第13話 悪夢

 どこまでも続く荒野はたった一人で歩くには寂しすぎる。辺りは真っ暗で、それもあいまって心細さが助長されている。ただ、遠くの風景はシルエットとしてくっきりと見えていた。見覚えがある気がするものの、ここがどこなのか断定することはできない。


 漠然とした不安に心は締め付けられ、それに気を取られると歩調が乱れてしまう。全ての感覚がいつもと違っていて、重荷を背負っているのか肩から背中にかけて鈍い痛みがある。不安は次第に恐怖へと変わっていき、気が付くと涙が頬を伝って地面に落ちていた。


 カレルがそんな夢から目を覚ましたのはまだ暗い早朝のことだった。勢いよく起き上がったためか頭痛が走る。ただ、しばらく座っていると痛みは引いていき、今度は悪夢を見ていたことを思い出した。頬に手を当てると涙で濡れている。夢の内容がおぼろげに蘇り、それは不安と恐怖を連れてきた。


 「カレル?どうかした?」


 カレルが息を整えていると、隣のベッドからソウが問いかけてくる。ソウに人間と同じような睡眠は必要ない。夜間は自己メンテナンスに時間が充てられるが、それもとっくに終わっていたようだった。今はベッドの上で愛読書を開いている。


 「いや、なんでもない」


 まだ時間が早いことを知ってカレルはもう一度横になる。しかし、目を閉じて眠ることには抵抗を感じた。これまでの人生で悪夢に苛まれたことはほとんどなかった。さらなる恐怖と不安を身体が拒絶したのだ。


 とはいえ今は隣にソウがいると分かっている。一人ではないというだけで不安は幾分か和らいでいた。孤独をここまで恐れたことはない。夢には意味があるというが、あの悪夢にはどんな意味があったというのか。そんなことを考えている内にカレルは再び眠りについた。


 次に目を覚ました時、外は既に明るく室内には陽の光が差し込んできていた。隣にソウの姿はない。立ち上がったときの感覚は今までと変わらず、着替えだけを済ませると部屋を出た。


 階段を下りてロビーに向かうと最初にイーロンと出くわす。イーロンは掃除の手を止めてカレルを気にかけた。


 「もう大丈夫なのか?」


 「ああ、調子が良いくらいだ」


 「カレル!?」


 イーロンと立ち話をしていると、唐突に大きな声が聞こえてくる。ソウはロビーでジェニファーと話していたらしい。カレルの姿を見て二人は駆け寄ってきた。


 「二人ともずっと心配していた」


 「もう立ち上がって大丈夫なの?」


 「頭を怪我したって聞いたよ!」


 三人に取り囲まれたカレルはそれぞれから言葉を受け取る。同時に話しかけられてもカレルの頭は混乱するだけである。カレルは特にソウとジェニファーを落ち着かせて、一人ずつ話すようにお願いしようとした。ただ、その時になってそれぞれの親切な言葉を聞き取れていたことに気付く。心配そうに見つめてくる二人の雰囲気に圧されたカレルはまず感謝した。


 「心配してくれてありがとう。もう大丈夫だよ。ソウのおかげだ。ジェニーもありがとう。心配をかけてごめん」


 「何ともないのならいいんだけど」


 ソウはすましてそんなことを言ってみせる。しかし、昨日の取り乱した姿を見ていたため、相当心配してくれたことは分かっている。ジェニファーもそれを聞かされていたからか泣きそうな顔をしている。こんなに気に掛けてもらってもどう反応していいのか分からない。結局、カレルは二人から逃げるようにロビーの椅子に座った。


 「そういえば今朝、ダイクがここに来たよ」


 「ダイクが?」


 「昨日は気を失って街に入ったから演算回路を確認できていないと」


 「ああ、そっか」


 事情を理解したカレルは仕事熱心なダイクに思わず感心する。検問所でのやり取りがあるため、なかなかダイクに良い印象を持つことはない。ただ、人間に会うためにわざわざセイに足を運んだというのは驚きだった。


 「起こして連れてこいと言われたが、ソウちゃんができないと追い払ってくれたんだよ」


 「当たり前でしょう?カレルは怪我人なんだから」


 「別に良かったのに」


 カレルは口では素っ気なく反応する。ダイクからの心証が悪くなると、次にどんな嫌がらせを受けるか分かったものではないからだ。ただ、ソウには感謝してもしきれそうにない。


 「まあ彼もソウちゃんには敵わないみたいで、調子が戻れば検問所に出向くようにと言い残していったよ」


 「分かった。今日にでも行くよ」


 「もう?今日は休んだ方が……」


 「心配ない。少し身体を動かしたい気分なんだ」


 「だったら私も一緒に行く」


 ソウはまるで過保護な親のように干渉してくる。今更そのことで驚きはなく、断る理由もなかったカレルは素直に受け入れた。


 「支度をしたらすぐに行こう。ダイクを怒らせないように」


 「分かった」


 ソウはまだ曇った表情をしている。しかし、カレルがもう一度大丈夫だと伝えると納得してくれた。検問所は大抵忙しくしているが昼休憩はある。その時間に合わせてリサットを出ることにした。


 検問所に併設された小屋に到着すると、ダイクは机に片肘をついてホログラムを操って遊んでいた。ただ、カレルに気付くと足を組んで横柄な態度を見せる。ソウには外で待ってもらっているため、カレルは完全に見下されていた。


 「よくも昨日は規則を破ってくれたな」


 「申し訳ない」


 「ソウさんのお願いで特別に入れてやったんだ。キョウエン人とはいえ、ルールには従ってもらわないといけないっていうのに」


 「すまない。ダイクが怒っていたことは後でソウに言っておくよ」


 「いやそれはいい」


 カレルがソウを盾に使うと、ダイクは素早く手の平を返す。ダイクにも事情があり、ソウからの心証を悪くしたくないらしい。カレルを椅子に座らせたダイクは、ホログラムを操作して計算の準備をする。


 「すぐに終わらせてさっさと帰れ」


 「ああ」


 ダイクは冷たい態度でカレルに計算式を示す。それは前回と同程度の難易度の四則演算だった。いつもであれば適当に解答してすぐに終わらせる。真剣に考えても意味がなく、時間をかけると列の後ろから文句を言われるからだ。しかし、今はそんな状況と違う。カレルは時間をかけて考えてみることにした。


 「……何してる?」


 「考えてる」


 「意味のないことをするな」


 カレルの言葉にダイクが大きくため息をつく。ただ、カレルはそれを無視して数字を頭に浮かべる。ヒトが演算回路で計算するときの感覚は分からない。カレルのやり方は脳内筆算だった。それ以外に計算方法を知らない。


 「まだか?解けたところでタンタンはタンタンのままだ」


 「……6345」


 脳内での計算は見事に崩壊していき、カレルは途中まで考えた数字から適当に回答する。その後はやれやれと立ち上がって出入口に向かった。タンタンに受け取る物はなく、ソウを待たせるわけにいかない。しかし、そんなカレルの背中にはいつもと違う言葉が掛けられた。


 「惜しいな。答えは6375だ。暗算の練習でもしてたのか?」


 「………」


 カレルが振り返って眉をひそめると、ダイクも不思議そうに笑う。カレルは首を横に振って扉に手を掛けた。


 「偶然だろう。僕はタンタンだ」


 そう言い残してカレルは小屋を後にする。ヒトの真似事などしても意味はない。人間として生きることを決めていたカレルにとっては尚更だった。

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