのかもしれない。ここが誰の支配の及んでいる場所なのか。少なくとも抵抗を諦めたこの国ではなさそうだった。
商店はすぐに見つかり、そこで手に入れられる物を購入してから他の商店で本当に必要な物と交換する。レートを吊り上げられていると分かっていたが、面倒を避けるために全て頷いていく。こうして再び旅に必要な消耗品を集めた後、最後に教えてもらった工作所に向かった。
工作所は防風林のそばに伝えられた通りの風貌で建っていた。動く人影もあり、その中で火花が散るような作業が行われていると分かる。カレルはその中の責任者と思われる男に話しかけた。
「なんだ、お前ら?」
「初めまして。旅をしてホッポまで来たんですが、こういうのを直せそうな場所を聞いたら漁師さんにここを教えられて」
「義手ねぇ」
男がカレルの義手をまじまじと眺める。そしてすぐに首を横に振った。
「うちで扱えるのはもっと初期の簡単なやつだけだ。そんなに駆動回路が複雑なやつは触れねぇ」
「じゃあ道具を貸してもらってもいいですか?あとは自分でしますから」
「……夕方までには済ませてくれよ」
「ありがとうございます」
男の案内で工作所の中に入る。屋根こそあるものの、窓のガラスは全て割れていて吹き曝しとなっている。中には他に数人の作業員がいて、今は中型の鉄船の胴体を溶接している最中だった。
「危ねえから近づくな」
「テルミットですか?」
「詳しいじゃねえか。だったらなんだ」
「どこから反応剤を?ここらで生産してるわけじゃないですよね?」
テルミットとはアルミニウム粉末の燃焼反応のことである。この時に得られる高温で溶接する技術はさほど珍しいものではないが、ホッポの技術水準を見た後のカレルにとっては不思議だった。アルミニウム粉末の生成には極めて莫大なエネルギーが必要となるからである。
「年に数回国の行商人がここまで売りに来てる。酸化剤や他の薬剤も色々な」
「行商人は来るんですね」
「ああ。変な奴だ。どこから来てるのか知らないが、いつも馬鹿みたいにたくさんの荷馬車を引いて来る。それで進める距離って考えても思い当たる街はないんだが」
「そうですか……」
カレルは溶接作業を眺めながら色々と考える。そうして黙っていると男が眉にしわを寄せた。
「まさかあれを使うなんて言わないだろうな?」
「ここでは使いません。ですけど、あの反応剤少し分けてくれませんか?もちろんその分の代金は払います」
「……何する気だ?」
カレルの思い付きに男だけでなくオーリハも首を傾げる。カレルは気にすることなくさらに言葉を続けた。
「もうひとつお願いがあるんですけど」
「は?」
「ここから北に3キロほど先にある工場跡地にアネクの集団が集まっているのを見かけました。良ければ国に通報して頂けませんか。この反応剤は目印に使います」
「正気か?」
「はい。ここではおかしいのかもしれないですが、僕らはもっと東から来ました。まだ欠片ほどの愛国心はありますから」
ここまで説明しても男の反応は変わらない。強引過ぎたかとカレルが心配していると、男は額をかいた後に一つ頷いた。
「その場所は知ってる。間違って森を燃やすんじゃねえぞ。ここらの連中はあれを糧にして生きてる」
「分かってます」
「それと、くれぐれもてめえから手を出すな。あいつら人間には手を出してこないが、敵対したらどうなるか分からねえ」
「そのための目印です」
「大抵は通報からアンドロイドの到着まで6時間だ」
納得はしていないものの協力はしてくれるらしい。カレルはもう一度感謝を述べる。
「昔、街にもそんな馬鹿げた正義感を持った若いのがいたが、皆アネクの連中に殺された」
「自分でも馬鹿げてるとは思ってます」
「だったらいいんだ」
男はそう言い残してカレルの要求通りの準備をしてくれる。男が離れた隙に今度はオーリハが小声で問いかけてきた。
「どういうこと?」
「ソウを助け出すための武器だ。あれでホウかレンを燃やす。まともな理由をつけないとくれないと思って」
「上手くいくの?」
「ソウの皮膚は高分子膜だった。ある程度の耐熱性はあるけど、あの温度なら傷をつけられるかもしれない」
「私には思い付きが過ぎるようにしか見えない」
オーリハにたしなめられるカレルも自分の考えが最善だとは思っていない。オーリハはやんわりと考えを改めるように促していた。
「アンドロイドを呼ぶなら任せたらいいじゃん」
「駄目だ。国のアンドロイドじゃホウやレンに勝てない。それに時間もあまり残されてない」
「え?」
「話を聞いただろ?アネクとの行き来は日常茶飯事のように行われている。もう一日考えを練ってると朝にはいなくなってるかもしれないんだ」
「だとしても……」
「それに、僕らは最後まで二人ってわけでもない」
ホウとレンの対策についてまだ詰めるべきことは多い。しかし、手も足も出ない状態ではないとカレルは考えていた。それでもオーリハは不安そうに首を横に振る。
「ソウと合流出来ればあいつほど力強い味方はいない。そうなれば上手く逃げられるはず」
「カレルは馬鹿だよ」
「それしか道はない」
「カレルの無茶を話してたソウの気持ちが分かった気がする」
「オーリに無茶はさせない。僕が捕まったらすぐに逃げるんだ」
「そういうことを言ってるんじゃない!」
「死ぬ瞬間はそれでわかるだろ。約束だ」
カレルは約束を持ち出して強引にオーリハを黙らせる。カレルはその後、不満気なオーリハの横で二人分の調整を行った。
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