第14話 異変
リサットに戻ってからはイーロンと今回の仕事を総括することになった。カレルが気を失って帰ったため、本と報酬の受け渡しをまだ行えていない。ソウもその場に呼んでから、まずは手に入れた医学書をイーロンに手渡した。
「これで間違いないだろう。内容は確認したか?」
「道中で確認したことだけは。いかに人間が脆弱なのか分からされたよ」
「そうだろうな。流行り病の度に多くの死人を出すのはいつも人間だ」
「その記述もどこかで見かけたよ。病気を起こした人間や動物などの個体から病原体が別の個体に移動し、伝播的に拡大していく。主に細菌やウイルスが病原体となって、物の接触や空気を介して広がるとかなんとか書いていた」
これを読んでいるときのカレルは感心しっぱなしだった。民間では病気の原因についてほとんど理解が進んでいない。それにもかかわらず、国にはそれを調べ上げる技術があるというのだ。目に見えない現象をどのように調べているのか、最後までカレルには想像もつかなかった。話を聞きながら本をパラパラとめくっていたイーロンはあるページで手を止めた。
「本当だ。一言一句同じことが書いてある」
「え?」
不思議に思ったカレルが本を返してもらうと、イーロンの表情が少し変化する。文章を追いかけると確かに口にした通りの文章が見つかる。カレルの隣に座っていたソウも愛読書から視線を上げてこちらを見ていた。
「まあ、ここは読んでて興味を持ったところだ。だから覚えてたんだろう。それか頭をぶつけておかしくなったか」
一度しか読んでいない本の内容を丸暗記することはカレルにとって難しい。それができるならば検問所で笑われることもないはずなのだ。イーロンは再度カレルから本を受け取り、そのまま立ち上がった。
「頭を打った前後の記憶が鮮明に残ることはよくある。記憶が欠落するのと同じくらいに。とにかく無事に帰ってきてくれて良かったよ。コピーを取ってくる。報酬を渡すから少し待っててくれ」
「ああ、ありがとう」
カレルは返答しながら自分の頭を軽く叩いてみる。最後の記憶が正しければ後頭部を殴打されたはずだが、それにしては後遺症がない。喜ぶべきことではあるが、年を重ねるごとに身体の回復が遅くなっていることを感じていた矢先だった。一人で考え込んでいるとソウが心配そうに見つめてくる。
「大丈夫だよ。どこを殴られたのかちょっと気になっただけ」
「あの、実は私……」
「気にしないで。ソウが大変だったことは分かってる。心配いらないよ」
「そうじゃなくて……」
ソウは深刻そうな表情を崩さない。カレルも気を失った後のことが気にならないわけではない。しかし、ソウ一人に負担を背負わせてしまった身としては、その時の記憶を思い出させないようにしたいと考えていた。相手から仕掛けてきたとはいえ、誰かを殺すという行為には特別な意味が宿る。
「もちろん何か不安があるなら聞くけど」
「……ううん、大丈夫」
最終的にソウは引きつった笑みを見せて下がっていく。愛読書に視線を戻したソウは小さく唇を噛んですぐに表情を元に戻した。
報酬を貰って懐に余裕ができたことで、この日はバスエに行くことになった。風の噂ではオーリハの機嫌が良くないらしい。それがカレルのせいにされているようで、早く店に来てほしいとイーロンからダーシェンカの言葉を伝えられていた。カレルはオーリハのお守ではない。しかし、今回も生きてナミハヤに戻ってきたことは報告しなければならない。
バスエに入るといつものように酔った客によって生存確認が行われる。ダーシェンカも今回ばかりは心配してくれたようだった。
「カレル!身体はもう大丈夫なのか!?」
「おかげさまで」
「意識不明で運ばれたと聞いた時はもう駄目かと。昨日はその話題と、あとオーリが大変でね。今すぐにでも話をしてやってほしい」
「はい」
またオーリハの機嫌と関連付けされる。しかし、オーリハがカレルの旅路を気にしていることは本当であり、そのことで文句は言えない。心配させてしまったのであればそれはカレルが悪いのだ。
「ソウちゃんに助けられたんだって?」
「ソウが居なかったら間違いなく死んでたよ。今回に限った話じゃないけどさ」
「本当ありがとう。こんなでもカレルは数少ない友人だからな」
「いえ、私は何も……」
ダーシェンカに迫られ、ソウは困ったように言葉を詰まらせる。ソウが手柄を自慢する性格でないことを勘案しても少し様子がおかしい。ただ、カレルにそのことを考える余裕は与えられなかった。厨房から二人の前に問題児が姿を現す。いつも以上に汚れたタバコを口に咥えてやつれた顔をしていた。
「………」
「な、なに?」
カレルを見つけて目の前まで迫ったオーリハはなぜか凝視してくるだけで一言も話してこない。カレルが問いかけるとタバコを手に移して顔を寄せてきた。
「どこをやられたの?」
「後頭部のここらへん」
「見せて」
「な、なんで」
オーリハが一歩踏み込み、カレルは一歩下がる。怒っているわけではなさそうだが雰囲気が怖い。視線が一瞬だけ後ろのソウに移った。
「席はあっち。ダーシェンカ、いつもの持ってきて」
「いやいや、オーリが働けよ」
おかしな物言いを指摘するも返答はない。ダーシェンカも仕方ないと思っているようで、カレルに言うことを聞くようジェスチャーしていた。席に座ってからは無言の時間が流れる。オーリハによる追及が始まったのはダーシェンカが酒を運んできた後だった。
「何があったの?」
「ちょっと盗賊に襲われた。それだけだよ」
「ちょっとで死にかけたってこと?」
「死にかけたっていうか」
カレルは困ってソウに意識を向ける。オーリハは素直ではない。こんな回りくどい心配は反応に困るだけで、できるならばソウに対応を肩代わりしてほしかったのだ。ソウはオーリハに突っかかる傾向があるため、自分が被害を最小限に食い止めたのだというような反応を期待した。
しかし、今日はいくら待ってもソウから言葉が出てこない。黙っているとオーリハが眉間にしわを寄せた。
「これくらいじゃ仕事を辞めるきっかけにはならない?」
「別に失敗した訳じゃないし」
「そろそろ身の程を弁える頃だと私は思うけど」
「なんだよ、そんな言い方しなくても」
「私は前から言ってた。そんな危ない仕事はもっと適切な誰かがするべきだって。好奇心だけに身を任せるのは間違ってる」
オーリハはカレルの仕事の意味を理解した上で問題提起をする。カレルの考えは見通されており、強く反発できなかった。
オーリハの言葉はもっともだと言える。今回もソウのおかげで命拾いをしたが、こんなことを繰り返していては近い将来に最期の日はやって来る。ソウが大抵の脅威を無力化できるように、この仕事に向いているのは高い能力を有したヒトなのだ。
最近のオーリハはあまりこの類の文句を言ってこなかった。しかし、今回のことで一線を越えたらしい。次から次へと新しいタバコに火がつけられ、目の下のクマも合わさっていつも以上に人相が悪くなっていた。
「……ちょっと吸い過ぎ」
オーリハがまた新しいタバコを取り出したところで、見ていられなくなったカレルがフィルターをかっさらう。毎度のことながら今回もフィルターがフィルターとして機能していない。ただ、いつもと違って汚れはまだ固まっておらず、直近になって急激に汚れたことが分かる。ソウは頬肘をついて酒を飲み干した。
「興味を持つことが悪いって言ってるんじゃない」
「分かってるよ」
「私だって街の外には興味がある。生まれて一度もナミハヤの外に出たことがないから」
オーリハは言葉を並べつつ、同時にソウの様子を気にしている。オーリハもソウがいつものソウではないことに気付いたらしい。
「その方がいい。外は危ないことだらけだ」
「出来るものなら一度くらいカレルと旅をしてみたい。今でも思ってる」
「ヨーゼフさんが許さないだろ。絶対に」
カレルはフィルターの清掃に集中する。手を動かしている間は他のことを考えずに済む。周囲の雑音も気にならない。それに一人で考えたいことも多くあった。
「……聞いてる?」
「え?」
作業にのめり込んでいたからか、それともバスエが活気づいてきたからか、カレルはオーリハの声に気付かなかった。いつの間にか後ろの席では口喧嘩が始まっている。首を傾げるとオーリハはむっとしながらももう一度口を開く。しかし、それはとうとう殴り合いに発展した喧嘩の騒ぎ声にかき消されてしまった。
その瞬間、金属が破裂したような甲高い音がバスエに轟いた。カレルやソウだけでなく、喧嘩をしていた客までもがそれに驚いて音の発生源に注意を向ける。中心にいたのは額に血管を浮かび上がらせたオーリハだった。踵で床を踏み鳴らしたらしく、ブーツが僅かに床にめり込んでいる。
「五月蠅い!」
オーリハの鋭い視線が喧嘩をしていた客だけでなくそれを煽っていた野次馬にも突き刺さる。それによって彼らは直ちに喧嘩を止めて席についた。中には顔面蒼白になっている者もいる。銃こそ手にしていないが、その圧力は凄まじい。しばらくして徐々に会話の声が戻ってくる。
「何の喧嘩だったんだろう」
オーリハが怒りを鎮めるまでの間、ソウが会話を取り持つ。喧嘩などバスエでは日常茶飯事であり、いちいち気に留めているときりがない。ただ、カレルはその成り行きを知っていた。
「身体を取り換えるならまずは頭かそれとも別のところかって話から、どっちの方が先に資金を集めてヒトになれるかって喧嘩」
「へえ……聞いてたの?」
「いや、耳に入ってきただけ」
「それで私の話は聞いてなかったと」
「あ……そうだった。それでなんて?」
カレルは強引に話題を切り替える。気付くとまたソウに見つめられている。オーリハはそんな二人を不思議そうに観察した後、問いかけた。
「次の仕事はいつからなのって聞いてたの」
「多分一週間後とかだろう。またその時は伝えるよ」
「うん」
いつもに比べて会話がぎこちない。カレルはそんな気がした。どうやらオーリハとソウも同じことを感じたらしい。それが誰のせいなのか。カレルは薄々気が付いていた。
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