第16話 孤独

 翌日、カレルは誰の見送りも受けることなく一人でナミハヤを出発した。何もかもが急だったためオーリハに伝えることはできていない。ソウもナミハヤに置いてきた。あんなことがあって二人きりで旅をする気にはなれない。一日が経って事情を飲み込むことはできた。しかし、ソウやイーロンに対する怒りは収まらない。


 ソウがいないため、荷物もまともに準備できていない。当然、水の調達も難しくなるため重たい荷物の多くは水筒に割り当てられている。しかし、決して無理な旅というわけではない。ソウと出会う前までのカレルはこうして一人で仕事をこなしてきたのだ。


 目的地はキザンという街にある研究所であり、まずはその近くにあるキョクフという集落に向かう。カレルだけでは無理な行動はできない。拠点を確保して念入りに侵入と脱出の計画を組まなければならないのだ。


 大抵は安価な宿を拠点にすることが多い。しかし、向かってみるとキョクフに宿に該当するものはなかった。人間の割合が多く、集落全体が苦しい生活を強いられている。訪れる者などほとんどいないようで、キョクフだけで大抵の生活は完結している。数軒に断られた末、カレルはある一つの家族に受け入れてもらえた。


 母と三人の子供がいる四人家族で、訳も聞かずに高くない値段で泊まらせてくれるとのことだった。条件には明確に示されなかったが、カレルが人間だったことも一因になったと思われる。キョクフは人間の割合が多い一方で、ヒトからの迫害が特に酷いと話を聞いたからだ。


 「子供たちを紹介します。上からエミル、フラン、ブリアンです」


 「こんにちは」


 母親のプルゼニに紹介されて、三人の兄弟は礼儀よくカレルに挨拶をする。年齢は上から15、12、8歳ということで、家の中は賑やかだった。プルゼニも見ず知らずのカレルを受け入れてくれるほど心が広い。


 「カレルといいます。西にあるナミハヤという街から旅をしてここまで来ました。急なお願いにもかかわらず受け入れてくださりありがとうございます」


 「いえ、ここを誰かが訪れるなんて珍しいことです。亡くなった主人もよく知り合いを家に招いていました。賑やかなことが好きだったもので」


 「そうですか……」


 家族についての質問はなかなか行いにくい。この一家は苦しい生活を強いられている。集落の中でも特に際立っていることに、プルゼニの主人が亡くなったことは間違いなく関係していた。


 「主人の部屋を使ってください。あと、夜は外出しない方が良いです」


 「ここでは夜間外出が制限されているのですか?」


 「いえそんなことは。ただ、人間狩りというものがよく行われています。大抵はヒトの退屈しのぎのようなのですが、それで死人も出ていますから」


 「人間狩り……」


 おぞましい言葉にカレルは身を震わせる。ナミハヤのような大きな街では、確執や小規模な差別があったとしても最低限の権利は人間にも保障されている。しかし、キョクフのような小さな集落になると独自のルールによって取り仕切られることが多い。大抵はヒトが集落全体を管理するため、自ずとヒトの立場が強くなる。その結果、人間の権利が脅かされるのだ。


 「カレルさんの街ではどうですか?」


 「状況はまだマシかもしれないです。そういった人間狩りというのはありません」


 「そうですか。でも人間として旅をするというのは大変なことでしょう?」


 「そうですね」


 カレルはあえて深刻そうに頷いてその通りだと伝える。当然、心の中は揺れ動いた。自分の意思ではなかったとはいえ、カレルはもはや人間ではない。この家族を迫害するヒトと立場は同じになってしまった。それを自らの利益のために隠している。


 脳だけを演算回路に変えるヒトというのは極めて少ない。人間がヒトを目指す理由は社会的な身分の向上も一つであるが、なにより不安定な世界を生きていくためである。脆弱な身体を機械に取り換えていく中で効率的な運用に演算回路が必要となる流れが多く、演算能力のみを向上させるための交換は基本的に行われない。


 カレルがなおも人間として振る舞えているのはこのためだった。外見だけで演算回路の種類は分からない。今のカレルでさえそれを証明する方法は持ち合わせていない。


 この日、カレルは残された時間を明日の準備に使った。研究所があるキザンまでは歩いて数時間の距離であり、毎日その距離を往復して偵察しなければならない。


 カレルだけで仕事をする場合、最も大切なことは外からいかにして研究所の内情を把握するかである。どのような人物がそこで働いているのかや、アンドロイドの種類と数、夜間の防衛体制も必須の情報だ。侵入した先で戦闘となればカレルに勝ち目はない。事前の準備が全ての命運を左右する。


 情報はもっぱら酒場などに赴き、研究所で働くヒトや警備員と話すことで集める。付近に住む住人の話も重要で、施設への抜け道を教えてもらえる場合がある。全てソウと仕事をしていた時には必要のなかったことだが、弱音を吐いてはいられない。


 準備を終わらせた後はプルゼニの掃除を手伝うことにする。受け入れてくれたことに対する感謝も込めて滞在中はプルゼニらの生活に協力しなければならない。そうしてカレルが雑巾で窓を拭いていたところ、フランがプルゼニのもとへ駆け込んできた。遅れてブリアンもやって来る。


 「ブリアンが台所を壊した」


 「壊してない!」


 「ブリアンが壊した!」


 プルゼニの前で唐突に兄弟げんかが始まる。長男のエミルは近くにある森に狩りに出掛けてしまっている。プルゼニは掃除の手を止めて肩をすくめた。


 「何を壊したの?」


 「台所が錆びた。ブリアンが外で見つけてきた鉄の機械を置きっぱなしにしてたから」


 「鉄の機械?」


 首を傾げたプルゼニがフランに引っ張られて台所に向かう。カレルも気になってその後についていく。台所にあったのは確かに鉄の機械という言葉がふさわしい金属の塊だった。プルゼニはそれを見て僅かに目を見開く。


 「どこで見つけてきたの?」


 「これのせいじゃないもん!」


 「ブリアン!」


 言い訳をしたブリアンにプルゼニが怒る。その声を聞いてブリアンだけでなくフランも固まる。次第にブリアンの目に涙が溜まっていった。


 「広場の……前で見つけた」


 観念したブリアンが小さく呟く。その鉄塊はヒトに用いられる股関節の駆動部だった。かなりの期間風雨に晒されていたのか錆びきっていて、それが置かれていたシンクも錆びてしまっている。しばらく黙っていたプルゼニだったが、最後はブリアンを抱き締めて頭を撫でた。


 「日が暮れる前にあったところに戻してきなさい」


 「……ごめんなさい」


 「フラン、ついていってあげて」


 「うん」


 フランがその鉄塊を手に取り、反対の手でブリアンの手を握る。怒った母親の前で兄弟げんかは続けられない。二人は小走りで家を出ていった。


 「すみません。大きな声を出して」


 「いえ、大丈夫です」


 プルゼニはカレルに謝った後、錆びてしまったシンクをどうにかしようとする。一連のやり取りを見ていた間、カレルは自分の母親のことを思い出していた。カレルもよく叱られていた。その時の記憶が心の中を複雑にする。


 「僕に任せて下さい。多分、錆びているのは表面だけで磨けば元に戻ると思います」


 「いいんですか?」


 「はい。道具もありますから」


 カレルは借りている部屋に戻ってソウの応急処置用の道具を取り出してくる。ソウがいないのにどうして持ってきたのかといえば、なければ不安になるからだった。二年以上、旅の持ち物は変わっていなかった。それに、これらの道具は他の用途でも色々と役に立つ。


 プルゼニが怒ったのはシンクを錆びさせたからではない。ヒトの部品に対する嫌悪感が影響したからだった。カレルは力を込めてシンクを磨きつつそう考える。人間の身体とは違って、部品として道端に落ちていてもおどろおどろしい印象はない。しかし、ヒトを忌避しているならばあの反応も頷けた。


 部品だけで厳密にヒトと言うことはできない。しかし、それに拒絶感を覚えてしまうほどプルゼニのヒトに対する心証は悪い。カレルの母親もそうだった。今のカレルを見た母親がどう思うのか。きっと褒められはしないと分かっていた。

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