第9話 毒と薬

 一通りの買い出しが終わると、最後は再びセイに戻って医薬品を売る店に向かう。医薬品は人間の身体に対してのみ効果を示す。ソウにとっては関係のない買い物だったが、それでも陳列されている品々を食い入るように見ていた。


 「エタノールを」


 「そんなのでいいのかい?最近こんなものも入荷したんだけどね。すぐに売り切れると思うよ」


 カレルが店主の女に欲しい物を告げると、聞いてもいない品が出てくる。小指ほどの大きさのガラス瓶に光沢のあるドロドロとした液体が詰まっている。手にすると瓶の大きさに比べてかなりの重量があった。


 「お嬢ちゃんにいいんじゃないかい?これを一週間飲み続けると体重を落とせるんだよ。それに、体から毒素を取り除く効果もある」


 「そうなんですか!?」


 店主の言葉にまんまと引っかかったソウが興味を示す。手が伸びてくる前に、カレルは小瓶を女に返した。


 「彼女はキョウエン人ですよ」


 「おや、そうだったかい?じゃあカレルはどうだい」


 「やめときます。それじゃ」


 カレルはエタノールだけを買ってすぐにその場を離れる。匂いを嗅ぐことでこれが本物だと断定できる。ソウは礼儀よく頭を下げてからカレルについてきた。


 「良かったの?貴重そうなものだったけど」


 「あれは水銀だ。飲むと中毒を起こす」


 「でも毒を取れるって」


 「あれ自体が毒なんだ。服用すると酷い嘔吐と下痢に襲われる。でもそれが毒が抜けてる証拠だと勘違いされてる」


 この世界の医療は崩壊している。毒が薬として売られ、ほとんどの人間が効果のない治療法に縋りついているのだ。カレルもこの仕事に就くまでは間違った知識だけで生活をしていた。


 「教えてあげなくていいの?」


 「誰も聞いてくれないから意味がない。自分の大切な誰かが死にそうになっている時、それは毒だから飲ませるなと割り込むと反感を買う。何度も経験して気付いた。それは僕の仕事じゃないって」


 真実を教えようとしても、希望を求める人々の耳には届かない。どのようにそれを知ったのか説明できないため、カレルの言葉の方が軽視されるからだ。個人でできることがない以上、振興社の行動を待つしかない。


 「空気水って知ってるだろ?あれだって一緒だ」


 「ダイクに勧められたことがある」


 「人間が呼吸しているのは空気から栄養分を取り込むためで、身体が機械になって呼吸しなくなるとその栄養も得られなくなる。そう考えられてるから空気をバブリングした水が人気なんだ。燃料電池でも吸気と排気はしてるのに」


 「これも良くないことなの?」


 「水銀に比べたらなんてことない。意味がないってだけで」


 「前に流行った水素水みたいに?」


 「ああ」


 以前、空気水ならぬ水素水が人気になったことがあった。ただ、科学知識を持たない人々でさえ、今は誰もその効果を信じていない。きっかけは一人のヒトがバブリング前後の重量を測定し、変化がないことを発見したことだった。一方、空気水には僅かながら重量増加が認められ、間接的にその価値を補強してしまった経緯がある。


 「空気水が腐りにくいっていうのは?」


 「さあ?それはそうかもしれないし、違うかもしれない。知り合いが空気水を飲むようにしてから下痢を起こさなくなったって言ってた。でも、ちゃんとしたことは分からない」


 「今さっき買ったエタノールは殺菌ができるんだよね?それを水に混ぜたら腐らなくなるんじゃない?」


 「腐らないかもしれないけど、それはただの酒だ。飲むたびに酔ってたら大変だろ」


 「そっか。ふふ、それは困るね」


 カレルの言葉を聞いてソウがくすくすと笑う。ソウは自らの身体でエタノールを生成しており、当然ながら酒に酔うことはない。オーリハとの酒合戦で勝利したことを今でも誇らしげに語るほど、酔うことを人間の弱点と捉えていた。実際に、カレルは何度も失態を見せたことがある。ただ、言われっぱなしでいるわけにもいかず、精一杯の抵抗として昔の話を掘り返した。


 「今でこそ信じなくなったけど、ソウは神頼みに傾倒してたことがあったな」


 「あれは……後でカレルがちゃんと教えてくれたからいいの」


 「それだって信じる先が変わっただけかもしれない。僕がずっと嘘を教えていたらどうする?」


 「別にいいよ。私はカレルと同じことを信じていたいから」


 「何も変わってないじゃないか。……祈祷師が簡単に信者を集められる理由が分かったよ。誰よりも賢いソウがこんななんて」


 カレルは皮肉を込める。ただ、ソウはなぜか嬉しそうに微笑んだ。


 「カレルがもし祈祷師に転職したら、私が真っ先に信者になって人を集めるよ。私が真剣に説明したらきっと皆信じてくれる」


 「そうかい」


 「でも、祈祷師嫌いなカレルがそんなことするはずないよね」


 「当たり前だ」


 カレルは大きく頷く。ナミハヤにも祈祷師として生活している人間やヒトは多い。天上の誰かに適当に願いを唱え、それだけで高額な報酬を受け取れる簡単な仕事だ。ナミハヤを運営する中枢にも入り込んでいると聞いて呆れたこともある。祈祷内容は病気の回復から大気の運行を変えるものまで豊富にあるという。いずれも結果を伴ったことは少ないが、それでも稀に願い通りとなるため多くが心酔している。


 「そうやって意味のある物だけに固執するせいで、カレルの看病するときはいつも困らされてるの知ってる?人間の身体は複雑すぎて、祈る以外に何もしてあげられないんだから」


 「普通に休ませてくれればいい。本当に効く薬なんてそんな簡単に出回らないし、なにより高価だ。気にしなくて良いから」


 「だから困るって言ってるのに」


 ソウに文句を言われてもこればかりは仕方がない。効果のある治療薬は確かに存在する。しかし、需要が減って国が生産量を落としたため、今では極めて貴重なものになってしまった。だからこそ人間はなお一層ヒトになることを望んでいる。これにも大金が必要になるが、その後のリスクは激減させられる。


 「でもまあ、何があっても私が絶対にどうにかしてあげるから心配いらないよ」


 「ありがとう」


 今日のソウはいつになく饒舌で、カレルは適当に相槌を打って聞き流す。早くリサットに戻って愛読書を手にさせなければ心が持ちそうにない。カレルは歩調を少し早めた。


 バスエの前を通過して、今朝よりは片付いた通りを戻っていく。セイも活気がないわけではない。荒れてはいてもありふれた生活が営まれているのだ。露店を通り過ぎる度に客引きの声がかけられる。それに混じってカレルの名が呼ばれた。


 「カレル」


 振り向くと鉄製の箱を抱えた屈強な男がこちらを見ている。顔が合ってカレルは思わず硬直した。体格差に驚いたからではない。


 「ヨーゼフさん。お久しぶりです」


 「こんにちは」


 外向けの声でソウも挨拶をする。ソウもヨーゼフのことは知っている。しかし、顔見知りという程度でカレルが持っているような苦手意識はない。ゆっくりと近づいてきたヨーゼフはソウを一瞥して軽く会釈する。その後、カレルと目を合わせた。


 「時間は?」


 「ありますけど」


 「少し話せるか?」


 「はい」


 ヨーゼフと会話するときはいつも緊張する。身長の高いヨーゼフに見下ろされる形になるからだ。圧力をひしひしと感じながら、カレルは手に持っていた荷物をソウに渡した。


 「先に帰ってて。すぐに戻るから」


 「分かった」


 この状況ではソウも素直に従う。最後まで礼儀を重んじて、荷物を受け取ると一人でリサットに歩いていった。その様子を見送ってからカレルは呼吸を整える。


 「今日はどうしたんですか?」


 「少し歩こう」


 「はい」


 ヨーゼフに主導権を握られ、カレルはとにかく隣についていく。リサットから離れつつ、バスエの方向とも違う。


 カレルは昔からヨーゼフに苦手意識を持っている。なぜならば、ヨーゼフはオーリハの父親であり、過去に何度もオーリハに関わる重たい話を繰り返していたからだった。

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