第11話 見送り
まだ陽も昇っていない早朝、カレルはナミハヤの検問所の前でオーリハと立っていた。薄明によって空は明るくなりつつあるが、この時間が最も寒い。隣のオーリハは上着のポケットに両手を突っ込んで眠たそうに地平線を見つめている。口に咥えているタバコの煙はゆらゆらと揺れていた。
「別に無理して来なくていいのに。仕事、遅くまであったんだろ?」
「ええ」
リサットは深夜まで営業しており、オーリハはたいてい最後まで勤務している。睡魔を我慢していることは立ち姿から簡単に分かる。それでもオーリハがカレルらの見送りを欠かしたことはない。乱暴だと思われがちなオーリハの可愛らしい一面だった。しばらくするとソウが検問所に併設されている小屋から出てきた。
「遅くなってごめん」
「ちゃんとバッジ返せた?」
「うん。ダイクのどうでもいい話に付き合わされちゃった」
「ソウは気に入られてるから。オーリのことで借りもあるし我慢してあげて」
カレルがそう言って笑うとソウは不満そうにする。ナミハヤに入る時に与えられるバッジは、出ていく際に返却しなければならない。ナミハヤの外で演算回路や身体の種類が変わることも考えられるためだ。ダイクは毎回ソウとのバッジのやり取りを楽しみにしている。それを餌にオーリハの見送りを黙認してもらっていた。
「で、なに話してたの?」
「眠たいなら無理して来なくていいよって」
「そうだよ」
ソウがカレルとは違った意味合いで同意する。反発されるとあからさまな敵意を見せることが多いオーリハであるが、ソウに対しては無関心を貫く。その態度が余計に二人の溝を際立たせるようにカレルの目には映った。
「事情を知ってる身として、いつか帰ってこなくなることは分かってる。別れの挨拶ができなくて悔やむくらいならこれくらい」
「縁起の悪いこと言ってくれるなあ。危険じゃないとは言わないけどさ」
「私がいる限り心配しなくていい。何があってもカレルと一緒に帰ってくるから」
オーリハの懸念にソウが胸を張って断言してみせる。それにも反応を示さなかったオーリハは、鼻から煙を吐いてタバコの火を消す。ようやく地平線から太陽が姿を見せる。その光を浴びてオーリハの目は余計に細まった。
今回のナミハヤでの滞在は一週間だった。これはつまり、オーリハからしてみれば二人と過ごした時間がそれだけだったことを意味している。これからまた、お互いにどんな毎日を送っているのか分からない期間が続く。
「そろそろ行こうか」
「うん」
旅が生活となってもう長いカレルであるが、出発の瞬間はいつも緊張する。オーリハの言う通り、この生活はそう長く続かない。カレルの願いとは関係なく、これまで偶然起きていなかった最悪の事態にいつ襲われたとしてもおかしくないのだ。一方、ソウにそんな不安は見られない。優れた演算回路と絶対的な身体能力を持っているが故の自信なのかもしれなかった。
「ねえ」
別れを済ませてカレルに思い残すことはなくなった。しかし、歩き始めた矢先、オーリハの腕が伸びてきて手首を握られる。そのままカレルは強引に反転させられた。いつもと様子が異なる。カレルは声を柔らかくして問いかけた。
「どうしたの?」
「予定は?どれくらいに戻ってくる?」
「らしくないじゃん。オーリハさんがそんなこと聞くなんて」
「そうだよ。前にも言っただろう?行ってみないとよく分からないんだって」
太陽の光でキラキラと輝く金髪がオーリハの顔を隠している。しかし、カレルを力強く握る手が必死に何かを訴えかけていた。ここまで弱々しいオーリハは珍しく、ソウも対立を煽るようなことはしない。カレルはこの仕事を始めたばかりの頃をふと思い出した。
当時はオーリハに旅の日程を大雑把に伝えていた。その結果、仕事が上手くいかず予定より遅れて戻った際に、人目を憚らず叱責されてしまった。悪い想像を振り払えなかったオーリハは仕事も手につかなくなり、カレルがあげたフィルターを握りしめて一人で泣いていたという。後からその話をダーシェンカから聞いて、カレルも酷く心を痛めた。
「カレル以外に話し相手いないから……居なくなられるのは困る。どうしてか分からないけど、今日はいつもより不安」
「大丈夫だよ」
「私がいるって聞いてなかったの?」
「………」
二人に諭されてオーリハの手がゆっくりとカレルから離れていく。その時に髪が揺れて不安そうな顔が見えた。これではヨーゼフが心配していた通りになろうとしている。オーリハも孤独を前に気丈に振る舞えるほど強くはない。
このまま別れたとしても、次に顔を合わせた時にはこの瞬間を忘れてしまっているかもしれない。しかし、今日のオーリハをこのまま一人にすることはできなかった。カレルは一呼吸置いて、上目遣いのオーリハと顔を合わせた。
「オーリがタバコで身体を悪くするのと僕が旅で死ぬの、実はいい勝負だと思ってる」
「え?」
「この一週間はちゃんとフィルターを交換してたみたいだけど、いつもはそのまま吸ってるようなものだろ?僕がオーリにお節介を焼くのは願懸けみたいなものだからさ」
「そんなこと信じると思う?」
「心の保ち方だよ。オーリが元気ならきっと僕だって何事もなく帰ってくる」
「私をまだ馬鹿な子供だと思ってるでしょ?」
オーリハにいつもの目つきが戻る。カレルが肩をすくめるとオーリハは安心したようにその場から一歩下がった。カレルを呼び止めた手はまたポケットに潜っていく。
「じゃ、行ってくるから」
「うん」
今度こそカレルは前に進む。心が締め付けられるのはオーリハの気持ちに触れたからか。隣を歩くソウは複雑な顔をしていた。
「いつになく心配そうだったね」
「もともとオーリはああいう性格なんだ。いつもはぶっきらぼうな態度をしてるけど、左腕のことで根付いた他人への不信感に今も圧し潰されそうになってる。きっと僕らが思っているほど心に余裕はないんだろう」
「そうなんだね」
「だからちゃんと帰らないと」
「うん」
今回の目的地はコトという街である。そこにある貴族専用の病院に保管されている医学書が目当ての本だった。イーロンの話では、人体に関する医学書はこの時代の貴族にとって価値が低く、国に譲渡される可能性があるという。そうなれば手に入れることは困難になるため、その前に奪取することが求められていた。
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