第8話 ネグルージュの法則

 次の日、カレルとソウは旅で消耗した備品を買いにナミハヤの街に繰り出ていた。食料や焚火の燃焼剤、メンテナンス用オイルなど旅には様々な必需品がある。不安定な世界を渡り歩くため準備を怠ることはできず、ちょっとした忘れ物が命に関わるのだ。


 「まずは何を買いに行く?」


 「食料から買おう。この前みたいに品薄になってたら困るし」


 食料はカレルにとっての生命線である。特に冬期は道中での調達も難しいため、枯渇は直接死に結びつく。一般的に生命維持においては水の方が大切と言われている。しかし、二人の場合、ソウの燃料電池が常に水を副生するため問題にならない。


 一方のソウは、出発前の水素充填だけで理論的には生命維持の条件が満たされる。とはいえ、実際には潤滑油や洗浄水などを消費し、カレルと一緒に食事も取る。ソウはキョウエン人だが、そのことがカレルとの違いを生み出す理由にはならない。ヒトとはあくまでも人間と異なる身体を持つだけで、学術的にも道徳的にも同じ種として認識されている。


 「知らない間にここにも新しい発電所が出来てる」


 「最近はエネルギー不足が特に深刻なんだろう」


 近道になる路地を歩いていると、昔は空き地だった場所に突如として巨大な太陽光発電施設が現れる。二人は大きなパネルに関心を持ち、そのまま曇った空を見上げる。ナミハヤで消費されるエネルギーのほとんどは太陽光から作られている。水素の製造にもこの電力が欠かせない。


 「そういえばこの前に太陽光発電型のヒトを見かけたよね」


 「ああ、光さえあれば生きていけるって触れ込みの」


 「凄いよね。本当にそうなのかな?」


 「街で生活する分にはそうなんだろう。でも、僕らみたいに旅はできないと思う。あの面積じゃ出力は小さいだろうし、何より脆弱すぎる」


 新しい技術を与えられたヒトは定期的に現れる。話に出ているヒトは、外骨格が柔軟性のある太陽光発電パネルで構成された最新型だった。光を浴びるだけで生命活動を維持できることが大きな特徴だ。


 ただ、カレルにはそれが魅力的だとは思えなかった。エネルギー供給に不安定要素があるだけでなく、人間で言えば心臓が剥き出しになった構造である。ソウのような洗練された身体とは程遠い。


 「あれも国が作ってるの?」


 「まず間違いない。街の技術士が作れる代物じゃないから。修理は任されるんだろうけど、仕組みは理解してないはず」


 この世界の技術は常に進歩し続けている。その度に国民は利益を享受し、より良い生活に繋げている。しかし、実際のところ国民はその新しい技術について表層すら理解していない。正確には知ることを許されていなかった。国が強力に技術を管理し、中身を知ることを固く禁じているからだ。


 そのため、修理はもっぱら故障箇所の全交換となる。国民にとってもその方が都合よく、従って国の政策に不満が向くことはない。カレルも昔はそうだった。


 「ほんと、私はカレルと出会えて良かった」


 「僕だって何も分かってない。分解や組み立てができても、一つ一つの部品の役割までは知らないし。ソウの身体なんて余計にそうだ」


 「そうじゃなくて」


 カレルが自らの無知を嘆くも、ソウは笑ってそうではないと否定する。少し照れながら左手で触っているのは、研究所から逃げる際に銃弾を受けた右肘だった。


 「カレルは壊れたか壊れてないかだけで判断しない。ヒトを部品の集まりだなんて考えない。だから信頼してるってこと」


 「そんな考えは時代錯誤的だ。僕だけじゃなく誰もしない」


 「でも交換すれば良いっていうのはそういうことでしょ?人間が腕を失ったとき、たとえ義手で代替できても喪失感が残る。でも、ヒトは同じ物を取り付ければ元通りだって考える」


 「……難しい話だ」


 「私の右足はジャンク品。こんなのどこでも売ってる。でもね、失った時を考えると私は怖い。カレルのおかげで今日もこの足で歩いていられるの。そんな毎日がなくなってしまうのは嫌だ」


 ヒトとして最も完成しているソウが誰よりも人間らしい。ソウの瞳に返事を求められ、カレルは少し考えてから口を開いた。


 「それは愛着だと思う。愛おしく思うから価値が生まれるんだ。人間が自分の身体に愛着を持ってたのは過去の話。今は違うよ」


 「カレルも?」


 「そういう意味では僕はまだ愛着を持ってる方だと思う。簡単な暗算もできないし、足も遅いこんな身体だけどね。でも、人間の多くはヒトになることを望んでる。ヒトにならずとも、性能を上げるために健康な身体を機械に取り換えてる。頭以外全て機械にした人間だっているくらいだ」


 ソウはいつも人間とヒトの違いを気にしている。しかし、どうもそう簡単な話ではないことにカレルは最近になって気付いた。ソウの気持ちはそんなに単純ではない。


 「きっとカレルの考えが私にうつったんだね」


 「……ああ、そうかもね」


 ソウが笑って話を纏める。生きてきた環境が考えを左右するなど当たり前のことである。カレルが母親の言葉を今も気にしていることも同じ理由だ。そして、ソウの人生に最も影響を与えているのは他の誰でもなくカレルである。


 ヒトが生活する区画に近づくにつれて街は活気づいていく。街並みも綺麗になっていき、路上に座り込む者や物乞いの姿はなくなる。それぞれが身分に合ったバッジを胸に光らせて歩いている。


 人間とヒトで区画が分けられている理由はお互いが干渉を避けたからだ。よってバッジを持たないカレルがヒトの街をふらつくことはマナー違反に近い。そんなカレルに免罪符を与えているのがソウだった。ソウの身分を知らない者はナミハヤにいない。カレルに白い眼を向ける者も、ソウの前で馬鹿な真似はできなかった。


 店を回る度にカレルのリュックは重たくなっていき、半分回ったあたりで休憩を挟むことにした。二人で近くの花壇の縁に腰をかけて水筒の水を分け合う。そうして一息ついていたところ、通りの向かいから叫び声が聞こえてきた。


 「どけどけ!」


 一人の男がヒトをかき分けながら走ってくる。みすぼらしい服装から人間だと予想がつく。その後方からは数体のアンドロイドが金属を軋ませつつ男を追いかけていた。両者の走力はあまりにも違いすぎる。カレルの視界から消える前に男はアンドロイドに捕まった。


 「離せ!」


 首根っこを掴まれた男は宙に持ち上げられ、両足を暴れさせて抵抗する。それに対してアンドロイドは男を地面に叩きつけることで解決を図る。骨が折れる鈍い音がする。男は気絶してしまったのか、無抵抗なまま後ろ手に拘束され、そのまま通りの奥に引きずられていった。


 「犯罪者?」


 「多分」


 一部始終を見ていたのはカレルらだけではない。ただ、男が連れていかれると通りは何事もなかったかのように賑やかさを取り戻す。犯罪はどこの街でも発生する。大抵は生活に苦しんだ人間の窃盗や強盗だ。このために人間は蔑まれ、悪循環に陥っている。


 「もっと優しくできないのかな」


 「アンドロイドだから。自我がなくて感情もない。命令に従ってるだけ」


 アンドロイドの身体はケイテツ人とほとんど同じである。演算回路も場合によっては同じ型が用いられている。唯一の違いは自我の有無だった。その違いが生命と機械の線引きをしている。


 「命令って……それを出してるのはヒトでしょう?」


 ソウはアンドロイドの暴力的な行為を非難している。ただ、アンドロイドに罪の意識は生まれないため、責められているのは運用しているヒトだった。


 「ヒトの犯罪者には別の振る舞いをするように命令されてる。いわゆる人権ってやつ」


 「おかしな話。アンドロイドも善悪の判断が出来ればいいのに」


 「それはネグルージュの法則があるからできない。だから信頼されてるんだ」


 アンドロイドは国の治安維持を担っており、警察から軍隊までその役割は広い。また、多くの生産活動はアンドロイドによって行われ、ヒトや人間はその利益で生きている。アンドロイドに国の面倒事全てを押し付けているのだ。そして、この仕組みはネグルージュの法則によって担保されている。


 演算回路の種類に関係なく、自我を持つ個体に与えられた命令の実行性はその個体の裁量によって左右される。これをネグルージュの法則という。ヒトや人間の行動に責任が伴うのはこのためだ。


 一方のアンドロイドに自我はない。従って、ネグルージュの法則の観点から運用者の命令に背くことができず、これに伴って危険や苦痛を伴う仕事が割り当てられている。問題解決において最適な判断を下すことはできるが、それも使用者の命令に従うことが前提となる。


 「少し可哀想」


 「そうかな。僕はそう思わない」


 「どうして?」


 「可哀想に思うのは僕たちと同じ形をしてるからだ。さっき見た発電施設にだってシステムが組み込まれていて、その存在意義は僕らが与えた仕事をこなすことだけ。アンドロイドも一緒だよ」


 「……そっか」


 言葉では納得してみせるソウだが、その顔から腑に落ちていないことは明らかである。一冊の本に対しても強い思い入れを持つくらいだ。ソウは過去の人間に似ているのかもしれないとカレルは感じる。


 太古の人間は万物に神が宿ると考えていたという。それが物を物として扱うことに抵抗するソウと重なる。現在では荒唐無稽と一蹴されてしまうが、そんな声をソウが気にするはずなかった。

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