第4話 検問所
日が昇る前から歩き始めたことで、ナミハヤへの到着は予定通り昼前となった。街の規模は国の中では中程度であり、カレルとソウはこの地を拠点にして活動している。街に入るためには検問所を通らなくてはならない。そこではいつものように行列が出来ていた。
「今日はいつもより多いみたいだ」
「ダイクがきっと働いてないんだね」
目を細めたソウがそんな冗談を口にする。ダイクとはナミハヤの検問所で働いている顔見知りのヒトである。街に戻る度に話さなければならないため、友人というわけではないが付き合いは長い。このような検問所は他の街でも見ることができる。目的は街に入る者の管理と区別だった。
列の最後尾にソウ、カレルの順で並び、それからは目の前の様子をぼんやりと観察する。ソウの前には全身が金属骨格の女が立っていて、さらにその前に下半身だけが金属の男が順番を待っている。恐らく両者ともヒトであることは間違いないが、今の時点ではまだ確証が持てない。
「ケイタン人、次」
列の先頭ではダイクが踏み台の上に立って、一人一人の演算回路と体骨格を確認している。その方法はホログラムで空中に文字を描き出し、対象に質問を行うという単純なもの。ケイタン人とはケイ素型演算回路と炭素骨格の身体を持つ者のことをいう。端的に言えば、脳だけを取り換えたヒトである。
この世では人間よりヒトの方が身分が高いとされ、ヒトの中でも体骨格や演算回路の性能によって位が上下する。そして、身分が高いほど街で受けられるサービスの質も高くなるというシステムだ。判定を行うダイクはケイテツ人であり、これが最も平均的とされている。
「これはこれは、ソウさん。いつもより早いお帰りじゃないですか?」
ソウの順番が回ってくるとダイクが途端に満面の笑みを浮かべる。話口調もそれまでと打って変わって丁寧になり、カレルには媚びているように聞こえた。一方のソウは胸の前で腕を組みながら口を真一文字に結んでいる。
「ソウさんのことは分かっているんですが、まあ規則でして」
「早くして」
「もちろんです」
急かされたダイクが慌ててホログラムを操作する。現れたのは様々な関数を組み合わせた非常に複雑な計算式だった。一般的に演算回路の種類は計算能力によって同定される。より早く、より正確な解答を示した者ほど優れた演算回路を有していると評価されるのだ。
「これの検算には防衛用アンドロイドを10体並列させて二日かかりました。過去一番の難易度でしょう!」
ダイクはソウだけでなく後ろで待っている群衆にも通る声で説明する。カレルもその計算式に目を通してみるが、一番始めの六桁の数字の七乗根を求める項で諦める。一方のソウは10秒も経たないうちに小数点以下十桁まで詰まることなく答え、最後はそれ以上分からないと両手を広げた。
「流石です!キョウエン人!お待ちしていました」
ダイクは興奮気味に身分を宣言し、そして恭しく頭を下げる。それと同時に群衆から歓声が上がり、カレルも流石だと拍手をする。ソウの場合はもはや見世物に近い。ただ、称賛を受けているにもかかわらず、ソウはカレルに不安そうな表情を見せていた。
「ではこれを」
街に入る前、ダイクが黄金に輝くバッジをソウに手渡す。サクラの花びらの形をしていて、中央にはキョウエンと彫られている。このバッジを持つ者だけが街の中でキョウエン人として振る舞うことができる。最も高い身分を誇示できるため、誰もが一度はつけてみたいと思う代物だった。
ソウが終わると今度はカレルに順番が回ってくる。顔が合うと同時に、ダイクが馬鹿にするように笑う。失礼な態度ではあるが、そんな扱いにももう慣れていた。
「カレル、お前にはこれまでで一番簡単な計算を用意してやった」
「嬉しいね。いつものは難しいと思ってた」
「解けたら位の高いタンタンだ」
その声に合わせて後方から笑い声が聞こえてくる。ダイクはカレルが人間だと知っている。そのためかソウの時とは違い、面倒くさそうにホログラムを操作する。現れたのは二つの四桁の数字を乗じた後、それを別の四桁の数字で除する式だった。映し出された短い数式を見て、再び後ろから笑い声が上がる。ただ、カレルはこの程度の暗算さえまともにできない。
「5000かな」
「タンタン!」
こうしてカレルの身分が決まる。演算回路と体骨格が共に炭素骨格で構成されている人間はタンタンと呼ばれる。この言葉には侮蔑の意味合いが強く、ソウとは正反対だった。
タンタンにバッジは与えられない。カレルが笑い声から逃げるように検問所を素通りしたところ、口を尖らせたソウが寄ってくる。いつも通り機嫌を悪くしていた。
「どうして皆笑うんだろう!?」
「どうしてって、僕がタンタンだからだよ。あんな簡単な計算すらできない」
「だとしても笑う必要ない」
ソウは与えられたバッジをポケットに押し込んでぶつぶつと文句を呟く。バッジは胸につけていなければその効力を発揮しない。キョウエン人だけが入れる店や宿を利用するにもそのバッジの提示が必要なのだ。カレルはソウを宥めて街の中を進む。
最高位の身分を与えられたソウだが、日常生活のほとんどをタンタンであるカレルと過ごしている。そんな状況に特別な感情が重なることでソウは怒っていた。ただ、街で過ごす以上はこの区別を受け入れなければならない。ソウは昔、わざと計算を間違えて自らの身分を落としたことがあった。カレルの指示で今では真面目に計算をしているが、今日も腹の中は煮え切らないようだった。
「私たちは人間から自我を受け継いだ。それを忘れてあんな酷いこと……」
「忘れたんじゃなくて知らないんだ。誰もそんなことを学んでいない」
「こんなの下劣な差別だよ!」
「そうだね。でも差別を始めたのだって人間だ。そんな人間の自我を受け継いだのだからこうなるのも不思議じゃない」
カレルは決して今の状況を容認しているわけではない。しかし、ヒトが大多数を占めるこの社会で、この差別を問題視する者は少ない。人間が不満の声を上げたとしても、社会にそれを聞き入れる道理がないのだ。優遇されているとはいえ、全てのヒトが裕福な生活を送れているわけではない。
それを聞いてなおソウは眉間にしわを寄せる。カレルにとってその気持ちは嬉しい。しかし、理想論だけではこの世界を生きてはいけない。ソウは折り合いをつけることも学ばなければならなかった。
「カレルの仕事、一体いつになったら形になるんだろうね」
「さあね。そういうのを考えるのは嫌だ。やる気をなくしたくない」
リュックに入っている一冊の本は現在の社会の仕組みを変える直接の力にはならない。それでもカレルが命を危険に晒してまでこの仕事をするのには理由がある。ソウが協力してくれているのもその理由に拠るところが大きかった。
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