第7話 バスエ
ソウの水素充填を終えて、ようやくカレルの食事の時間がやってくる。ソウもカレルとともに食事を取ることができる。基本のエネルギー源は水素であるが、人間とは別の代謝経路で有機物をエタノールに分解して貯蔵できるのだ。これは続く改質によって水素に変換され、燃料電池に利用される。ほとんどのヒトに備わる能力であるが、ソウの場合であっても効率は高くない。人間を模すという側面の方が大きかった。
二人が向かったのはセイの一角にあるバスエという酒場だった。ここは人間が入れる唯一の飲食店であり、街で最も治安の悪い場所と言っていい。そのため、ここではいつも番人が目を光らせている。
「またあそこに行くの?たまにはリサットで食事もいいんじゃない?」
「お金を払うとしても食事まで用意してもらうなんて気が引けるだろ?それに旅から戻ったばかりだし顔を出しておいた方が良い」
「じゃあ今度は料理本を狙おうよ。そしたら私が作ってみるから」
「そんなの振興社が欲しがるわけない」
ソウが文句を言ってくるのには訳がある。その事情を理解しているカレルは適当にあしらってバスエまでやって来た。前に立つだけで中から聞こえる喧騒に押し返されそうになる。久しぶりの雰囲気を噛みしめながら店の扉を開けた。
「お、カレルだ」
「本当だ。まだ死んでなかったんだな」
カレルの入店に気付いた客が思い思いに声を掛けてくる。ここにいるのは全て人間である。身分の高いヒトも入店できるが、誰もこんなところに近づこうとはしない。カレルは酒臭い男の間を縫ってカウンターまで進んだ。
「カレル!帰ってきてたのか!」
「ああ。マスターも変わりないみたいだ」
カレルに気付いてマスターのダーシェンカが近づいてくる。中肉中背でダンディーな風貌をしているが、年齢がそれを侵食しつつある。身長はカレルより少し低い。
「ちょうど良かった。最近、オーリの機嫌が悪かったから」
「それは僕と関係ないですよ」
「いい加減分かってるだろう?」
「で、何回銃を?」
「手に持ったのは三回。発砲はなかった」
「意外と大人しかったみたいですね」
早速物騒な話が飛び交う。セイのような場所では銃でしか問題を解決できない場合もしばしばある。この店でもっぱら銃を取り扱っているのはオーリハという従業員だった。酔った巨漢より怒らせてはいけない人間として知られている。
「話してたら来たぞ。オーリ、カレルとソウちゃんを案内してあげて」
立ち話をしていると厨房から料理を手にしたオーリハが出てくる。目つきが悪く怒っているように見えるが、本当に機嫌を悪くしたときに比べればなんてことはない。カレルが軽く手を振ると、皿が割れんばかりに配膳したのち、足早に寄ってきた。
「帰ってきてたんだ」
「うん」
「じゃこっち来て」
オーリハの口にはフィルター付きの火のついていないタバコが咥えられている。可愛い給仕服に手を突っ込んで態度は男そのものだ。ただ、長い金髪がトレードマークで、見せつけるようにカレルとソウの前で揺れる。この店では有名なことだが、オーリハとソウの仲はあまり良くない。わずかに見せたオーリハの鋭い視線にソウは鼻を鳴らして対抗していた。
「注文は?」
「とりあえずいつもの」
このように言っておけばダーシェンカが酒と適当な料理を作ってくれる。注文を取ったオーリハは一度厨房に下がっていく。その間に近くの席に座っていた男が話しかけてきた。
「オーリちゃんの機嫌が良さそうだと思ったら帰ってきてたんだな」
「ええ、まあ」
「聞いてくれよ。カレルがいない間にオーリちゃんに銃を突きつけられた。こうやって」
そう言って男は口を大きく開き、目の前にあったグラスをその中に突っ込む。ガラスが歯と接触してガチガチと音が鳴る。オーリハが誰かを恫喝するときはいつも相手の口に銃口を押し込む。カレルは肩をすくめて同情してみせた。
「酔い過ぎた俺が悪いんだがな、一気に酒が抜けてその日は飲んだ気がしなかった。あれだけはしないようにカレルからも言ってくれないか?」
「何したんですか」
呆れ気味にカレルは問いかける。乱暴なオーリハとはいえ、理由もなく銃を突きつけるようなことはしない。よほど酒に酔って暴れていたのだろうと簡単に想像つく。ただ、その話を聞く前にオーリハが三つのグラスを持って戻ってきたため、男は慌てて自分の席で小さくなる。オーリハはそのままカレルらのテーブルについた。
「仕事は?忙しそうだけど」
「ダーシェンカが少しなら話してきていいって」
ソウが追い払おうと試みるも、オーリハは当然の権利のようにグラスを傾ける。タバコにも火をつけて、もはや働いているようには見えない。途端に険悪な雰囲気に包まれる。カレルはその理由を分かっているようで分かっていない。
「やあやあソウちゃん。帰ってきてたんだね」
しばらくすると別の男がグラスを片手にソウに近づいてくる。この店ではオーリハと同様にソウも好かれている。オーリハのような棘がなく、キョウエン人にもかかわらず人間に偏見を持っていないからだ。また、外見の良さも好感度を上げる要因となっている。
「実は最近古代語の本を読んでてさ。ソウちゃんも解読に困ってるって話じゃなかった?」
「はい。ずっと詰まってます」
「俺もそうだったんだけどね。最近なんか法則を見つけた気がするんだ」
「本当ですか!?」
人間に対して差別意識や偏見がないとはいえ、いつものソウはあまり周りの人間に興味を示さない。しかし、愛読書が関わると話は変わる。目配せされたカレルは話してきたらとジェスチャーする。ソウが離れていき、テーブルではオーリハとカレルの二人きりとなった。
「旅はどうだった?」
「順調だったよ。オーリハは?」
「……普通かな」
火をつけたばかりのタバコであるが、話し始めるとオーリハの左手で揺れるだけとなる。オーリハの左手は義手である。子供の頃に大怪我を負い、左腕の肘から下を機械と入れ替えたのだ。義手は綺麗な状態を保っている。だからこそカレルはその指に挟まれたタバコのフィルターが気になった。煙に由来する汚れが溜まっている。
「またフィルターの交換サボってるでしょ?定期的にしないと意味ないっていつも言ってるのに」
「味が落ちるとストレスが溜まるから」
「だったらいっそのこと直接吸えばいいのに」
「……もうこれで慣れた」
タバコは乾燥葉の状態で売られており、各々はそれを紙に巻いて喫煙する。オーリハもかつてはそうだったが、それでは身体に悪いとカレルは心配していた。この真鍮製のフィルターはそんなカレルが数年前に自作した物だった。
「その管もそろそろ新しくした方がいいんじゃない?」
カレルはただ健康を気にしているだけである。しかし、オーリハはすっと目を細めるだけで大した反応を示さない。喫煙は今や人間だけの文化である。そして多くの人間がその健康リスクを全く知らない。
「新しいの作ってあげようか?」
「要らない」
「じゃあ掃除と交換は?それくらいならいいでしょ?」
妥協してみても反応がない。オーリハとは幼い頃からの知り合いであるが、いまだに扱い方が難しい。諦めたカレルはグラスに手を伸ばした。すると、何を思ったのかオーリハはおもむろにタバコの火を灰皿で消し、口紅を拭ってからカレルにフィルターを手渡した。
「活性炭と道具は持ってるの?」
「ある」
オーリハが給仕服のポケットからプラスチック袋に入った真っ黒な粉末と金属棒を取り出す。フィルターの交換はソウのメンテナンスと違って誰にでも出来る。カレルはそれらを受け取って作業を始めた。
「この汚れ方からして交換をさぼって二週間くらい?」
「言わない」
「言わなくたって分かる。昔みたいに僕が毎回してあげられるわけじゃないんだからさ」
「ふふ、そうだね」
ようやくオーリハが笑顔を見せる。いつもその顔をしていればと思うのはカレルだけではない。交換の途中、オーリハはダーシェンカに呼ばれて厨房に戻っていった。オーリハにも変わりがなかったことでカレルにも笑みが零れる。するとすぐに、頬を膨らませたソウが戻ってきた。
「なんだか楽しそうに話してたね」
「そうかな」
いたずらな反応は面倒を呼ぶだけだと分かっているカレルは手元から目線を上げない。すると、ソウと話していた男に加えて別の酔った男までがカレルに詰め寄ってきた。二人ともソウの肩を持っていた。
「いつも私のこと……だから……」
「お前はもっと…………だろ」
「………しろ、……カレルだったな?」
喧騒な空間の中、三人が同時に話しかけてきてカレルの耳は混乱する。視線を上げるとそれぞれが三者三様の面白い顔でカレルを見ていた。
「同時に言われても分からないから」
「もう!」
ここに来るとソウはいつもこうなってしまう。周りの男は唾を飛ばしながらそんなソウを笑い、同時に慰めている。訳が分からないカレルは料理が出てくるまで作業を続けた。
その後はオーリハが持ってきた料理に舌鼓を打ち、ちょうど良い頃合いまで酔ったところでバスエを出ることにした。別れ際に交換したフィルターを渡したところ、オーリハは早速それでタバコをふかし始める。そのまま帰路につく二人を見送ってくれた。
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