第15話 すれ違い

 次の仕事の予定も決まり、その準備のためにカレルは昼前のセイを歩いていた。今日、隣にソウはいない。声を掛けたものの、しどろもどろになった挙句リサットで休んでいると言われたのだ。そのため、街の中心まで出ていくことはできない。


 今朝からソウの様子はおかしかった。カレルが目を覚ますと既に愛読書を読んでいたのはいつも通りだったが、寄ってきては些細なことだけ話して引き下がることを繰り返していたのだ。ソウは大抵のことには臆さない性格をしている。追及こそしなかったものの、カレルにとって不思議な光景だった。


 セイで調達できるものは限られている。他は別日に買いに行くとして、カレルは汚れた街並みを歩く。一人は久しぶりだったが、いつもと景色は変わらなかった。


 「カレル?」


 小一時間で買い物を済ませてあとは帰るだけとなった時、カレルは聞き覚えのある声に呼び止められた。振り返るとバスケットを右手に携えた仕事着のオーリハが立っている。トレードマークのタバコをいつものように口に咥えているが、掃除して間もないこともあってまだ綺麗だった。


 「一人?」


 「うん」


 「珍しいね。ソウと喧嘩でもした?」


 「いいや。オーリこそこんな時間からどうしたの?」


 オーリハが持つバスケットを覗いてみると、野菜やチーズ、燻製にされた肉などが入っている。仕事の終わりが早朝になる関係でソウは昼過ぎから動き出すことが多い。今日は早起きしたようだった。


 「お父さんのためにね。私はバスエで食べてるからいいんだけど、何もないと自分で用意しようとしないから」


 「そっか」


 ヨーゼフらしい話にカレルは笑う。確かにあの巨漢が街で買い物をしている姿は想像できない。親子揃って難しい性格の持ち主だった。


 「それで、カレルはもう帰るだけ?」


 「もう用事済ませたから」


 「じゃあ私の買い物に付き合って」


 「どうして?」


 「いいから。あとはパンを買うだけ」


 カレルのささやかな抵抗も虚しく、義手に手首を掴まれて引っ張られる。オーリハはいつもと変わらず強引である。それが自然とカレルを安心させた。


 オーリハが向かったのは通りに面した有名なパン屋だった。黄色いテントの露店が多くの人間で賑わっている。彼らの目的は今朝焼かれたばかりの多種多様なパンであり、風が良い匂いを二人のもとまで運んでくる。我先に注文する声が響き、近くのカラスはその声に驚くことなくおこぼれにあずかっている。


 カレルとオーリハは遠巻きにパンの種類と値段を確認していく。一般的なバゲットが最も安い。


 「値段覚えてて。次に行こう」


 「買わないの?」


 「一番安いところで買うから」


 バスエでは大雑把なオーリハだが、こんなところで倹約家の一面を見せる。そうしなければ生活が苦しいことは知っている。しかし、そのためにオーリハが手間を受け入れていることに驚いた。カレルの役割は歩き回る間の話し相手というわけだった。


 歩き始めるとまた何気ない雑談をして時間が流れる。二軒目は通りを外れて裏道に入った先の店だった。味はともかく、こちらの方が安いことはぱっと見て分かる。それでもオーリハは形式的にカレルに問いかけた。


 「さっきのところはいくらだった?」


 「えっと」


 カレルも茶番に付き合って思い出そうとする。異変が起きたのはその直後だった。


 「……カレル?」


 思い出そうと頭を働かせた矢先、カレルの脳裏に鮮明な映像が流れる。いつものようになんとなく靄がかかった風景が再現されるのではない。まるであの場に戻ったかのように、脳内でうり二つの世界が構築されていったのだ。パンの匂いや飛び交う声の一つ一つまでが蘇ってくる。決してカレルの脳が作り出した妄想ではない。


 「大丈夫?」


 怪奇現象を前にカレルは言葉を失った。オーリハの心配も上手く伝わらない。カレルが黙りこくって血の気を引かせていたため、優しい目が顔を覗き込んでくる。


 何が起こったのか全く理解が追い付かない。しかし、この状況はカレルにしか分からないものである。たかだか少し前の記憶を思い出しただけ。それにもかかわらず全身から冷や汗が止まらず、時間の経過がより状況を深刻にする。


 「どうしたの?」


 「いや……なんでもない。こっちの方がずっと安いよ」


 「うん」


 「ごめん。今日はもう帰ってもいい?本当にごめん」


 「具合でも悪くなった?リサットまで送ろうか?」


 「大丈夫だから!本当にごめん」


 オーリハには申し訳ないが、今は買い物に付き合っている場合ではない。戸惑うオーリハを置いてカレルは足早にその場を去ることにした。混乱する頭を落ち着かせてもう一度よく考えてみようとする。しかし、同じことが繰り返されるのではないかという恐怖に襲われる。


 カレルにできることは何一つない。しかし、どこに向かうべきかは自ずと分かった。ここ数日、不思議なことばかり起きていた。では一体何が引き金だったのか。恐る恐る時間を遡っていくと、記憶がすっぽりと抜け落ちた時間に辿り着く。


 盗賊に襲われたカレルは目を覚ますとリサットで横になっていた。それより前に異変はなく、違和感が現れたのは全てそれ以降である。その間の出来事を知っている人物は一人だけだった。


 リサットに戻ったカレルは階段を駆け上がり、借りている部屋の前に立つ。扉を開けると、出掛ける時と同じように椅子に座ったソウが愛読書を読んでいた。カレルはそばまで歩いてソウを見下ろす。


 「おかえり……どうしたの?」


 ソウは違和感にすぐさま気付き、平静を装いつつも瞳を揺らす。カレルもソウを前に言葉を纏められなくなる。時間を稼ぐために開かれた愛読書に視線を落とすと、記憶を刺激する挿絵が見えた。あの奇妙な植物が描かれたページだった。


 「今日、変なことがあった。どう説明すればいいのか分からないけど……いや、変なことはずっと前からあった」


 「………」


 「ダイクのところでした計算は危うく正解しかけた。聞いていなかった話の内容が頭に入っていたり、フラッシュバックのように記憶が鮮明に蘇ったり。……ソウ、何か知らない?」


 言葉を紡ぐたびに声が震えていく。どうしてそんなことをソウが知っていると思うのか。何一つ根拠はないが聞かないわけにはいかない。ソウは拳を軽く握り、そして唇を震わせた。


 「盗賊に襲われたとき、カレルは頭を殴られた」


 「ああ、それで気を失ったんだ。だからその後のことを何も知らない」


 「敵を排除して駆け寄った時、呼吸はしていたけど脳内の出血が酷かった。次第に脈が弱くなっていて、ナミハヤまで負ぶって走っても間に合わないように見えた」


 「本当に?それにしては僕は……元気だ」


 ソウは意を決した顔をしている。怖気づいたのはカレルの方で一度話を区切ることにした。また同時に、ソウの話をまともに聞いてあげようとしなかったことが今回だけではなかったことを思い出す。


 「本当なの。カレルはもう生きられない状態だった。だから……」


 「だから?」


 ここまで聞いてカレルは目を瞑る。ソウの話と自らの身体に起きた現象と足し合わせることで一つの可能性が浮上する。しかし、カレルはソウの言葉を待った。自分で判断するにはあまりにもおぞましい。


 「だから、カレルの脳にあった情報全て、その場で私の演算回路に移した。心臓と呼吸が止まっても身体は少しの時間耐えられる。だけど、脳はそうにもいかない」


 「………」


 「リサットに着いた時に一度カレルの呼吸は止まった。急いでケイ素型演算回路に情報を移してそれをカレルに戻すことで……またカレルは」


 「……つまり、今の僕は」


 「私がカレルをヒトにしたの。ごめんなさい。違和感は全部そのせいだと思う」


 説明をしている間のソウは終始苦しそうにしていた。しかし、最も衝撃を受けたのは他の誰でもないカレルだった。覚悟を決めていたはずが、実際に伝えられるとおかしくなりそうになる。壁にもたれ掛かって冷静になろうと努力する。


 「こうするしかなかった。心臓が止まればもう取り返しがつかない。カレルを失いたくなくて」


 「だから僕をヒトにしたと?」


 「それ以外に……」


 「ふざけるな!」


 カレルは感情を制御できなかった。驚いたソウは目を閉じて身体を縮こませる。ソウは善意のつもりだったのかもしれない。しかし、こんなにも惨たらしい行為を正当化することはできなかった。


 「ソウは何度も聞いていたはずだ!僕はヒトになってまで生きていたくはないと!どうしてこんなこと!」


 「ごめんなさい、私……怖くて」


 「人間に寄り添っているように見せて、結局ヒトとして生きる方が優れてると思っていたんだろ!?隠していれば僕がヒトとして生きてることを陰で笑っていられる。人間なんてただの劣等種だから!」


 「それは違う!話を聞いて!」


 「幻滅したよ」


 「違う!」


 ソウに言いたいだけ言っても気分は良くならない。これ以上一緒にいると壊れてしまいそうだった。カレルはフラフラと扉に向かう。ソウはそんなカレルを追いかけようと立ち上がる。


 「来ないで!今は顔も見たくない」


 冷たくあしらうとソウの手から愛読書が滑り落ちる。大きな音がカレルの頭の中で反響し、余計に考えが纏まらなくなる。カレルは歯を食いしばりつつ階段を下りた。


 「どこに行くんだ?」


 ロビーを抜けたカレルは入り口の手前でイーロンに呼び止められる。口論が聞こえて顔を出したらしい。ソウはここに戻ってからカレルをヒトにしたと言っていた。それはつまり、イーロンも事情を知っていたということになる。


 「一人にしてほしい」


 「少し言い過ぎたんじゃないか」


 「何を!?」


 カレルはとにかく心を落ち着かせようとしていた。身体が異変に支配されても、まだ納得したわけではない。目に見える物も耳に聞こえる音も今までと何も変わっていないと自分に言い聞かせる。しかし、これまでの自分はもういない。


 「カレルを助けるため、私もソウちゃんに手を貸した」


 「だったらどうしてもっと早く言わなかった?」


 「ソウちゃんに自分で言うからと口止めされていた。だけどそれを言い訳にはしない。私もカレルを助けられて良かったと思ってる」


 ソウだけでなくイーロンまでもが自分勝手を押し通そうとする。耐えられなくなったカレルは扉を殴って振り返った。イーロンは腕を組んで真剣な面持ちをしている。まるでカレルの方が間違っているとでも言いたげな顔だった。


 「なぜ?いつ僕がヒトになりたいと言った?」


 「できるものなら避けたかった。だけどそれしか生かす方法がなかったんだ」


 「ヒトになってまで生きていたくない。そんな願いさえ聞き入れられないのか?」


 「見殺しにした方が良かったと?」


 「そうだ!」


 カレルは何度も扉に怒りを叩きつけ、声に乗せる。これは母親との約束だった。母親はヒトに苦しめられた挙句、命を落とした。最期の言葉は今でもよく覚えている。しかし、カレルはその約束を破ってしまった。


 「すまないとは思っている。カレルの生き方を変えてしまったのは事実だ」


 「じゃあ、もう放っておいてくれ」


 「でもね、ソウちゃんにあんな言い方をするのは間違ってる」


 「だからどうして!?」


 「カレルを助けた。ソウちゃんのおかげでこうして感情を露わに怒ることができている。辱めるためにカレルを延命させた?本気で思っているのか?」


 「………」


 イーロンの言葉は全て暴論以外の何物でもない。カレルは大きく息を吸って歯ぎしりする。心に渦巻いているのは怒りだけでない。後戻りできない虚無感や母親に顔向けできない悲しみがある。イーロンは暗にそれを受け入れろと言っていた。


 「ソウちゃんはカレルの自我を全て受け入れて移し替える荒業を成し遂げた。一つの個体に二つの自我が共存することの危険性はカレルも分かるだろう?そうまでしてソウちゃんは助けようとしたんだ」


 「だからなんだ?」


 「苦しんでいたのはソウちゃんも同じだ。すぐに言い出せなかったのはカレルが今のような態度を取ると分かっていたからだろう。それでもカレルはまだ……」


 「そんなのただの押し付けだろう!」


 イーロンの詭弁を遮ってカレルは睨みつける。こんなに怒っているにもかかわらず、自分を見失っていない。これもまた演算回路に変えられた影響なのかもしれない。


 「他人に生き方を押し付けて自己満足に耽るのもいい加減にしろ!」


 「カレル、間違った感覚はそろそろ正すべきだ。カレルは一人で生きているわけじゃない」


 「もうやめてくれ……もう行くから」


 話を途中で切り上げて、カレルはリサットの扉を押し開ける。埒が明かない話はしても意味がない。イーロンもその邪魔はしなかった。

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