第18話 家族との別れ
時間が経つごとに気温は下がっていく。人目につく焚火はできないため、カレルは自分の寝袋をエミルとフランに渡して暖を取らせる。村の方角からしばらく聞こえていた爆発音は数時間程度で収まり、夜が更けてきた頃には風の靡く音だけがカレルの耳をくすぐる。それから間もなく、フランに低体温症の症状が見られたことでキョクフに戻る決断が下されることになった。
森の中を歩いていると、それまでは感じなかった鼻につく匂いに気付く。その正体を知っていたカレルは思わず眉間にしわを寄せる。エミルとフランにはまだ何も説明してあげられない。今はキョクフに戻ることに集中しなければならないからだ。そうして森を抜けた三人は今朝とは全く違う光景を目の当たりにした。
「なんだこれ」
「兄ちゃん……」
カレルでさえ思わず息を止めて目を背けてしまう。幼い兄弟にとってはあまりにもおぞましい。しかし、二人は生まれ故郷の惨状から目を離せずにいた。
煙があちこちから上がっていて、風が煤煙と肉の焼ける匂いを運んでくる。建築物のほとんどは瓦礫と化していて、その前では泣き叫ぶ者がいた。アンドロイドの姿は見当たらない。その代わり、人間やヒトの死体が無造作に転がっていた。
「母さん!」
どれだけその場に立ち尽くしていたのか。最初に動き出したのはエミルだった。フランはカレルの手を握って震えている。エミルが一人で集落の中央へ走っていくと、置き去りにされたフランは涙を流した。カレルは慌ててエミルの後を追う。しかし、フランを連れているため追い付くことはできない。
これがあのアンドロイドの仕業であることは明白だった。横たわる多くの死体は損傷が激しく、生きながら焼かれたと思しき者もいる。盗賊であってもここまではしない。まさしく自我を持たない者による残虐行為だった。カレルはフランの視界にそれらが入らないようにして先を急ぐ。
望みは端からなく、二人の家も例外なく破壊されつくしていた。瓦礫の山からは煙が上がっていて、少し前まで燃えていたことが分かる。先に到着したエミルは一人で瓦礫を掘り返している。しかし、一人でどうにかなる状況ではなかった。
「これで持ち上げよう!」
カレルは自分の身長ほどの角材を見つけ出して、瓦礫の除去に手を貸す。隣の家でも災難を逃れた者が同じように家族を救い出そうとしている。ここは地獄そのものだった。他人のことを考える余裕は誰にもなく、カレルもプルゼニとブリアンを探すことに必死になる。どうかここに居ないでほしいと思いつつ、見つかるのであれば早くと願う。
数十分後、プルゼニとブリアンは玄関付近で一緒に横たわった状態で見つかった。奇跡的に火災に飲み込まれてはいなかった。しかし、瓦礫の隙間から助け出した時にはもう事切れていた。
「母さん!ブリアン!」
エミルが何度も二人の名前を叫んで身体を揺さぶる。しかし、既に死後硬直が始まっていたその身体は何の反応も示さない。カレルはその悲痛に満ちた叫び声を聞きながら、体力が尽き欠けていたフランのために瓦礫で焚火を作った。
エミルは家族との別れを受け入れられず、周りの目を気にすることなく取り乱している。フランもそんな様子を見てとんでもないことが起きていると把握したに違いない。そんな精神的な負担が身体的な疲れと相まり、脱力して座り込んでしまう。カレルも焚火のそばに腰を下ろしてひとまずフランを寝かせる。その後、エミルを一人にして辺りでなおも続く行方不明者の捜索に手を貸した。
アンドロイドはヒトと人間を区別せず無差別に攻撃したようだった。ただ、生存者は人間の方が多く、ヒトはそのほとんどが完全に破壊されていた。また、長老を含めた数人のヒトが生きたまま連れ去られたという話も上がってくる。
ある程度の手助けを終えて兄弟のもとに戻ると、落ち着いたエミルがフランの世話をしていた。深い眠りにつけなかったのか、フランも煤で汚れた顔で揺れる炎を見ている。プルゼニとブリアンには布がかけられている。早いうちに埋葬してあげなければならなかった。
「……こんなことになるなんて。残念だ」
「なんで母さんが……ブリアンがこんな目に遭わないといけなかった?」
エミルが小さく呟く。フランを気にして声を荒げることはしない。それでも怒りや戸惑い、そして悲しさが伝わってくる。答えてあげたくてもカレルにはできない。この世界で死は唐突に訪れる。そして、大抵の場合意味はない。
「帰っていれば一緒に……」
「二人はそんなこと望まなかっただろう」
「でもその方が良かった」
残された者の苦しみは計り知れない。それがエミルやフランのような子供の場合はなおさらである。生きていくことはこれまで以上に難しくなる。生活の場を失っただけでなく、生き残った人数が少ないためキョクフの再建も困難だと簡単に想像がつくのだ。
「……もしヒトにできたら、お母さん帰ってくる?」
二人の会話に挟んでそんな問いかけをしたのはフランだった。単純な疑問のようにも最後の希望のようにも聞こえる。死という概念を考える上でヒトは大きな変化を人間にもたらした。そういった意味で、フランがこうした考えにいきついたことは不思議ではない。しかし、カレルは首を横に振る。
「できないよ。死んだ人間を生き返らせることは誰にも」
「もしヒトだったらできたの?」
カレルの返答を聞いてフランが間髪入れず問いかける。その瞳の奥では炎が揺れている。どう答えるべきか迷ったカレルは顔を背ける。同じことだと嘘をつくこともできた。しかし、そうすることに意味はなく、正直な考えを伝えることにした。
「ヒトだったらできたかもしれない。演算回路を破壊されていなければ、自我を別の演算回路に移し替えて延命させられる」
ここで死んだヒトのほとんどはその見込みがないほどの傷を負っていた。それは襲撃者の目的にヒトの抹殺があったためだと考えられる。しかし、事実として人間に比べると生存の可能性は高い。ただ、こんなやり取りにエミルは不快感を示した。
「フラン、そんなこと考えるべきじゃない」
「どうして?」
「母さんはそんなこと望まない。父さんを殺した奴らだ。ヒトだったら生きていたとか、ヒトにして助けようなんて侮辱と同じことだ」
エミルはきっぱりと言い切ってフランに諦めるよう促す。ただ、聞いていたカレルは複雑な気持ちになった。プルゼニとは出会って一週間しか経っていなかったが、エミルの物言いが間違っていると即座に分かったからだ。この間違いは伝えてあげた方がいい。それでも、最後の最後で自分の境遇が邪魔をした。
「兄ちゃんはもうお母さんと会いたくないの?」
「もう会えないんだ!フランも見ただろ!?いつまでもそんな弱音を言ってちゃ駄目だ!」
フランがそれでも食い下がると、とうとうエミルから怒声が上がる。フランは委縮して小さく握りこぶしを作る。エミルの言葉もよく理解できる。しかし、カレルはここで口を挟んだ。
「きっと、ヒトとして助けられたとしてもプルゼニさんは怒ったりしないよ」
「そんなはずない!どうしてそんなこと言えるんですか!?」
「二人がそうやって会いたがってるからだよ。またエミルやフランに会えるのなら、プルゼニさん、そんなことで怒ってられないに違いない。抱きしめて喜んでくれる。断言するよ」
「………」
エミルから反論はない。しかし、納得した様子もない。それも当然だとカレルは理解した。何しろカレル自身がつい先日まで同じ心境に居たからだ。カレルは穏やかな口調で話を続ける。
「エミルの言う通り、もうプルゼニさんとブリアンは戻ってこない。でも、こうしておけばと後悔しながら死を悼むことはいたって普通のことだ。大切な誰かをまた失わないためにも大切なんだよ」
自分が死ぬとき、それを悼み、悲しんでくれる誰かがいるというのは当たり前ではない。価値がある一方で確約できるものではなく、だからこそ誰もが避けようとする。人間がヒトになりたがる理由も突き詰めればそこに行きつくのかもしれなかった。
「……分かりました」
カレルの諭すような言葉にエミルは小さく頷いた。そんな兄を見てフランが身体を寄せる。痛ましいという言葉では表現しきれない。一体誰がここまでの試練を二人に与えているのか。カレルは自分の情けなさを痛感した。
カレルが家族を失ったのはもう遠い昔のことである。当時は酷く悲しんだはずだが、今ではその感覚を呼び覚ますことはできない。揺れる焚火を見てカレルは後悔してもしきれなかった。本来はカレルにこんな高説を垂れる資格はないのだ。
人間とヒトは大きく違っている。カレルはそう考えていた。思考能力や身体的な特徴の差ではなく、むしろ種族の差のようなものだと捉えていた。だからこそ、ヒトは人間をまるで家畜のように扱うことができるのだと。そうでなければ人間から自我を与えられたヒトの行動に辻褄が合わない。ずっとそのように考えていた。
しかし、自分がヒトとなり、家族を失った兄弟を前にしてそうではないことに気付いた。ヒトの中にはもともと人間だった者もいる。ただ、ソウはヒトとして生まれたにもかかわらず、この兄弟と同じ考えに至った。違っていたのは自らの願いを叶える力を持っていたか否かだけである。
母親を失った時、もし自分に同じ力があったとしたら。当時の自分がどうしていたか断言することはできない。仮にあの時、カレルではなくソウの演算回路が破壊されていたら。カレルはきっとソウに新しい演算回路を与えて生かしたに違いなかった。
夜の間、カレルの思考は堂々巡りを繰り返していた。今の自分はもうヒトであり、人間を名乗ることはできない。しかし、だからと言って何かがカレルの中で大きく変わったわけではない。そう気付かせる機会をくれたのは他の誰でもなくソウである。
この日の夜は明け方近くに雪が降った。わずかに生き残った人間の中でこの夜を乗り越えられなかった者もいたらしい。キョクフを地獄に変えたアンドロイドの足跡は西に続いていたという。カレルは一抹の不安を抱えながら兄弟と日の出を待った。
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