第5話 愛読書

 検問所の先に広がるナミハヤの街並みは初めて訪れた者を感嘆させるほど美しい。メインストリートを中心に碁盤の目のように道路が交差し、各ブロックごとに建物がひしめき合っている。それらは石造りのデザインで統一されているが、本当に石材が使われているわけではない。一般住宅や宿屋、シンボルの時計台にも国が開発した複合建築材料が用いられている。


 ただし、そんな風景はナミハヤの中心部を外れると一変してしまう。セイと呼ばれる貧困地区は建物のほとんどが正真正銘の石造りであり、主に人間が生活を営んでいる。どこもかしこも手入れが行き届いておらず、すす汚れがこびりつき、縦横無尽にひびが入っている。理由は複合建築材料が高価なことにある。貧しい生活を送る人間の手に届くはずもなく、その弊害として災害の度に犠牲者が出ていた。


 カレルとソウは空気の淀んだ通りを進んでリサットという宿屋に向かう。ナミハヤに二つしかない人間が宿泊できる宿で、イーロンという男が家族と経営している。ナミハヤに滞在する際はいつもここに泊ることになっていた。


 建付けの悪い木製の扉を押すと、ギギギと軋む音が建物中に響く。この音がベル代わりで、フロントに一人の男が出てくる。小太りの男は眼鏡をかけ直した後、二人と顔を合わせて笑顔を零した。


 「そろそろじゃないかと思っていたよ!二人とも元気そうで良かった」


 「おかげさまで」


 「お茶を用意させるよ。ドロシー!」


 イーロンが廊下に向かって声を張る。ドロシーとはイーロンの妻である。顔を出したドロシーはカレルらに会釈をした後、キッチンに下がっていった。それと入れ替わるように、まだ幼さが抜けきらない一人の少女が走り込んでくる。両手を広げてカレルの腰に勢いよく抱きついた。


 「こらジェニー、何してるんだ」


 「旅帰りだから臭いんじゃないかな」


 両手を腰に回され、カレルはされるがままになる。ジェニファーはイーロンの一人娘で、常連客として定期的に顔を出しているためこのように懐かれている。カレルが対応に困っていると、追い打ちをかけるようにソウの視線が背中に刺さる。ただ、ジェニファーはまだ14歳であり、カレルとの年齢差から表立った嫉妬は見せなかった。


 「またお話聞かせてくれる?」


 「もちろん。楽しみにしててよ」


 旅から帰ってくると土産話をする決まりとなっている。カレルが頭を撫でてやると恥ずかしそうに笑顔を見せた。


 「これから仕事の話なんだから邪魔したら駄目だろう」


 「えー」


 ジェニファーがなかなか離れないでいると、イーロンが痺れを切らす。ロビーから追いやられたジェニファーと入れ替わりでドロシーが人数分のお茶を持ってきた。


 「父親として数年後が心配だ」


 「確かにね。同年代の子と比べて外への興味が強いから」


 「そうじゃない。このままカレルに執着されると困る」


 イーロンがロビーの一角にあるソファーに深く腰掛ける。リサットのロビーはそこまで広くないが、年季の入った木製の机と椅子が並んでいる。カレルとソウも向かいの椅子に座った。


 「もう少し大人になれば年の近い男の子を探すさ。僕とは10くらい違うし自然と離れていくよ。今は物珍しい話を聞けるから寄ってきてるだけだ」


 「だといいんだが」


 イーロンが眼鏡越しに意味ありげな視線を送ってくる。ただ、そんな目をされてもカレルは困る。最近は怪我をしてもなかなか治らなくなってきた。若くないことは自分自身がよく知っている。


 「仕事の話をしよう。回収してきた科学書はこれだ。おおむね事前の情報通りだと思う」


 「確認していいか?」


 このままでは文句を言われ続けると思ったカレルから話題を変える。リュックから回収してきた本を取り出すと、布に包んだままイーロンに手渡した。確認を待っている間、ふと横を向くとソウの右足が小刻みに動いていることに気付く。視線に気付いたソウはわざとらしく首を傾げた。


 「確かにこれで間違いない。急いで振興社にコピーを送るよ。原本はまだ必要か?」


 「いや、僕はもう目を通した」


 「ソウちゃんは?」


 「私はまだ読んでる本があるから」


 「ああそうだった。それじゃ報酬を準備するよ。今すぐがいいよな?」


 「もう今日の酒代も残ってない」


 カレルが両手で自らの胴をポンポンと叩くと、イーロンは笑いながら奥に下がっていく。ここまで来るとようやく旅が終わったと実感できる。カレルは用意してもらったお茶に口をつけて息を吐いた。温かいお茶など久しぶりで何気ない味が美味しく感じる。冬の旅は過酷そのものだ。ソウもカップに息を吹きかけた後、一気にそれを飲み干した。


 カレルの仕事は依頼された科学書を国のあちこちから回収してくることである。科学技術振興社という機関から与えられる情報を元に、研究所や貴族の屋敷、さらには国の機関にまで忍び込んで科学書を手に入れる。そして、それらを振興社に納めることで報酬を貰う仕組みだ。


 イーロンはリサットの店主であると同時に振興社との仲介人も務めている。カレルにこの仕事を勧めたのもイーロンだ。振興社が科学書を集めているのは、ひとえに国が科学技術を国民に隠しているからである。この影響はあまりにも甚大で、国民は基礎的な科学知識さえ知らずに生活をしている。振興社の目的はこの状況を打開することだった。


 この仕事で儲けることはできない。常に命の危険と国から追われるリスクを負っているが、得られる報酬がそれに見合っているとは言い難いのだ。ただ、カレルはそれを理解した上でこの仕事をさせてもらっている。人間の仕事にしては目的がはっきりとしていることも理由の一つである。しかし何よりも、新しい知識に触れられる特権が大きかった。


 「待たせた。前回の宿泊代を天引きしてある」


 「ありがとう」


 「これでまたバスエに行くんだろ?」


 「ああ」


 「オーリちゃんによろしくな」


 バスエとはセイにある大衆酒場である。ナミハヤで唯一人間が入店できる酒場で、最も治安の悪い場所との評価も過大ではない。


 「部屋の鍵と、あと預かっていたソウちゃんの愛読書だ」


 「ありがとうございます!」


 リサットに戻ってから表情一つ変えなかったソウだが、イーロンが一冊の本を持ってきた途端に大はしゃぎする。それを受け取ると両手で大事そうに抱えて再会を喜んだ。


 その本はカレルとソウが知り合ったきっかけである。もともとはある貴族の所有物で、その貴族が所有する屋敷の警備を務めていたのがソウだった。ある時、カレルはこの本を手に入れるために屋敷に侵入し、そしてソウと衝突した。ただ、何がそうさせたのか、現在では共同生活を送る関係に落ち着いており、本はソウの愛読書となっていた。


 この愛読書は難解な古代語で記されており、ソウがその解読を試みている。ただ、ソウの頭脳をもってしても進捗は乏しく、始まりからもうすぐで丸二年が経過する。それでもソウは飽きるどころかそんな状況を楽しんでいた。


 「それじゃゆっくり休んでほしい。何かあれば気軽に言ってくれ」


 「ありがとう。ソウ、行こう」


 客室は全て二階にある。カレルは荷物を肩にかけてソウに声を掛ける。しかし、愛読書に心を奪われていたソウは椅子から立ち上がろうとしない。カレルは仕方なく一人で階段を上り始めた。

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