第26話 ホウレンソウ

 アキを出発して数日、カレルらはついに国の最西端に到達した。目の前に現れた海は冬の風に晒されて大きな波を作っている。その水しぶきで視界は白けていたものの、海峡を挟んだその先には別の陸地が見えた。カレルは初めて自分の目でアネクを見て緊張する。


 このような国境においても街は存在する。ただ、カレルらはそこから少し離れた山の中で潜んでいた。見つめる先は海に面した工場跡地で、カレルは枯葉を纏いながら僅かな動きも見落とさないように観察している。しばらくすると仮眠を取っていたオーリハが目を覚ました。


 「様子は?」


 「変わりない。多分海を渡る準備をしてるんだ」


 「ソウは?」


 「まだ見つけられてない。でもあそこに居るのは間違いないと思う」


 カレルが示す先にオーリハも目を向ける。工場跡の周りには数体のアンドロイドが配置されていて、建物に近づくことは困難な状況である。そのため、割れた窓から一瞬だけ見える人影を一体ずつ頭に記憶していた。


 「昨日見たソウと同じ型のヒトがいたから?」


 「ああ」


 この場所を見つけたのが昨日のことだった。それからのカレルは一睡も取らずに観察を続けている。ホウとレンの姿もそうして捉えることができた。ソウがこの場にいることを強く肯定する事実である一方、カレルの知る限りで最も厄介な相手である。


 「でも、あの集団はアネクから来たんでしょ?ソウもそうだってこと?」


 「……分からない」


 観察して得られた情報を総合すると、敵の中に国を出身とするヒトは見当たらなかった。その全てにおいてモデルとしている人間の人種が異なっていたのだ。つまり、アネクから来たヒトだと推測することができた。ただし、そんなヒトとソウの関係は分からない。ソウの顔立ちは非常に整っているが、この国で違和感を持つようなものではなかった。それはホウやレンにも当てはまる。


 「ねえ、そのホウとレンってどんなヒトなの?」


 「どんな?」


 「……ソウの昔の仲間だったんでしょ?どういうこと?」


 オーリハがホウレンソウ型について問いかけてくる。ただ、本当に知りたいのはカレルとソウの出会いの方だった。観察を続けるカレルは当時を思い出して話し始めた。


 「ソウと出会ったのはこの仕事を始めて一年くらい経った頃だった。ある屋敷にとても貴重な科学書があるって話でそれを手に入れようとした。ソウのあの愛読書だ。侵入するために近くの酒場で屋敷に関係する人間から情報を集めることにした。その相手に選んだのがソウだった」


 「屋敷の使用人だったの?」


 「初めはそう思ってた。なにしろ普通の人間にしか見えなかったから。ソウから警備が手薄になる日を聞き出して、その機会を狙って屋敷に侵入することにした。侵入自体は上手くいって目的の科学書も見つけた。だけど、逃げる直前にソウに見つかった。高性能なヒトなんだって知ったのはその時だったよ。逃げ回ったけどソウと僕じゃ差があり過ぎる。あっという間に捕まって見つけた科学書も取り上げられた」


 「そんなことするなんて」


 「ソウは忠実だから。その時は屋敷に忠実に仕えてて僕はただの侵入者だった。理由を問われて殴られては吹き飛ばされて、いつかそうなると思ってたけどあの時ほど死を覚悟した時はなかった」


 ソウが必要以上にカレルに愛着を持ち始めたのはその後のことである。出会いは最悪だったと言って差し支えない。しかし、そうしなければソウと知り合うことはなかった。


 「それで?」


 「必死に説得した。科学書がどれだけ大切なものか。で、説き伏せた」


 「そんな簡単に?ソウはその屋敷に仕える、忠実なヒトだったんでしょ?」


 「そう。でもソウはヒトであってアンドロイドじゃない。ネグルージュの法則がある限り、自分の意志は自分で決められる。ソウが優しいのはオーリも知ってるはず。それに、その時は心に付け入る隙がいくつかあった。その話はまた今度するよ」


 「ふうん。何を話したのかは知らないけど、それで好意を持ったわけか」


 オーリハが意味深な顔で納得してみせる。間違った解釈をされている気もしたが、カレルは話を続けた。


 「そこに割って入ってきたのがホウとレンだ。ソウを含めてホウレンソウは同型だそうだけど、個々で色々と特徴が違うらしい。僕があの二体と戦ったのはその時が最初で最後だけど、ソウが防衛型なのに対してあの二体は攻撃型。ただの人間の男にしか見えないけど、戦闘能力だけで言えばソウを上回る」


 「そんなのが敵ってわけね」


 「これは僕の予想だけど、あの二体がいたということはアンドロイド集団の目的にソウの捜索と回収があったんじゃないかと思う。実はアネク……大陸の最新鋭型のヒトで、その技術が渡ることを恐れていたとか」


 そんな想像をしてみたカレルだったが腑に落ちない点はいくつもあった。これが正しいならばホウレンソウを管理していた貴族がアネクと繋がっていたことを意味する。これはおかしな話で、しかしそう考えなければ現在の状況を上手く説明することはできない。


 「勝ち目なさそう。どうする?」


 「もちろん、ソウを救出する」


 「もう策を考えてあるんだ」


 「いや、全く」


 カレルがさっくりと否定するとオーリハが少し驚いた顔をする。ただ、それも一瞬のことで理解を示した後は肩をすくめてカレルの説明を待った。カレルもはっきりとした道筋が見えているわけではない。目標が決まっているため考えが発散していないだけである。


 「とにかく今の状態じゃ手も足も出ない。国境近くがこんなに無秩序だとも思ってなかったし」


 「時間もそんなにあるわけじゃなさそうだしね」


 「ああ。でも、あの様子じゃあと一日はかかるだろう。とにかく最寄りの街に行ってみよう。国境の街ならそれなりに国のアンドロイドがいるだろうから。上手く使えばなんとか」


 「すごく曖昧に聞こえるんだけど?」


 「心配しなくていい。きっと上手くいく」


 カレルは自分の言葉を噛みしめる。あの場所にソウがいる確たる証拠はない。しかし、カレルには確信に近い感覚があった。ソウの存在を遠くから感じられるわけでもないが、これまでの経験が訴えかけているのだ。オーリハはカレルの曖昧な言葉に不安を抱いてもおかしくない。それでも見据える先はカレルと同じだった。


 「私の出番は?」


 「ない。遠くから見てるだけでいい」


 「力になる準備はできてるけど」


 「約束を守って僕の不安を一つでも減らしてくれれば嬉しいよ」


 これは拒絶とは異なる。オーリハの安全を優先する上での申し出だった。そしてまた、オーリハは約束を守らなければならない。


 「分かった。カレルの言うことは聞く。でも、勝手に死ぬことは許さないから」


 「努力するよ」


 「これも約束だから」


 「……行こう」


 カレルは答えることなく静かに移動を始める。オーリハはしてやったりという顔をしてからその後についてきた。

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