第15話〈風の女の子〉


 朝はだいたい七時半に起きる。

 着替えたら食堂に赴き、朝食をとる。自室に戻った後は寮を出る十分くらい前までのんびりと朝の時間をすごし、身支度を整えたら学舎へ向かう。

 学舎と寮を行き来する生活になってからはいつもこのルーティーンだ。

 寮と学舎は徒歩で向かってもあっという間につく。多少遅れても時間には間に合えるのだ。


 埜夢のむはその日も、いつも通りの朝を迎え、食堂で朝食をとった直後だった。


「ぶ────んっ!」

「わわわ!」


 曲がり角から走ってきた小さな子供を避けきれず、埜夢と子供はドンとぶつかって尻もちをついてしまった。


「ご、ごめんね。大丈夫?」


 二つに揺れる青白い髪の束が肩から滑り落ちた。そして短いスカートをみるに、子供が女の子だと分かった。

 女の子の精霊は、埜夢の言葉は耳にも届かぬ様子で足元に転がるおもちゃを見つめた。

 鳥を模した組み立て式のグライダーだった。

 ぶつかった衝撃か、片翼の真ん中がポキリと折れていて、その鳥がもう空を羽ばたかないことを物語っていた。


「……ぁ……」


 女の子が小さく言葉を漏らし、小刻みに震えていた。

 不慮の事故で自分の宝物が壊れてしまい、言葉が出ないようだった。

 埜夢はまずいことをしてしまったと焦る。


「ご……ごめんね。その……」

「だ……大丈夫……です……」


 絶対大丈夫じゃない。

 埜夢に向けた表情は今にもわっと泣き出してしまいそうな表情で。

 ……どうしよう。

 埜夢は翼の折れてしまったグライダーを手に取って、折れた部分を見つめた。


「そ、その……なんとか直せないか、試してみてもいいかな……?」

「……直せる?」

「自信はないけど……翼をくっつけるだけならできると思う」


 埜夢はちらりと時計を見た。

 いつも通りの時間に出たから、余裕があるかと言えばそうとも言えない。

 だが、ここで女の子を置いて学舎に向かうということは出来なかった。

 埜夢は女の子とともに急いで自室に戻り、引き出しから残していた接着剤を取り出した。


「これなあに?」

「接着剤だよ。趣味で色々作ってるの」


 埜夢が作った作品の補強や修理に使う、樹脂の接着剤だ。

 これを少量、折れた翼の断面につけ、折れた欠片を繋ぎ合わせた。


「乾くまで少し時間がかかるんだ。申し訳ないんだけど、しばらくここで乾かしておいても……」

「じゃあ、それまでお喋りしよー」

「え、えっ……!?」


 女の子はさも当然であるかのように埜夢のベッドに腰掛け、お行儀よく手を膝の上に乗せて話し出すのを待っている。

 その姿を見て、埜夢はなぜか女の子に既視感を覚えた。

 白い髪は薄く青色がかっていて、同じように澄んだ白色の瞳が埜夢を映していた。

 そして首元には、どこかで同じようなものを見たことがある長いストールがあった。


「……あ、あの、きみ、名前は?」


 だから、つい気になって、そう問いかけた。


詩琉風莉しりゅうふうり! 風莉ふうりでいいよ」

「詩琉……風、莉?」


 想像通りだったが、想像とは違う形の答えが帰ってきた。

 詩琉風莉。「風花ふうか」ではない。

 そりゃそうだ。風花はもっと歳上で、身長もずっと高い。瞳はもっと澄み渡る空のように青かった。

 だとすれば、この女の子は……。


「風花さんの、妹さん?」


 そう聞いてみると、風莉は少しだけ驚いたように目を丸くさせた。


「うん。フゥのこと、知ってたんだ」

「う、うん……でも、どうしてここに?」


 ここは、学舎で働く精霊達……いや、精霊樹の近くで働く、という方が正しい。

 精霊樹の近くで働くが、遠方から通うのが難しい精霊達はこの寮に入って生活する。

 だから、こんな小さな子が寮にいるなんて思っていなかった。

 風花に会うため、寮にやってきたのか、まさか風花と同じように仕事を? 

 学舎で働く風花と共に奉公として出されたのだろうか。


「どうして、って?」

「ええっと、その……風莉ちゃんはどうしてここに来たのかなって……。風花さんを探しに来たの?」

「ううん、遊んでただけだよ」

「遊んで……? じゃあ、この寮に住んでるの?」

「そうだよ?」


 当たり前でしょ、と言わんばかりの表情で見つめるその姿は、初日に手を貸してきた風花があっけらかんと言い放った後の表情とそっくりだった。

 なるほど、確かに血の繋がりを感じさせる。


「……風莉ちゃんは、どこかで……働いてたりするの?」

「うーんとね、麦芽むぎめおばさんと一緒にお皿洗いとかしたよ! あと、食堂のお掃除とか!」

「あ、えっと、そういうのじゃなくて、なんというか……その、僕は学舎で働くためにここに住んでるけど、風莉ちゃんも同じように、どこかの施設で働いているのかなと思って」


 そう言うと、風莉は困ったように首をかしげた。

 埜夢の言っていることがよく理解できていない、そんな風に見えた。

 おそらく、風莉にとっての仕事とは麦芽の元で、簡単なお手伝いをすることだ。

 それはどんな小さな家庭にもある、子供のお手伝い。部屋の掃除をしたり、お使いに行ったり。

 だが、それはあくまでそれは家の中で完結した子供のお手伝いというだけにすぎない。


 だから、埜夢と風莉のちょっとしたすれ違いに、お互いがどう話を切り出すべきか悩んだ。


(……そうだ……後であずささんに聞いてみよう……)


 脳裏に、梓の顔が浮かぶ。

 そして同時に浮かぶ、事務室の光景。


 埜夢はハッとした。

 今、何時?


 時計を見やる。九時十分。

 もう十分もすぎてる!!


「た、大変! 遅刻だっ!」

「ど、どーしたの?」


 突然声をあげて立ち上がる埜夢に、風莉も驚いて立ち上がる。


「風莉ちゃん、ごめんね! 僕もう学舎に行かないと! 乾いたら持ってって良いから! ごめんね!」


 少しばかり罪悪感があったが仕方ない。埜夢は急いで寮を出て、走って学舎の方へ向かった。

 遅刻したとは言え、子供達が学舎にやってくるのは九時半頃だ。前準備のために少し早くやってくるだけにすぎない。

 息を切らして学舎の控え室に到着したのはそれから五分経った後だった。

 控え室には梓だけが残っていて、汀音ていねはもう教室の準備に向かったのか姿はなかった。


「埜夢ちゃん! おはよう、遅れるなんて珍しいね」

「す、すみません! 野暮用で……っ」


 埜夢は何度も頭を下げながら梓の元に駆け寄った。

 梓はそこまで気にしなくていいよと慰めてくれたが、埜夢にとって時間厳守を破ってしまうのはかなり心苦しいものだった。


「本当にすみません……今後は遅刻しないよう余裕を持って行動します……」

「ま、まあまあ。多少の遅刻は誰にでもあるから気にしないで。うちはそこまで厳しくしてないから……」

「そうそう、あたしが止めちゃったのが悪いんだからー」


 埜夢の後ろから女の子の呑気な声が聞こえてきた。

 驚いて振り向くと、さっきまでお喋りしていた風莉がひょっこりと顔を出していた。埜夢のあとを追っかけてきたのだろうか。


「風莉ちゃん!」


 梓が驚いて声をかけると、風莉は項垂れる埜夢の前へ庇うように降り立った。


「この精霊ひとは、あたしのお願いを聞いてくれてただけだからー」

「……そっか、分かったよ。風莉ちゃんは今日はお休みだったっけ?」

「うーん、どうしよーかなー。学舎来たから、お勉強? でも今日はおもちゃで遊びたいからなー」

「なら、今日はそのままお休みで大丈夫よ。もし何かあれば、私は事務室にいるから」

「はーい」


 風莉は窓を開け、当然であるかのように飛び出して、自分の風でそのまま飛び去ってしまった。

 風の精霊にとっての出入口は窓なのだろうか。


「……あの……」

「風莉ちゃんの相手をしてくれてありがとね。寮を出る時に捕まっちゃったのかしら?」

「ええと、その……持ってたおもちゃをぶつかって壊してしまって……僕の方で直せないかと思って……」

「そっか、そういうことだったのね。わざわざありがとうね」

「……あの、風莉ちゃんは風花さんの妹さんなんですよね? どうしてあの寮に?」


 埜夢が気になっていたことを梓に聞いてみる。

 働きに来る精霊が入るはずの寮に、どうして子供がいるのか。なにか特別な事情でもあるのだろうか。

 梓は腕を組み、少しだけ困ったようにうーんと唸った。やがて話す決心をしたのか、腕組みをといて微笑んだ。


「……そうね。二人が小さい頃から訳あって私のところで引き取っていてね、二人にとっては寮が本当のお家になっているのよ」

「風花さんが学舎で働くために、寮に来たのではなく?」

「うん。前からここにいて、うちが学舎を建てて規模を大きくするって言った時に、風花をここで働かないかって誘ったの」

「……そうだったんですね」


 以前に梓から紹介された時「うちで預かっている」とは聞いていたが、仕事としてではなく家族として預かっているとは思っていなかった。

 だが、わざわざ幼いうちに二人を引き取ったということは、面倒を見てくれる預け先が他になかったということでもある。

 それが意味しているところは、おそらく……。


「風花も風莉ちゃんも同じ寮に住む仲間だから、良かったら休みの日とかに一緒に遊んであげて。きっと仲良くしてくれるから」


 歳の近いお友達が今までいなかったから……と、残して梓は事務室へ向かった。

 埜夢も今日の仕事を始めなければ。

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