第12話 襲撃

 出発から10日目の夕刻、カレルとソウはナミハヤまであと数キロという場所まで戻ってきていた。仕事は上手くいった。イーロンを通して振興社から伝えられていた情報通り、病院には目的の医学書が保管されていた。アンドロイドが警備についていたが、今回は戦闘に発展しなかった。


 旅の道中でも大きな問題は起こらず、時間を持て余したカレルは歩きながら医学書を解読する。そこには人間がいかに脆弱な存在なのか事細かに記載されている。ヒトとは違い、ほんの些細な怪我や病気で命を落としうる。そのことから人間がヒトの身体を求める流れは当然のように感じた。


 「細菌ってなに?」


 カレルが手元に集中して歩いていると、ソウが本を覗き込んでくる。構ってもらえないことに不満を抱いたようだったが、旅があと少しで終わるため浮足立っている。


 「小さな生き物のことだ。それが人間の身体に入って悪さをする」


 「寄生虫みたいなもの?」


 「そんな感じかな。もっと小さいけど」


 カレルもこの医学書を読むまで詳しいことは知らなかった。目に見えない物というのはどうしても想像することが難しい。それに、そんなに小さな生き物が人間の身体を蝕むことも信じられない。しかし、この医学書は明確にその可能性を支持している。


 「空気くらい小さい?」


 「さすがにそんなに小さくないんじゃないか」


 カレルもよく分かっていないため曖昧に返す。小さな物を見るための一般的な道具は虫眼鏡である。ただ、これはあくまでも小さな物を見やすくする道具であり、肉眼で見えない物体を見るためのものではない。そもそも、肉眼で見えない大きさという概念は世間に浸透していない。


 このために生じる齟齬は間違った解釈によって修正されている。現代では、人間が病気にかかる大きな理由は毒の服用と神の怒りとされている。カレルはかつてよりその考えに否定的な立場だったが、この医学書がその正当性を保証してくれそうだった。


 「どうして人間だけを狙うの?その細菌って」


 「金属は食べられないんだろう。そんな生き物聞いたことないから」


 「人間はそんな得体の知れない虫に身体を食べられてるの?」


 「体内で増殖するって書いてある。食べるっていうのが僕らの食事とは違うのかもしれないけど、そういうことなんだと思う」


 カレルも説明していて不思議な気分になる。人間が食べられる物質で構成されていることは間違いない。放置された死体が鳥や小動物につつかれている様子はよく見かける光景で、それが人間同士で行われることもあるからだ。一方、金属で構成されたヒトの身体が風化するまでには長い年月を要する。


 「やっぱり人間の身体は面白くて好き」


 「本当に思ってる?」


 ソウは人間のひ弱な部分を聞いてそんな感想に辿り着く。カレルは純粋に困惑した。


 「私にもそういうのがあればいいんだけどな。そうやって不具合を起こして倒れたらカレルが看病してくれる」


 「……普通に困る。大体、いつもメンテナンスしてるじゃないか」


 「あの時の私は元気だから。でも前にカレルが倒れた時、弱ってて助けなきゃって思った。カレルにもそう思ってほしい」


 「呆れた」


 人間にとって身体を壊すというのは生死の境を彷徨うことと同義である。適切な治療など受けられるはずがなく、状態が急変することもよくあるからだ。壊死のような治療すべき場所がはっきりしている場合でない限り、切除という手段も簡単に取ることはできない。


 しかし、ソウはそんな人間の一面を興味深く感じていた。ソウが人間を蔑んでいないことは分かっている。しかし、自分の身体に愛着を示さないことはカレルにとって困ることだった。


 「ソウだって病気、みたいなものにかかることはある」


 「どうせオイルの差し忘れとか言うんでしょ?」


 「違う。エローラムだ」


 「エローラム?」


 聞きなじみのない言葉にソウが首を傾げる。カレルは医学書をリュックにしまって説明する。


 「演算回路の情報を書き換える電磁波だよ。ネグルージュの法則があるから自我に干渉はできないけど、身体との接続が阻害されて突然動けなくなったりする」


 「私にもかかる?」


 「多分ね。ケイ素型演算回路でしか聞いたことないけど、ほとんど同じ機構のソウも当てはまるんじゃない?反対に人間はそれにはかからない。ヒト特有の病気みたいなもんだ」


 「へえ……」


 ソウは話を聞いて少し黙る。その後、一瞬だけ歩く動作がぎこちなくなった。心配になって自己診断を行ったらしい。


 「まあ、ソウは大丈夫だよ。外部から電磁波を受信するアンテナは切ってあるし」


 「なんだ、先に言ってよ」


 「病気になりたいんじゃないの?」


 ソウの身体には複数の送受信用アンテナが内蔵されている。これによってヒトの間で遠距離通信ができる他、端末の操作やラジオを聞くこともできる。ただ、以前の所有者のもとから逃げる際、追跡を避ける目的でソウのそれら機能は全て電源を切られている。


 「でもそれは人間の病気と少し違う気がする」


 「まあね」


 「自分ですぐに解決できそう」


 「そういう意味か」


 カレルは確かにその通りだと納得する。仮にそのような外部からの干渉があったとしても、ソウにとって致命傷になりそうにはない。ソウは明らかに他のヒトとは作りが違う。だからこそカレルも心配していなかった。


 ゆっくり歩いていたためか、日が落ちるまでにナミハヤに着くことはできなかった。しかし、いちばん星が見えると同時にナミハヤの明かりが目に映る。今日もまた無事に戻ってこれた。カレルは小さな光の点を見て無意識に安堵感を持つ。


 ただ、気を抜くにはまだ少し早かった。


 「カレル……後ろに誰かいる」


 「え?」


 「囲まれそう」


 先に異変を察知したのはソウだった。まっすぐ前を見ながら小声で問題を報告してくる。驚いたカレルだったが、目立った動きは自重してとりあえず歩き続ける。こちらが気付いたとなれば相手がどのような行動に出るか分からないからだ。何気ない動作に隠してソウがカレルの手を掴んだ。


 「街までもうすぐだから。走れば逃げ込めると思う」


 「分かった。タイミングは任せるよ」


 ソウは相手との距離を正確に掴んでいて、その上で逃げる提案をしている。まだ何の気配も感じ取れていないカレルとしてはそれを信じるしかない。手を繋いでいる方とは反対の手で身の回り品を確認していく。こんな状況は久しぶりでどっと緊張の汗が流れ出てくる。先に仕掛けてきたのは正体不明の敵だった。


 「伏せて!」


 ソウの叫び声と同時にカレルは地面に押し付けられる。その直後、発砲音が鳴り響き、弾丸が空気を切り裂きながら頭上を通り過ぎる。その内の幾つかはソウと衝突して火花を散らし、一瞬だけ辺りを照らした。


 「そこから動かないで!」


 ソウは指示を出すなりどこかに走り去ってしまう。音を聞いている限り、襲撃者は10人程度いる。カレルが芋虫のように地面を這っていると、人影が星を横切る。接近されていると気付いたカレルは慌ててその影に向かって飛び込んだ。


 敵は暗視スコープを装着していた。もみくちゃになりながらもカレルが殴りつけると甲高い音が響く。相手の腹部は金属のようで、跳ね返ってきた衝撃にカレルは顔をしかめる。


 ただ、体骨格の種類から襲撃者がアンドロイドでないことをカレルは見抜いた。金属の種類や形状が量産型のアンドロイドと異なっていたのだ。それはつまり、国の追手ではないということを意味している。盗賊だとすれば、身体の一部を機械に取り換えただけの人間の可能性が高い。カレルはポケットから火打石を取り出して相手の頭部に叩きつけた。


 男からうめき声が漏れる。カレルはその隙をついてまた逃げる。しかし、次の敵が飛び込んできて再び肉弾戦となる。ソウの居場所が分からない。必死に抵抗していたカレルだったが、押さえつけられて身動きが取れなくなった。


 別の人影に気付いた時にはもう遅かった。その影が何かを振り下ろした瞬間、後頭部に衝撃を受けたカレルは意識を失った。


 カレルが目を覚ましたのはリサットの中だった。弱々しいランプが部屋を照らしていて、ここがいつもの部屋だと分かる。ベッドに寝かされているようで、その脇にソウが座っていた。


 「カレル!」


 カレルが目を覚ましたことに気付いたソウが叫ぶ。両手に広げていた愛読書をベッドの上に放ってそのまま抱きついてきた。一方のカレルは、ぼんやりする頭を叩き起こして何があったのか必死に思い出そうとする。しかし、それはなかなか上手くいかず、とにかく最悪の事態は免れたということだけ把握した。身体を動かそうとしても痺れて上手くいかない。


 「目が覚めたのかい?」


 しばらくするとイーロンが部屋に入ってくる。ソウの声を聞きつけたらしい。イーロンが来てソウがよそよそしくカレルから離れていく。再び愛読書を手にする時、そのページが偶然目に入る。何かの植物と思われる不思議な挿絵があるページだった。


 「何があった?よく思い出せない」


 「向こうで何があったのかは私も知らない。意識のないカレルを背負ったソウちゃんがここに駆け込んできたんだ」


 「そういえば盗賊か何かに襲われて……」


 記憶を手繰り寄せようとすると記憶の穴に阻まれる。まだ頭の中が混濁しているようだった。ソウの様子を窺ってみると、手の甲で何度も涙を拭っている。その涙は安堵によるものだと分かっている。しかし、どうしてかソウの雰囲気は暗く見えた。


 「ありがとう。ソウのおかげで助かった。これでもう何度目だろう」


 「ううん……私はそんな。それより痛いところは?」


 「今のところ大丈夫。少し身体を動かしにくいけどすぐに元に戻ると思う」


 カレルが左手をソウに差し出すと、震える手が優しく握ってくれる。しかし、まだ何かを怖がっていた。


 どのようにあの場を切り抜けたのかはソウにしか分からない。カレルを背負って逃げたということから、敵は殲滅されたのだと推測できる。それがどんな惨状だったのか。眠っていただけのカレルには問いかけることができなかった。

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