第21話 親子の絆

 ヨーゼフとオーリハが住んでいた家は見るも無残に破壊され、その高さは半分ほどにまで小さくなっていた。建物の角が大きくえぐれて自重を支えきれずに崩れたように見える。周囲でも同じような光景が広がっていた。


 ただ、似たような景色の中でオーリハの家の周りだけが時間の流れから取り残されているようだった。他では生き残った人間による瓦礫の片付けや生存者の捜索が進んでいる。その一角だけがまさに死んでいたのだ。誰もいないわけではない。一つの遺体袋の前で小さな影が膝を抱えて座り込んでいた。


 前を通り過ぎる誰もがそれを一瞥してそのまま立ち去っていく。決して無視されているわけではなく、近寄りがたい雰囲気がそうさせていた。カレルは何と声を掛けるべきか考えるために立ち止まる。そうしていると一人の男が小走りで近寄ってきた。


 「カレル、生きてたんだな」


 「ああ」


 名前は出てこないが、顔には見覚えがある。バスエの常連客の男だった。


 「ああやってずっと座り込んでて、もう見ていられない。カレルがなんとかしてあげてくれ。俺たちが手を貸そうとしても追い払われるんだ」


 「分かってます」


 「泣いてるところ、初めて見た。他の奴らも動揺してる」


 男はオーリハの背中に悲しそうな視線を向けている。オーリハはバスエで好かれていた。多くが手を貸したいと思っているらしいが、厚い壁に阻まれて上手くいっていない。カレルにもそれを崩す自信はなかった。


 「……オーリハがヨーゼフさんを見つけたんですか?」


 「誰の手も借りずに一心不乱に瓦礫を掘り進めて見つけたそうだ」


 「そうですか、行ってきます」


 カレルはオーリハの心の内を想像しようとする。しかし、誰の声にも応えなくなってしまった、たった一人の家族を前にしたときの感情などそう簡単に思い浮ぶものではない。カレルはこれまでそんな感情とは疎遠だった。だからこそ、そばに立ってあげられるか不安になる。


 カレルが一歩ずつ近づいていくと、膝を抱える両腕に隠れていたオーリハの頭がゆっくりと持ち上がる。そして人影に気付くなり、すぐさま遺体袋の前に立ちはだかって明確な拒絶を示した。右手にはタバコのフィルターが握られていて、ふかし続けていたわけではなさそうだが酷い顔をしている。


 「オーリ」


 声を掛けるとオーリハの瞳がギョロリと動いて目が合う。カレルがもう一歩前に進むとオーリハも足を前に出してそれ以上の接近を拒まれる。ただ、膝が痙攣していていつもの威勢はなかった。


 「すぐに来れなくてごめん。最後の挨拶をさせてほしいんだ」


 カレルは丁寧にここに来た理由を説明する。それを聞いてもオーリハはなかなか道をあけようとしなかった。ただ、カレルがもう一度名前を呼んだところで、オーリハは腰を砕かせて再びヨーゼフの隣に座り込む。カレルはそんなオーリハの隣に並んだ。


 「……顔を合わせてもいい?」


 そう問いかけても返事がないため、カレルはゆっくりと腕を伸ばして遺体袋のチャックを僅かに開ける。穏やかな顔をしたヨーゼフに光が当たり、カレルも事実を受け入れなければならない時が来る。そして手を合わせて死を悼んだ。


 「……顔だけは同じままだった。その他は全部ぐちゃぐちゃだったけど」


 「オーリが見つけてくれると分かっていたんだ。ヨーゼフさん、いつもオーリの前では良い顔をしようとしてたから」


 「私……そのとき何してただろう。私のこと呼んでたかもしれないのに」


 オーリハは声を震わせ過去を悔やむ。小刻みに揺れる白い手を握ってやると弱々しく握り返された。


 「最後に話をしたとき、ヨーゼフさんオーリのこと心配してた。男手一つで育てたから、女性として上手く幸せを掴めるか不安だって」


 「…………」


 「僕は昔からヨーゼフさんに好かれてなかった。オーリが僕に対して過保護に接してくる度、とても嫌そうな顔をしてた。覚えてるだろう?」


 「うん……」


 鼻をすするオーリハが頷く。オーリハと関係があった頃、いつもカレルは目の敵にされていた。それが真っ当な親心だと当時から分かっていて、不安定な生活をしていたカレルはそんな目も仕方がないと思っていた。オーリの良いところは人目を気にしないところであり、また悪いところでもある。それは今になっても変わらない。


 「だから、そんな相談をされた時は少し驚いた。まだヨーゼフさんは元気なんだから心配いらないって言ったけど、もっとちゃんと聞くべきだった。今のオーリを見てるとそう思うよ」


 「…………」


 オーリハは家族を失った。流れる金髪が母親の証ならば、父親の証は大胆不敵で恐れ知らずの性格になるはずである。しかし、今のソウにはそれがない。そのためヨーゼフを前にカレルは不安を感じる。


 少しばかり一緒に座って沈黙の時間を過ごす。隣にカレルがいることを嫌がってはいないようで、握った手を離そうとしない。しかし、ここに座っているオーリハは今にも消えてしまいそうだった。このままではただ時間が過ぎるだけ。そう思ったカレルは静かに問いかけた。


 「一体いつまでこんな冷たい地面に寝かせておくつもりなんだ?」


 「離れたくない」


 「そんなこと言ってるとヨーゼフさん困るだろう」


 「もしかすると、ヒトの技術を使えばお父さん、生き返るかもしれない。カレルもそうだったんでしょ?だから!」


 カレルがオーリハの態度を責めると、握っていた手を離したオーリハが叫ぶ。カレルを睨む目は真っ赤になっていて、ボサボサの髪が風に靡いて顔に絡まる。似た言葉を聞いたばかりのカレルは目を閉じて言葉を選んだ。


 「できないよ。一度死んでしまったら」


 「カレルでも知らない方法があるかもしれない……!」


 「できないんだ。死んでしまった人間とはもう別れを告げるしかなくて、僕らは記憶に残すしかない」


 「じゃあカレルは……」


 「僕は死ぬ直前に脳の情報を全て移された。でも、ヨーゼフさんは違う。死んでしまった脳からはどうやってもできないんだ。……オーリハなら分かってるはず。昔、僕が何度も話しただろう?」


 カレルが力強い口調で説得を続けるとオーリハは唇を噛んで威勢を失う。また手がフラフラを揺れだしたため、その手を引いて座らせた。


 「見送ってあげよう。僕らに出来ることはそれだけだ」


 「……でも」


 「一人で別れるのが怖かった。そうだろう?でも、もう僕がいる。僕だってオーリほどじゃなくてもヨーゼフさんのことよく知ってる。ヨーゼフさんが生きていたこと、灰になって消えるなんて絶対にないから」


 カレルの言葉に耳を傾けるオーリハが手を握る力を強くしていく。一人ではないことを証明するため肩を抱いてやると、オーリハの頭はカレルの肩に落ち着いた。喉まで押し寄せていた嗚咽が止まることはなく、オーリハのすすり泣く声がカレルの心に響く。そんな乱れた呼吸のまま、オーリハはカレルに文句を突き付けた。


 「私……カレルまで失ったんじゃないかって!」


 「……出発の時は伝えるって約束してたのにごめん」


 「そうだよ!……一人は嫌だって言ってたのに」


 「ごめん」


 カレルが謝るとオーリハが声をあげて泣く。背中をさすってやるとさらに声を大きくして感情を露わにする。カレルはそれを静かに受け止め、心の中でヨーゼフに一言残した。


 オーリハが落ち着くまでには時間がかかった。カレルはその間、ずっと肩を貸してオーリハを安心させようとしていた。ヨーゼフが亡くなった今、意思を引き継ぐべきは自分だったからである。


 「ヨーゼフさんを運ぼう。火葬場が検問所の近くにある」


 「うん」


 二人で見送る。少ないかもしれないが一人よりもよっぽどよく、オーリハもそれで納得してくれる。ただ、そんな二人のもとへ一部始終を見ていた数人が近づいてきた。それに気付いたオーリハは再び顔を歪めて追い返そうとする。カレルがそれを制止すると一人の男が深々と頭を下げた。


 「ヨーゼフさんの見送り、俺たちも一緒にさせてくれませんか?」


 「え?」


 「ヨーゼフさんにはずっとお世話になっていました。お金を払えなかったのに家の屋根を修理してくれた」


 「俺は子供の机を」


 「私は母親の形見の時計を直してもらいました」


 「皆、感謝してます。それに、ヨーゼフさんをこんな目に遭わせたあのアンドロイドに怒ってる。でも今はなにより、皆、ヨーゼフさんとちゃんとお別れをしたいと思っているんです。どうかお願いします」


 この男たちの話を聞いてさらに数人が集まってくる。全てヨーゼフに助けられてその恩義を感じていた者たちだという。ヨーゼフを心に刻んでいるのは決してカレルとオーリハだけではない。そんなことを伝えられたオーリハは小さく頷いた。


 ヨーゼフは検問所近くの火葬場で多くに見守られながら旅立った。その時のオーリハは既にいつも通りで気持ちに区切りがついたのだと分かる。それは最後まで似通った親子の絆と表現するに相応しかった。

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