第3話 劣等人種

 仮眠を取ることなく歩き続け、再び夜を迎えてようやく二人は休息を取る。ナミハヤまでの道のりに他の街は幾つかあるが、そこで宿泊する選択肢は取らなかった。国の施設に侵入して科学書を盗むという大罪を犯した直後である。追手がどこで目を光らせているか分からず、安全を最優先にこの日は林の中での野営となった。


 焚火を囲んで保存食を温めただけの簡易的な食事を済ませた後、すぐに就寝の準備に入る。火を起こしたまま寝ることはできない。街の外に治安などあったものではなく、国の追手のみならず盗賊にも注意しなければならないからだ。睡眠中に襲われてはひとたまりもない。


 カレルが砂をかけて消火を行う間、ソウが辺りを警戒する。ソウに気付かれることなく接近するなどまず不可能と言っていい。能力は総合して防衛に主眼が置かれている。因果関係は不明だが、貴族に所有されていた頃はその屋敷の警備を担っていたほどだ。


 「大丈夫そう?」


 「多分。だけど、月明りのせいで林の外から煙を見られたかも」


 「心配しなくていい。分かりっこないから」


 カレルはリュックから薄い寝袋を取り出す。軽量かつ保温性に優れているが、この環境下で寒さを凌ぐには心もとない。ソウはまだ念入りに目を凝らしている。


 安全確保においてカレルは全く頼りにならない。先程まで火を扱っていたため夜目に慣れていないだけでなく、月明りが林の中まで届かないからである。一方のソウには光増幅器が搭載されている。それだけでなく、赤外線センサによる熱源の探索や電波の反射を利用した観測も行われる。


 「もういいよ、寝よう。早朝に歩き始めれば昼までにはナミハヤに着く」


 「うん」


 寒さに体を震わせたカレルが先に寝袋に入る。寝袋は二つ用意してあるが、いつも片方は地面に敷いて使っている。ソウはというとカレルの狭い寝袋に背中側から入ってくる。寝返りを打つ余裕がないほど窮屈に身体がくっつきあう。


 「今日も随分と寒い」


 「氷点下5度」


 気温を測定したソウが生々しい数字を伝えてくる。冬とはいえ、夜間にここまで冷え込むことは少ない。明け方にはもっと気温が下がっていると容易に想像がついた。眠れば寒さを忘れられる。そう頭を空っぽにしたカレルだったが、手を握られて現実に引き戻された。


 「今日くらい火を起こせば?私が起きてるから」


 「いや、ソウも休んだ方がいい。それに寝袋に入ってると焚火があってもあまり変わらないから」


 柔らかく暖かいソウの手からカレルに熱が流れ込んでくる。つくづくこの手には感嘆させられる。押すと弱い反発力を与えながら変形する特徴は人間と瓜二つだが、そこらの銃弾やナイフではかすり傷一つつけられない。その他の違いとなれば発汗機能がないことと、紅潮を示さないこと。一目見ただけでソウがヒトだと分かる者はほとんどいない。


 また、ソウは寒暖のような外部刺激を制御でき、体温も厳密に維持することができる。そのため、この季節の野営ではいつもソウの体温を分けてもらっていた。


 「足の調子は?」


 「大丈夫」


 「本当に?」


 今日もソウは右足を庇いながら歩いていた。金属フレームを取り外して中を見てみない限りは何とも言えないが、シリンダの不具合が別の故障を引き起こしていたとしてもおかしくない。ただ、出先では簡単な応急処置はできても精密なメンテナンスはできない。分かったところでどうしようもないというのが実状だ。


 「カレルこそ大丈夫?夕方までに歩行速度が二割落ち込んでたし、今も脈が速い」


 「少し疲れただけだよ」


 ソウの演算回路は優れているため、このようなデータの分析や解析も難なくこなす。ソウが有する共役炭素型演算回路は従来のケイ素型に比べて格段に演算能力が高い。身体を構成するエンプラという材料と合わせて一般的にキョウエン人と呼ばれていた。


 「ソウこそ右足のこともっと気にしないと」


 「私は自分の身体がどこまでの負荷に耐えられるのか正確に把握してる。だけど、カレルが毎回思い付きで困らせてくるから。カレルのことになると力の制御ができなくなって」


 「感情的だなあ。昔は手を握るだけでよく痣をつけられたもんだ」


 「それは忘れて」


 ばつが悪そうにソウが呟く。そんな吐息も暖かいが、すぐに木々をすり抜けてきた冷気に上書きされてしまう。枝が軋む度、反射的にまぶたを開いてしまう。真っ暗な空間は恐怖そのものだが、ソウといると眠りにつけるほどには和らぐ。


 「私は人間の身体が好き。けれど、私自身はこの身体で良かったと思ってる」


 「どうして?」


 「カレルを守ることができるから。どんな未来も自分の手で変えられるって自信に繋がってる。それはとても良いことだと思わない?」


 「どうだろう。僕はどれだけ大金が手に入ったとしても、この身体を変えたいとは思わない。ましてやヒトになんて……」


 「それはお母さんがそう言ったから?」


 「それもある。だけど、一番はこの身体を気に入ってるから」


 「うーん」


 カレルの回答にソウは唸る。普遍的な意見からかけ離れているため理解できないのかもしれない。この世界で人間の身体を好む者など、人間の中でもほとんどいない。誰もがヒトとして生きる優位性を知っているのだ。人間など脆弱で知性の低い劣等人種とされている。


 「カレルがそんなに言うなら、私も一度人間として生活してみたいよ」


 「絶対嫌になるよ。性能が悪いにもかかわらず仕組みが複雑だから。そもそも、誰もそんなことをしたがらないから技術が確立されてない」


 「分かってる。ちょっと言ってみただけ」


 ソウはそう言って笑い、本心を隠す。ソウは時々、変な考え方に固執する。昔から持っている人間への憧れもその一つで、カレルがどんなに説得してもなかなか捨てようとしない。特に問題なのはそれがカレルへの好意に直結していることである。ソウを説き伏せるとなれば、完璧かつ合理的な理由を持ってこなければならない。カレルの頭脳にそんなことはできなかった。


 「もう寝よう。睡魔がそこまで来てる」


 「うん、おやすみ」


 ソウの優しい声を最後にカレルは眠りにつく。ソウが隣にいる生活はもはや当たり前となった。出会う前は一体どうやって一人で仕事をこなしていたのか。そんな昔の記憶はカレルから薄れつつあった。

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