第23話 星空の下
オーリハの荷物を整理した後、二人は直ちにナミハヤを出発した。最初はカレルの前で息巻いていたオーリハだったが、旅が始まってすぐに口数が少なくなる。早速疲れたと言い出すのではと心配したカレルだったが、理由は初めてナミハヤの外に出たことによる緊張だった。あのオーリハが不安そうに周囲をキョロキョロと見回し、肩がつくほどカレルのそばを歩いている。
タバコにも手を付けず、オーリハは新しい景色に目を奪われ続けていた。カレルにとって見慣れた荒野もその目からは違って見えるらしい。沈む太陽を惜しみつつ見送り、薄暮が終わる頃にカレルは野営を決断した。
本当はもっと進んでおきたいという気持ちはある。しかし、オーリハとの旅を決めた以上、目先に捉われて限界を誘うわけにはいかない。野営の仕組みも分かっておらず、一つ一つの説明には時間がかかった。
「こんな寒い中で夜を過ごすんだ」
「そうだよ。寝る時は火を消すから覚悟してて」
「どうして消すの?」
「盗賊に見つからないため。寝ている間に襲われたらひとたまりもない」
初歩的なことだがオーリハは知らない。それはソウの時も同じでカレルも始めはそうだった。こんな経験はしない方が良い。ただ、いつもは不便を強いられることに嫌悪感を示すオーリハが、この時は頷いて納得する。冬の旅は移動時より夜を越える際に最も負担が掛かる。そのこともまだ分かっていない。
「疲れた?」
「少しだけ。こんなに歩いたの初めてだから。一日中歩くこともある?」
「明日からはそうなるんだぞ」
「うん、分かってる」
カレルが恐る恐る伝えてみてもオーリハの反応は変わらない。ふくらはぎを両手でさすっているが、嫌な顔は見せなかった。それどころかむしろ楽しげにしている。
「タバコは良いのか?」
「次いつ買えるか分からないし手持ちは大切だから。それにカレルと一緒なら必要ない」
「でも、疲れた時は欲しくなるって前に」
「そのはずだけどね。でも、きっと楽しいんだと思う」
オーリハがそう言って少し笑う。旅は命を懸けて行うもの。そんなカレルの心構えとは違っている。しかし、オーリハがそう感じるのであればそれで良いと、頷いたカレルは焚火にかけていた鍋を引き上げた。今日の食事は塩味のスープと硬いパンである。
「旅が大変なのはカレルから聞いて知ってる。疲れてるのは本当だし」
「じゃあもっとそういう顔をしたらいいのに。でないと明日から休憩の入れ処に困る」
カレルはスープを器によそって手渡す。受け取ったオーリハはそれを覗き込んで湯気を鼻から吸い込んだ。そしてまた頬を吊り上げる。
「疲れたら隠さないで言うよ。そう約束したから。でも夢だったからかな、気持ちが抑えられない」
「夢?」
「カレルと旅すること。街の外を一緒に歩くなんて……ついこの間までは寝る前に想像する夢の話だった」
オーリハは話ながらスープに口をつけてパンを噛み千切る。カレルはパンをスープに浸して柔らかくなるまで待つ。もっと気を引き締めるべきだと注意することもできる。しかし、今日のオーリハに水を差すことはできなかった。
「スープはこんなに味気ないけど」
「悪かったな」
「でもおいしい。なにもかもが初めての料理だから。星だってこんなに綺麗」
オーリハの口かららしくない言葉が次々に出てくる。聞いている方がおかしくなりそうで、カレルはさっさと食事を済ませて片づけを始めた。それを見てオーリハも残りをかき込んだ。
「明日は日の出前に出る。強引に起こしても文句言うなよ?」
「寝起きは良い方だから」
「どうだったか」
カレルが先に寝袋を広げる。オーリハも続いて寝袋を取り出し、なぜかヨーゼフの形見を抱えて入っていった。カレルは純粋に怖いと思いつつ、周囲を見渡してから焚火に砂をかけた。
火が消えると周囲は途端に暗闇に包まれる。空には数えきれないほどの星々がきらめいていた。いつもは気にならない小さな光の粒であるが、オーリハの言葉を聞いた後だからかぼんやりと眺めてしまう。オーリハはカレルのすぐ横で寝ている。話しかけられなくなったためもう寝たのかと思った矢先、囁くような声が聞こえてきた。
「ヒトになったっていうの、本当なんだよね」
「……ああ」
今その話題を振られると思っていなかったカレルは答えるか迷った末に肯定する。留守にしていた間に誰から聞いたのかは分からない。カレルに対する態度は今のところこれまでと変わっていなかった。
「どんな感じ?」
「どんなって……」
「話したくないならいいよ。もう寝よっか」
「何が知りたいの?」
オーリハにまで気を遣われると不思議な感覚になってしまう。ヒトになったことはすでに受け入れた。再び星を眺めながらオーリハの言葉を待つ。
「全部入れ替えたんだよね?」
「ああ」
「じゃあ覚えてる?私とカレルがどうやって出会ったのか」
「覚えてるよ」
「私がカレルに初めて怒った時のことは?」
「それも覚えてる」
「じゃあ言ってみて」
やけにしつこいと思って顔を横に向けると寝袋から顔だけ出したオーリハと目が合う。楽しいと話していた先程までの表情と打って変わって、真剣な顔つきをしている。カレルは再度視線を空に戻して思い出した。
「出会ったのはオーリが路地裏で倒れてた時だった。左腕を失って息も絶え絶えで」
「ごめん、それ私は知らないんだ。怒ったのは?」
「ヒトの子供に石を投げられたのをオーリに庇われた後、二人きりになった時だったっけ。情けないとか何とかで」
「覚えてたんだ。でも理由は違う。人間として生きるって言ってたくせに差別を受け入れようとしてたから」
「そうだったっけ」
もう一度オーリハの方を向くと顔の硬直は解けていた。オーリハのことである。今回もカレル以上にカレルの心配をしてくれていたようだった。
「オーリは何とも思わないの?……僕がこうしてヒトになったこと」
「全然。生きてくれてるだけで私は」
「そっか」
「そうだよ。ヒトになってどこまで変わればカレルがカレルじゃなくなるのかなんて分からない。でも、今私の前にいるのはカレルだ。だったら拒む理由なんてない」
「………」
簡単に言ってのけるオーリハが羨ましい。カレルの場合、固執した考え方が本当に見るべき物から目を背けさせていた。オーリハの言葉は暖かく嬉しいが、同時に違いを痛感させられる。
「ソウに酷いこと言ったんだって?」
「……ああ」
「探しに行くのはそれを謝るため?」
オーリハの質問は難しい。そう感じたカレルが黙っていると寝袋のままもぞもぞとオーリハがカレルに寄ってくる。最近はそんなことがなかったため少し声を大きくして驚いた。
「なに?」
「寒いから」
「それだけ?」
「ソウと旅してて、その時はどうしてたの?こうやってさ」
オーリハの顔がすぐそばに寄ってきて吐息まで聞こえる。健気さに拍車がかかってもペースを握っているのはいつもオーリハの方である。カレルは抵抗を諦めてため息をついた。
「やっぱりね。昔から寝るときに何かを抱き締める癖があったから」
「そういうのじゃない。ソウには発熱機構があって、その排熱にあずかってただけ。冬の夜なんてほら、特に寒いから」
「はいはい。でも人間だって発熱してる。これはそれとは違う?」
「さあ……言い方次第では」
「じゃあ拒む理由なんてない」
身体が当たってオーリハが震えていたことに気付く。ソウの時には考えもしなかったことで、いつもは頼りっぱなしだった自分が頼られているのだと自覚する。その震えが寒さからなのか、知らない夜への不安からなのかは判断がつかない。しかし、寄り添って寝ている内にそれもなくなっていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます