第16話〈風のきょうだい〉


 ──考えたこともなかった。

 あんな自由気ままに生きていて、考えていることがよく分からないような精霊が、幼い頃に両親をなくしているだなんて。

 埜夢のむは、風花ふうかが一人ふらりと食堂に来てもくもくと夕食を食べていた夜のことを思い出す。

 今だと、あの時の表情も違って見えた。


 会議室に入り、いつもの手順で掃除を始める。

 窓から、寮の様子が伺えた。


(……風莉ふうりちゃん?)


 風莉が屋根の上に乗って、埜夢が朝に直したグライダーを飛ばしている。

 折れた翼は元通りになったようだが、接着剤で重心が少し狂ってしまったらしく、飛び方が少し不自然だった。

 しかし、風莉は奇怪な動きをするグライダーに興奮気味にはしゃぎ回り、風を起こしてなんとかグライダーを綺麗に飛ばそうとしている。

 埜夢は無事に直って良かったと思う反面、飛ばしづらくしてしまい、悪いことをしてしまったという思いがせめぎあっていた。

 埜夢がいつの間にか、動かしていた手も止めて、窓から外を眺めていると……目の前の窓縁ににゅっと手が伸び、ガララと音を立てて開けられる。


「ひゃわわぁあっ!?」


 ぼうっと外を見ていたせいで、その不意打ちは埜夢を必要以上に驚かせ、思わず腰を抜かして後ずさりした。


「……そこまで驚かなくてもいいじゃん」


 開かれた窓から聞こえ、そこから身を乗り出してきた精霊の正体はおおよそ予想通りのもの、風花だった。

 長いストールがすっと入り、風花が手でパンパンと、自分のスカートのほこりを払っていた。


「どうして窓から入ってくるんですか」

「こっちの方が入りやすいから」

「防犯的に良くないですよね。ちゃんと鍵をかけておかないと」

「えっ、待って待って! それじゃ僕学舎に入れないよー」

「玄関から入ってくればいいじゃないですかっ! 妹さんはそうしてましたよ!」


 埜夢がそう言い張ると、風花はあっと声を漏らす。


「ふうりんの面倒、みてくれたの?」

「ふうりん? ……あ、風莉ちゃんのことですか。まあ、面倒見るというほどじゃなかったですが……」


 事故で壊してしまったおもちゃを直して、ほんの数分の会話をした程度の馴れ合いは果たして面倒を見るに値するのだろうか。

 だが、埜夢の少し濁したような言い方に反して風花は、


「ありがと」ただ一言だけ言うと、埜夢がまだ見たことの無い表情で、柔らかく微笑んでいた。


 埜夢はしばし呆然として、それを見つめていた。


「どうしたの?」

「……いえ、少し意外だなと思っただけです。それより、風花さんの仕事はどうしたんですか? また抜けてきたんですか?」

「別に……」


 埜夢は以前の授業を抜け出してきた風花を思い出し、意地悪そうに聞いてみる。

 すると風花は急に言葉を濁し、埜夢の言葉に不満があるのか今度は風花がじっと埜夢を見つめ返した。


「な、なんですか」

「"風花"でいい」

「はい?」

「"風花さん"は、なんか、ムズムズするから。話し方も普通でいい」

「な、なぜ急に?」

汀音ていねとは、普通に話してるじゃん」

「なな、なんで知ってるんですかっ!?」

「風の噂で聞いたよ」


 予想外のところで汀音の名前が出てきて、思わず声が裏返る。

 風の精霊たる風花の言う「風の噂」は比喩表現なのか、言葉通りの意味なのかは理解できない。


 風花は埜夢が赤面して動揺する様を見ても気にしないのか、気にもとめていないのか分からないが、特にからかうような素振りは見せなかった。


「ふうりんとも普通に話してたって聞いたけど?」


 ほんの数時間前の風莉とのやり取りすらそう話している。

 自分の行動が筒抜けみたいで少し居心地が悪い。


「わ、わかり……分かった、よ。だけど、個人情報をそこまで知られるのはちょっと……」

「……あ、ごめん。もうやらないようにする」


 埜夢が遠慮がちに言うと、風花は割と素直に謝って、それ以上は何も言ってこなかった。

 今までなんとなくよく分からない精霊だと思っていたが、意外とこういう気遣いはできるのだと知って少しだけ親近感が湧いた。



「風莉ちゃん、風花さんの妹さんだったんですね」


 昼休み。いつもは埜夢と汀音くらいしかいない控え室が、今日は風花とあずさも一緒にだった。

 警備として来ているはずの燈里とうりはなぜか控え室に顔を出したことはない。梓は毎回誘っているらしいが、外で休憩をとると言って聞かないそうだ。


 埜夢と汀音が同じソファに座り、風花がその向かいに座る。

 梓は少し離れたところにスツールを置いて三人の様子が見えるような位置で昼食をとっていた。


「時々授業に来てますよね。すごく頭の回転が早くて、私の教えることもすぐ覚えるんです」

「風莉ちゃんもだけど、風花も結構回転早い方なのよ〜」

「そうなんですか! 私よりも風花さんの方が一枚上手かもしれませんね」

「んー、でも僕は勉強嫌いだからなー」


 仮にも担当科目を持っている教師とは思えない発言をして、朝食の残りを持ってきたのであろうラスクの欠片をもぐもぐと頬張る。


「そういえば、埜夢ちゃんも仕事が早く終わって手が空いた時は、私のところで勉強してるのよ」

「わあああぁっ! なんで言っちゃうんですか!!」

「あれ、言わない方が良かった?」

「が、学舎に働く者として、教養がないのは良くないと思っただけで……」


 仮にも学び舎に働く精霊が、四則演算もまともにできないようでは笑い者だ。それがたとえ、裏方で雑用をするだけの仕事に就く者だったとしても。

 埜夢はそんな自分を恥じ、誰も知らないような努力をこっそりと続けていたのだ。


「素敵です! 今度ご一緒させてくれませんか?」

「そ、そんな、汀音さ、ちゃんには、まだまだ足元にも及ばずで……」


 埜夢はまだ敬称の癖が抜けないのか、言いかけた言葉を慌てて言い直し取り繕う。汀音をちゃん付けするのはどうにも慣れない。尊敬する相手をそう軽々しく呼んで良いのか、いつも悩むのだ。

 くすりと微笑む彼女を見ると、埜夢は自分がどう思われているのか気が気でならなかった。

 ……もっとも、汀音の前ではいつも赤面して吃りがちである埜夢は、周りから見ればいつものやり取りと違いなかっただろう。


「ここで働く者同士で勉強会なんてどう? 互いに知識を高め合うことも重要よ」

「いいですね。皆さんとのコミュニケーションの場にもできますし」

「放課後とか、子供達が全員帰った後なら教室を使ってもいいよ。ここなら参考書も存分にあるし、埜夢ちゃんも一人で勉強よりはそっちの方が良いんじゃないかな」

「そ、そうですね。汀音ちゃんが、良ければ……」

「ぜひ! 風花さんもいかがですか?」

「お絵描きしてもいいなら……」


 それは果たして勉強なのだろうか。

 埜夢にとっては遊びの域を出ないものだが、美術を担当科目とする風花にはもしかしたら立派な勉強なのかもしれない。


 ……いや、課題を与えて授業を抜け出したり、唐突に雲を眺めようなどと言ってのけるような精霊がそんなに真面目に美術の勉強を励むだろうか……。


「できれば、燈里さんもお誘いしたいですね」


 汀音がぽつりと言葉を零すと、しんと静まり返った。

 沙良間燈里。彼女が学舎の警備についてから一週間がすぎた。だが、ここにいる誰もが、燈里との距離を縮められていない。

 この控え室にも彼女はいない。


「燈里さん、放課後は残らず帰っちゃうからねぇ……」

「じゃあ、お誘いするならお昼休み中でしょうか」

「うん……」


 そうは言うが、汀音を含めたその場に居合わせた皆が、そう簡単に誘えるものだとは思っていなかった。


「燈里さん、自分が火の精霊なのを気にしてるみたいで……私がその方が抑止力が高いと思って、知人の紹介で連れてきたんだけど」

「何か……燈里さんと仲良くするきっかけを作れれば良いのですが……」


 汀音はそれきり、話を切り出すことはなかった。

 埜夢は、なかなか馴れ合わない燈里にも距離を縮めようと努力する汀音に感心せざるを得なかった。

 苦手なら、無理して距離を詰めなくてもいいのに。苦手意識のある相手とわざわざ接触しようとするなど、埜夢にはとてもできない。何が彼女を掻き立てるのだろう。


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