第17話〈学舎の裏庭にて〉


 午後、埜夢のむは残りの部屋の掃除をしていた。

 一通り掃除が終わったら、それを袋にまとめて学舎敷地内の裏庭に置いておく。この後は精霊樹で働く清掃員が引き継いでくれる。


 裏口の扉を開けると、不意に肩をぶつけた。

 驚いて振り返ると、赤い髪の毛が揺れているのが見えた。


「ご、ごめんなさい」


 埜夢は反射的に謝罪し、その後にその相手が燈里とうりであることに気づいた。

 見回りしている燈里と鉢合わせしたのか。


「……あぁ、すまない」


 燈里が、ただそれだけ言って謝罪した。

 だけど、その一言に埜夢は不思議な温もりを感じた。感情を出さない、冷たい精霊だと感じた燈里から出た気遣いの言葉が意外だった。


 埜夢は、燈里の後ろ姿をみて、思わず呼び止めた。

 特に用事がないとわかっていつつも、そのまま背中を見送る気になれなかった。


「……あ、えっと、えっと」

「なにか用か」

「あの……その」


 時間をかければかけるほど、燈里の冷たさは増していくようだった。呼び止めておいて、何を吃っているのかと冷めた視線が埜夢を焦らせる。

 だから埜夢は、思い出した話題をそのまま口走るように発した。


「あ、あの、皆でお勉強会、しようって……」

「……は、は? 勉強?」


 もちろん、思い出した記憶をそのまま発しただけでは燈里に伝わるはずもなかった。

 噛み砕いて、伝わるようにたどたどしく話す。


「えと、ちがう……えーっと……さっき、あずささん達と、が、学舎に働く皆で、一緒にお勉強会を開かないかって、てっ提案が、あって」

「……」

「そ、その……と、燈里さんも、一緒に、どうかなと……」


 目を泳がせながらも、なんとか言葉を紡いだ。

 埜夢は緊張して大量の汗を額に流し、吃り方も汀音ていねの時の比ではない。


「……私が、勉強? なぜ」

「え、えっと……燈里さんを含めた、皆で、一緒にできたら、いいなと……」

「……私はただの警備員だ。教員じゃない。そんなものは必要ない」

「で……でも、僕だって雑用係です。教員じゃないです! でも、ここで働く皆さんで揃って、一緒にやりたいんです。梓さんにも放課後の教室を使っていいと言われました!」

「……」


 埜夢はそう言い切ると、息継ぎもせずに声を振り絞っていたことに気づいた。荒く息をして、手の汗を握りしめる。

 その気迫が伝わったのか、燈里も少し汗を額に、埜夢を見つめた。

 二人が落ち着きを取り戻した頃、燈里はふっとため息をつき、埜夢も我に返った。


「ご、ごごごめんなさいっ、お仕事中なのに、急にこんなこと! め、迷惑でしたよねっ!」

「……あぁ。さっきの話、悪いが乗れない。お前達だけで存分にしろ」


 大方予想はついていたが、やはり断られてしまった。埜夢は興奮も冷めて、肩を落とす。

 だが、その言い方は埜夢が予想していたよりもだいぶ棘のない柔らかいものだった。


「……誘おうとしてくれたことは感謝する」


 そう言い残して、燈里は仕事に戻っていった。

 結局誘うことは出来なかったけど、埜夢は少しだけ温かいものが残ったように感じた。

 勇気を振り絞って良かった。



「よく誘おうと思ったね」


 埜夢がわっと驚く声を、その口を後ろから伸びた手が先に抑え込む。


「むーっ!?」

「……僕が話しかけると、いつも驚くよね」


 ……それが風花ふうかの声だと分かっていても、一人だと思っていたところに突然声がかかると心臓が飛び出るほど驚くのだ。


「いつもどこからともなく現れるのが悪いんです……」

「こんなのでも驚くの?」

「後ろに回り込まれて口を塞がれたら、不審者だと思うでしょ……」

「あー、うーん、確かに」


 風花は行動だけは突飛しているが、その後の判断は割と常識的で冷静だった。

 風花は埜夢を解放し、埜夢も落ち着きを取り戻した。


「あの精霊、怖くないの?」

「こ、怖いって、燈里さんが? ……確かにあまり馴れ合いとかしなさそうだけど、怖い精霊ではなさそう」

「ふうん」


 風花はにわかには信じ難いという表情をしつつも、返事はあっさりとしていて、その話題にもう関心がないことを表していた。

 自分から聞いてきたくせに、飽きるのは一瞬だ。

 だから埜夢も話題を変えて突っ込む。


「そ、それよりまた油を売りに来て、仕事はないの?」

「いや。今日はお休みだよ」

「は?」

「今日は一日お休み。授業ないし」

「え……じゃあなんでわざわざ学舎に来てるの? お昼も控え室にいて、てっきり仕事があるんだとばかり……」

「埜夢と、話してみたかったから」

「……はい?」


 埜夢は聞き取れていたはずの言葉を聞き返した。


「ちゃんと話したこと、ないから。ふうりんのこともあるし、話してみよーって思って」

「そ、それだけのために?」

「うん」

「寮に帰れば、ロビーでも食堂でも会えるのに?」

「うん。帰るの待たなきゃいけないじゃん」


 やっぱり分からない、この精霊……!

 汀音のように自分の常識と同じ認識で接することができる相手ならいざ知らず、根本から何を考えて過ごしているのか分からない風花には緊張感が生まれなかった。

 だからこそ、タメ口での会話にもあまり抵抗感がない。昔からの腐れ縁であるかのように接することが出来た。

 埜夢は、風花の言葉をようやく理解すると、自分の後ろにある袋の存在を思い出した。


「せ、せめて、仕事が終わってからにしてくれるかな。それか、風花も仕事手伝ってくれる?」


 埜夢は自分の近くに置いた袋を指差し、少しい意地悪に言った。


 仕事中にこんな立ち話は良くない。たとえ予定より早く終わる仕事だったとしても、やるべきことは先に終わらせたい。

 しかしただお喋りしに来ただけなのに、偶然居合わせたから仕事を手伝えなんて、よっぽど世話焼きとかでなければできないだろう。


 案の定、風花は少し不機嫌そうに顔を歪めた。


「それじゃあ悪いけど、お喋りはまた後で……」


 埜夢が断って袋を取ろうとすると、もうそこに袋はなかった。

 代わりに埜夢を横切る一瞬の強い風が、袋をさらい、持っていくべき指定の場所にゆっくりと置かれた。

 風が止むと、風花がその袋の前に立って、ストールとスカートを優雅にたなびかせていた。


「これでいいの?」

「あ……うん。ありがとう……」


 瞬く間の出来事で、埜夢はしばし唖然としていた……。


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