第6話 メンテナンス

 カレルらは常連ということもあり、今回も外の通りに面した角部屋が用意されていた。ツインベッドが窓際に備えられており、机の上には預けていた荷物が並べられている。遅れて部屋に入ってきたソウはベッドに直行するなり、横になって愛読書を広げた。


 「先にシャワー済ませて」


 「えー」


 「メンテナンスしなくていいの?」


 カレルは荷物を置いて中身を整理していく。子供のような態度を取ることもあるが、ソウは精神年齢まで幼いわけではない。本をベッドの上に置くと渋々カレルの指示に従った。


 ソウのシャワーは烏の行水で、普段着に着替えた後は直ちに読書に移る。続いてカレルもシャワーを済ませると、その後はいつものようにソウのメンテナンスが始まった。


 「じゃあ椅子に座って」


 カレルはイーロンに預けていた道具一式を広げる。今のソウは旅の間では着ることのできない紺のスカートをはいている。上半身は白いシャツの胸元に赤いリボンが添えられていて、見た目相応の着こなしをしていた。


 「右足の踵をそっちの椅子に乗せて」


 「うん」


 カレルは指示を出しつつ椅子の下に潜り込み、仰向けの体勢でソウの右足を下から覗き込む。愛読書を広げているソウだが、作業の様子が気になるのかチラチラとこちらを見ている。金属フレームは一枚の大きな合金板で、それを取り外すと内部機構が露わになる。中を見たカレルは思わず絶句した。


 「ソウ……どういうこと?」


 「な、なにが?」


 「これ、シリンダが歪んでるどころじゃないぞ!」


 ねじ曲がったシリンダの周囲には複数の亀裂があった。原因は火を見るよりも明らかで、ソウが足を痛めた後も無理な動きを続けたことである。足の間からカレルが睨みつけるとソウの顔は本の陰に隠れた。


 「そんなだった?大丈夫だと思ってたんだけどな」


 「こんなだったら応急処置しておけば良かった」


 「……ごめんなさい」


 カレルは想像以上に交換部品が多いことに焦る。ただ、今回は運が良いことに部品を全て持ち合わせていた。もしそうでなかった場合、カレルが街中を走り回って探さなければならない。


 「治すの難しそう?」


 「できるよ。でも、あと一日多く歩いていたらシリンダが中で外れてた」


 「ごめんなさい」


 「自分の身体だ。もっと大切にしてほしい」


 そう言いつつ、カレルは心の中に罪悪感を芽生えさせる。この怪我はソウのミスでできたわけではない。作業の間、ソウは1ページも愛読書をめくらなかった。


 「終わったよ。ちょっと歩いてみて」


 「うん」


 三十分ほどの修理が終わり、カレルはソウを部屋の中で歩かせる。今朝までのような右足を庇う仕草はもうないが、細かな違和感はソウにしか分からない。ソウは部屋を何周かした後、カレルの前で立ち止まった。


 「大丈夫そう?」


 「う、うん」


 「本当?」


 僅かな言い淀みにカレルは気付く。視線が合ってソウは苦笑いを浮かべた。


 「足を出した時に少し張った感覚がある。全然動かせるんだけど」


 「シリンダの位置を調整したほうがいいな。もう一回座って」


 カレルは再びソウを椅子に座らせる。ソウがメンテナンスを申し訳なく思う必要はない。再調整でソウは満足してくれた。


 「次は燃料電池のガスケット交換だ」


 「……それ、今日じゃないと駄目?」


 「今日じゃなくてもいいけど、分けたらシャットダウンも二回に増えるよ」


 「それは嫌!」


 「じゃあ服捲し上げて」


 ソウの燃料電池は腹部に内蔵されている。そのため取り出すには皮膚を切開しなければならない。他の部位とは異なり、ここの皮膚には自己修復高分子膜が用いられている。見た目は相変わらず人間の皮膚を忠実に再現しているが、エンプラではないため外力に対する耐久性が低い。その一方で、切開がしやすく、傷口を繋げておくと自然に修復する特徴を持っている。


 本を閉じたソウが恥ずかしそうに胸の下まで服を上げる。白い肌が露わになると、カレルは早速顔を近づけた。目を凝らせば前回の縫合部分が確認できるのだ。


 「電池の運転を止めて。それから痛覚も切っておいて」


 「分かってる」


 確認を取った後、カレルは手術用のメスで横腹に切れ込みを入れる。この辺りは様々な配線や流路が入り乱れているため慎重な作業が求められる。ただ、カレルはこれまでにも何度か切開したことがあり、慣れた手つきで内部機構までたどり着いた。そして二つある燃料電池の一つを取り外していく。


 「いつも思うんだけど、ここにはナイフも簡単に通る。大切な機構が集まっているのに脆弱で不安だ」


 「カレルしか知らないから大丈夫だよ」


 「僕だけじゃないだろ?熱っ!」


 燃料電池の運転温度は90度に達し、水分を含んでいるため外気と触れた瞬間に蒸気が立ち上る。カレルはそれを慎重に机の上に移動させた後、ある程度冷めるまで待つ。触れられる温度になってからセルを分解し、使い古されたガスケットを取り外した。


 「ほら見て。こことここに穴があいてる。発電効率下がってたでしょ?」


 「少しだけ。カレルが命を張るほどじゃなかった」


 「でもソウが万全な方が僕だって安心だ。他に見てほしいところがあるなら今のうちに全部言ってよ」


 次に研究所で手に入れたガスケットをソウのセルの大きさに合わせて切断する。これをしわにならないように取り付けることが最も難しい。カレルがその作業に集中していると、ソウが小さな声で呟いた。


 「カレルを抱いて跳んだ時、左腕から変な音がした。全然違和感はないんだけど」


 「分かった。見てみるよ」


 セルを組み直すと、再びそれをソウの腹部に戻す。開いた皮膚は糸で縫合して閉じていく。注意して繋ぎ合わせなければ綺麗な肌に跡が残る。カレルは額に汗をにじませながら針を動かした。


 「左腕見るね。……別にまじまじ見てないで本読んでていいよ」


 「カレルに触られてて集中できないの!」


 「そうかい。……あー、外のフレームが内部と当たった痕があるな。きっと力がかかりすぎてフレームが動いたんだ」


 「それだけ?」


 「そうだね。一応内側に緩衝材張っておくか」


 これは右足の修理に比べれば大したことはない。ここまででカレルは一旦手についた油汚れを洗い流す。ソウは服を整えて愛読書をお守りのように抱きしめている。


 メンテナンスはこれで終わりではない。まだ最後の大切な作業が残っているのだ。それを分かっていてソウは不安そうにしている。


 「シャットダウンしよう」


 メンテナンス後はシャットダウンと再起動を行わなけばならない。これはいわば人間の睡眠に当たる行為であるが、異なる点はシャットダウンの場合、自らの意思で再起動できないことである。だからこそソウは嫌がっていた。


 カレルはソウの右隣にもう一つ椅子を用意して座る。ソウの気持ちはよく理解できる。作業手順を確認中、ソウの右手がカレルの左手に触れる。ソウの右腕はオリジナルであり、くすみがなく美しい。カレルは震える手を優しく握った。


 「心の準備ができたら言って」


 「いつも通りだから大丈夫。始めて」


 「分かった」


 ソウのシャットダウンは鎖骨の間と後頭部にある二つの小さなボタンを同時に長押しすることで始まる。胸元はソウが押して、後頭部はカレルが担当する。意識を失う瞬間のソウの表情は見ないようにしている。ボタンを押すと同時にカレルは顔を背けた。


 シャットダウンが始まるとソウは眠るように脱力していく。手を握る力も弱まるが、カレルがしっかりと握ってやることで繋がりが保たれる。再起動までは五分程度の時間を置くようにしている。明確な根拠はないものの、その方がソウのパフォーマンスが向上するという経験則があった。


 簡易的な再起動は日常的に行われている。その目的は記憶の整理や演算回路にかかる負荷の軽減であり、ソウだけで完結させられるからだ。一方、メンテナンス後のシャットダウンは身体と演算回路の接続の最適化が目的となっている。毎日行う必要はない一方、しなければパフォーマンスの低下を引き起こす。


 この作業は全てのヒトに求められることで、信頼できる協力者が必要となる。なぜならば、外部からの再起動がなければ永遠に目覚めることができないからだ。これはつまり他人に命を預けることにほかならない。ソウはカレルを信頼してくれているが、それでも潜在的な恐怖に怯えていた。


 手を握るのはそんなソウの不安を解消するためである。カレルがそばにいる証をソウが欲し、カレルから手を握ったことがきっかけだった。当時のカレルがその場しのぎで提案したことだったが、今ではソウにとって必要不可欠なルーティーンとなっている。


 昔、ソウのシャットダウン中に来客があり、握った手を少しの間だけ離したことがあった。再起動時には握り直したものの、結果として繋ぎ方が違うことに気付いたソウに酷く泣かれてしまった。カレルはそれ以来、ソウの不安を取り払うことを最優先にしている。


 どうしてヒトがこのようなメンテナンスを必要とするのかはよく分かっていない。ただ、かつて人間がヒトを管理していた歴史が関係しているとカレルは考えている。ソウも昔は別のヒトに管理されていた。その名残としてソウは自らの年齢を正確に把握できていない。二歳だと主張しているが、実際には生まれて五年以上が経過しているのだ。


 カレルがそれを知ったのはソウのメンテナンス中だった。部品の製造時期や劣化具合から判明したのだ。しかし、ソウにはまだ伝えられていない。


 三年の空白がどうして生まれたのか。カレルは、ソウの記憶が定期的に消去されていたからだと推測している。ただ、問題はその理由である。ソウは貴族が所有する警備用のヒトだった。そのため、使用者が不都合な記憶を消したのかもしれない。また、そこにソウの同意があったのかも定かではない。


 所定の時間が経って再起動を始めると、直ちにソウの身体は息を吹き返していく。ソウは高性能なため、この起動速度も並のヒトと比べて桁違いに速い。目を覚ましたソウはまず繋がれた手を確認し、カレルにはじける笑顔を見せた。


 「ありがとう」


 「身体の調子は?」


 「大丈夫そう」


 「よし。これで作業は終わりだ。やっとご飯を食べに行ける」


 ソウが問題なく起動したことでカレルは大きく息を吐く。空腹を我慢しながらの作業だったため、早くバスエに向かうことだけを考える。ただ、そんな中でソウはなかなか立ち上がろうとしない。問題ないと伝えられた矢先だったため、カレルは首を傾げた。


 「発電量が安定するまで待ってほしいかも」


 「どうして?蓄電分があるだろ?」


 ソウは余剰電力を蓄電するシステムを備えている。戦闘時のような激しい運動をしない限り、蓄電池のエネルギーだけで動くことができるのだ。ソウはばつが悪そうに口を開いた。


 「実はほとんど残ってなくて」


 「どうして?」


 「昨日の夜、身体を発熱させるのに使っちゃった。カレルが寒そうにしてたから」


 「それは……そっか」


 出かけた文句を何とか飲み込む。蓄電機能はソウの生命維持において大きな役割を担っている。発熱量を上げるにしても燃料電池の出力を上げるべきだった。しかし、そんなカレルの主張を見越してか、ソウは言葉を続けた。


 「あれ以上出力上げたらうるさくなると思って。丸一日寝てなかったし起こしたくなかった」


 「まさかとは思うけど、水素の残りは?」


 「……1キロを切ってる」


 それを聞いてカレルは頭に手を当てる。今初めてソウがガス欠寸前だったと聞かされたのだ。旅の前にはいつも水素を満タンにする。ここまでエネルギー消費の激しい旅は初めてだった。とはいえ、右足のことでカレルには後ろめたい思いがある。カレルは再びソウの隣に座って一緒に待つことにした。


 「確かに昨日は寒かった。気を遣ってくれてありがとう。ご飯の前に水素充填に行こう」


 「うん」


 「それじゃ、待ってる間に演算回路のロックを新しくしておくか。次は何が良い?」


 過剰なエネルギー消費が自分のためだったと聞かされて怒るに怒れなくなったカレルは、余った時間を有効活用することにする。演算回路のロックとは万が一ソウが第三者の手に渡った際、演算回路への不正な干渉を防ぐための機能である。ソウは少し考えた後に自らの瞳を指差した。


 「虹彩ロックにする」


 虹彩ロックとは誰かの虹彩模様を使って演算回路に鍵をかける方法である。当然、ここではカレルの虹彩が鍵となる。準備が整うと二人は顔を近づけて瞳を見つめ合う。ソウの目が赤く光り、カレルの虹彩を精密にスキャンしていく。それが終わる頃には燃料電池は安定状態となっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る