第14話〈汀音との休日〉


「え、えっと、とりあえず、何か淹れましょうか? コーヒーとか、飲みます?」

「そうですね……せっかくですし、いただいてもよろしいでしょうか?」

「あ、は、はいっ! 少し待っててくださいっ」


 コーヒーと言ったが、コーヒーミルで豆を挽いてから……という本格的なものは持っていない。すでに粉となったものをドリッパーに入れて抽出するタイプのものだ。

 埜夢のむの実家は山が多いから、コーヒー豆の産地も多い。実家にいた時は焙煎するところから始めることも何回かあったくらいだ。

 だが、寮にいるとそういった手間のかかるコーヒーはなかなか淹れられない。こっちに来てから、埜夢はすでに粉状にしてもらったものを包んで郵送してもらっている。


 埜夢は少し窓を開け、ほどよく香りが部屋を巡るようにした。


「素敵な香り……。コーヒーはしばらく飲んでいませんでしたね」

「普段は何を飲まれるんですか?」

「家では、緑茶や紅茶が多いですね。敷地に茶園がありますので」

「ちゃ……茶園ですか?」


 埜夢は、一面に広がる緑の茶園を想像する。


「茶園といっても、小さなものですよ。ほとんど趣味でやっているようなものです」


 一体何を基準にしての「小さい」なのかが分からなかったが、そうこう話しているうちにコーヒーの準備ができ、テーブルの上にコーヒーとミルク、角砂糖を添えておく。


「それから、お菓子もですね……」

「あ、そうでした、お菓子といえば。これ、お土産です。良ければ一緒に頂きませんか?」


 汀音ていねが手持ちの鞄から一つの包みを取り出した。中には、手のひらサイズで食べやすいサイズのカップケーキが透明の袋で個包装されていた。

 埜夢は汀音が懐から取り出したケーキを見て、ひゃあっと驚きの声をあげる。

 カップケーキだなんて、オシャレなお菓子。鉱山で育った埜夢とは縁遠い、若者のお菓子。しかも手のひらサイズだからか、十個くらい出てきた!

 よく見ると一個一個色が少し違っていたり、トッピングがのっていたりして非常に凝っている。


 埜夢はとても馴染みのない高級そうなお菓子を前に、両手を前に出し、首が勝手に横に振ってしまった。


「こ、ここ、こんな、たか、高そうな、ケーキ、ぼ、僕には、とて、も」

「ふふ、高くなんてありませんよ。家の近くの市場で買ってきたんです。私のお気に入りですよ」

「で、でも……いい、んですか……?」

「もちろんです! そのために用意してきましたから」


 汀音が優しく微笑みながら、広げたカップケーキのひとつを掴み取った。

 慣れた手つきで結びの紐を解き、袋からカップケーキを取り出した。

 手のひらサイズだから、フォークも使わずに手でカップを外し、そのままがぶっとかぶりついた。

 その様子が意外で、埜夢は少しぼうっと汀音の様子を見つめていた。埜夢の想像では、どんな小さな駄菓子もフォークとナイフを使って上品に小分けにするものだと思っていたからだ。

 埜夢は汀音が用意したカップケーキに視線を移し、その中で濃い茶色のカップケーキを手に取った。

 包みを開き、カップケーキにおそるおそるかじりついた。


 柔らかいスポンジに、時々チョコチップの硬い食感が入り交じる。

 鼻を突き抜けていく、甘く時々苦味のあるチョコレートの香り……。

 ほっぺが落ちそう、というのはまさにこの瞬間のことを指すのだろうか。


 硬い駄菓子が多かった埜夢にとってその食感はたまらなく、新鮮だった。


「おいひいです……! ほんなの、はひめてです……」


 お行儀が悪いとは思いつつも、埜夢は口にケーキを詰め込んだまま感嘆の声を漏らした。


「それなら良かったです! 色んな種類のを買ってみましたので、色々召し上がってみてください」

「は……はいっ」


 こんなにおいしいケーキをいただいていいんだろうか。田舎育ちの自分には不相応ではなかろうか。……そんなネガティブな感情は、チョコの甘い匂いとコーヒーの香ばしい匂いに部屋を埋め尽くされ、すっかり忘れ去られてしまった。


 苦いコーヒーがほどよい口直しとなり、甘さと苦さのバランスがよく取れて埜夢達の舌を飽きさせなかった。


「埜夢さん、あのテーブルに飾ってあるお人形はなんでしょうか?」


 汀音がコーヒーに少し口を付けた後、窓の横にある机を指して言った。

 机には小さく並べられた本と、その横に土で作ったような置物があった。


「こ、これは埴輪です。その、実家で作ったものを、持ってきたもの、です」

「埜夢さんが作られたんですか? 近くで見ても?」

「え? えと、はい、どうぞ」


 汀音が立ち上がって近くに寄ろうとすると、埜夢もあわせて立ち上がり、汀音より先に埴輪に手を伸ばして腕に抱え持った。

 大きさ自体は大したことなく、その気になれば片手でも持てるくらいの大きさだ。

 土で出来ているため、柔らかいぬいぐるみのように形を少し変えて鞄に押し込むという荒業は効かなそうだ。荷物として持ってこれる最大のサイズ、という具合だろうか。


 手に持つ埴輪を神妙そうに眺められると、なぜだか自分の顔を見つめられているようでムズムズしてしまう。


「……素朴な作りですね。私の住むところだとこういったものはあまり見ませんから、新鮮です」

「ない……んですか?」

「そうですね。潮風に当てられて痛んでしまいますから……」

「あっ……そっか。そうですよね……」


 汀音の住む箱庭は、第二の箱庭〈オケアノス〉だ。

 箱庭の半分近くが海で満たされていて、それ以外の場所にも川や湖が数多く存在している。住む精霊達も多くは水の精霊だが、水気の多い場所を好む木の精霊も少なくない。


「……でも、こんな素敵なものを作れるなんて。そういえば、砂のお城もすごくお上手と聞きましたしね」

「あ、あぁ、あはは……」


 子供を前に大人気なく本気を出してしまった砂のお城。子供達からの評判は良かったが、埜夢は若干苦笑いで応えた。


「これ、あずささんにアピールしてみましょう! 埜夢さんは手先が器用だって」

「えぇえっ!? そ、そんな、恥ずかしいですっ! こ、こんな、埴輪作るくらいしかできないのに……」

「何言ってるんですか! 埜夢さんはもっと自信を持つべきです! ものづくり繋がりで、風花さんとも親睦を深められるかもしれませんよ」


 なるほど、風花は学舎では美術の担当だ。梓によると、美術の時間で絵を描いたり歌を歌ったりしているそうだ。歌は埜夢も寮で聴こえてきたことがある。

 ものを作る趣味で共通している風花とは話が合うかもしれない。

 ……だが、風花とは同じ寮に住んでいるのに、今日までほとんど接点がない。


「……まぁ、そうですね。今まであまり話したりしてませんし……」

「思えば、私と埜夢さんも仕事での関わりしかないですね」

「そうですね」


 梓とは休日でも時々交流がある。埜夢自身も歳の離れた梓相手だとさほど緊張せずに話せる。


「……今日、こうして来てみて分かりました。埜夢さんの知らないことがいっぱいありました。良ければ今後も、こうして休みの日に遊びませんか」

「遊び……ですか……?」

「休日に限らず、仕事終わりでも。仕事仲間としてだけではなく、友人として交流を増やしたいんです」

「ゆ、ゆうじん……僕と、ですか?」


 埜夢は恥ずかしそうに、持っている埴輪に顔を埋めるように俯いた。

 埜夢は自分の容姿にあまり自信がなかった。汀音のように白い肌はないし、なによりそばかすのある顔は自分でも気にしていた。髪は最低限の手入れしかしていないから、ツヤはないしサラサラしていない。服装も、女の子らしいスカート服はひとつも持ってない。

 汀音の「友人たりえる要素」が自分には何もないのだ。

 今日、こうして部屋に招いてお菓子を楽しむことができたのも、汀音の方から声をかけてくれたからだ。そうでなければ、こうして同じ部屋にいることなんて叶いもしなかっただろう。


「はい。でも私達だけじゃありません。風花さんや燈里さんとも、友人として一緒に遊べる仲になりましょう」

「……」

「なので……今日から"埜夢ちゃん"とは、友人です!」

「…………〜〜ッッ!?」


 思わず、俯いていた顔をあげてしまった。だから、かああっと気はずかしさで耳まで赤くしていた顔を汀音の方に向けてしまったのだ。

 思ったよりも近くに汀音の顔があることに気づいて、どくんと心臓が跳ねるような感覚を覚えた。額に汗が流れる。

 聞き間違いだと思った。梓からは最初からそう呼んでいたから慣れていた。だが、呼び方を改めるのは……。


「私のことも、良ければ呼び捨てで構いませんよ」

「あ、あの、その、えとえっと、それは……僕のことは、かま、かまいませんのでっ、ぼくなんか、そんな」


 後ずさりした体が、後ろからとんと押されたような感覚を覚えた。

 違う、壁だ。もともと窓際にいたから、壁との距離は目と鼻の先だった。

 汀音は鼠を追い詰めた猫のようにいたずらに笑いながら、埜夢の方へゆっくりと歩み寄る。


「ぼくなんか、汀音さんには……とても」

「私とは、友達になれませんか?」

「うぅぅ」


 こんなにも仲良くしたいと歩み寄っているのに、貴方はそれを拒むのか? そう汀音は言っているのだ。……なんて意地悪な言葉なのだろう。

 埜夢は、自分なんかが汀音のような雲の上の存在と友達になるのは相応しくないと思っていた。だが、汀音にそう言い詰められてしまうと、返す言葉が思い浮かばなくなってしまう。


「汀音さ……てい、ていね……ちゃん」

「きゃあ! ありがとうございます!」

「ふぎゅっ」


 埜夢が絞り出した言葉に汀音が悲鳴をあげて喜び、勢いのまま埜夢を抱きしめた。

 埜夢は頭の上からポンと煙が出たように一瞬で気恥ずかしさが込み上げ、全身から力が抜けていった。

 汀音がそれに気づいて、埜夢の後ろに回した手を慌てて離して前に添えた。

 埜夢が持っていた埴輪は床に落ちることなく、汀音の腕の中に収まった。


「危なかった、私の意地悪で埜夢さんの作品を壊しては大変ですから」

「い、いじわるだったんですね……」

「ふふふ、つい。埜夢ちゃんはこうでもしないと、謙遜して離れていってしまいますから」

「はぁあ……ずるいです……」


 敵わないなぁ、と心の中で呟いた。


 へたり込む埜夢を見て、汀音はくすくすと楽しそうに笑っていたが、大事そうに抱えた埴輪を机の上に戻した様子を見て、悪意のある笑いではなかったもだろうと理解できた。


 時計の針が四時をすぎた頃、汀音は手荷物を整えて帰ることとなった。

 お菓子を食べたり、コーヒーを飲みながら他愛のない話題で盛り上がり、汀音とも距離が縮まったように感じた。


(……そういえば、なんで家に遊びに来たいって言ってたんだっけ?)


 思い出そうとする埜夢の脳裏には、眩しくなるほどの笑顔で歩み寄る汀音の表情ばかりがよぎった。今日はもう、あの顔が焼き付いて離れない。

 自室で一人、誰もいないのに思い出してかあぁと耳が熱くなったのだった。


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