第6話〈1日目を終えた夜〉
二時頃になると、下校のチャイムが鳴らされる。
どのように鳴らされているのかと思ったら、
子供達が帰ったら、最後に教室の掃除と点検を行って今日の仕事は終わりとなる。
初日から、色々なハプニングがあったような気がする。仕事の内容は大変ではないけど、少しばかり気疲れしてしまった。
「あら、
埜夢が掃除をしている教室に、開けていたドアから
荷物を持っていて、これから帰るというところだったのだろう。
「掃除中でしたか?」
「あ、はい。ここが終わったら、帰って良いって言われたので……」
「じゃあ、私も手伝いますわ」
「え? だ、大丈夫ですよ。あとは黒板だけです、し……」
「そういう訳にもいきません。埜夢さん一人で頑張っているのに、私だけ帰るなんてずるいじゃないですか」
汀音はすでに荷物を置いて掃除道具の片付けをしていた。
すでに動いている汀音を無理やり止める訳にもいかず、埜夢は諦めて残りの分を綺麗にした。
身長の低い埜夢には黒板消しは大変な作業だったが、踏み台を使ってなんとか終わらせることができた。
「ありがとうございます」
「これくらいなんてことありません。仲間ですから!」
自分の仕事を手伝わせてしまったのに、汀音は一切愚痴を漏らさず完璧にこなしていた。
「汀音さんはなんでもできて、羨ましいな……」
微笑みかける汀音が目を丸くするのを見て、心の声が漏れてしまっていたことに気づく。
埜夢は慌てて口を手でおさえるが、時すでに遅し。
「あ、その……」
もしかして、失礼なことを口走ってしまっただろうか。
埜夢が言葉に迷っていると、汀音がくすっと小さく笑った。
「埜夢さんだって、色んなことが出来るじゃないですか」
「え?」
「早くて丁寧な仕事は、誰もが出来るものではありません。埜夢さんだって立派に仕事できていますよ」
「でも……僕は汀音さんのように文字と算数両方はできませんし、ましてや子供達の前で教えるなんて……」
「私にだって、苦手なことはありますよ。肉体労働はできませんし、それに……掃除は大の苦手です」
「そうなんです……か?」
「だから、今日の埜夢さんの働きを見て、私も少し嫉妬してしまったんです」
そう言う汀音の表情は、朝出会った時のそれとは違っていた。
自分の持ちえない分野で活躍する汀音に、埜夢が感じていた羨望と嫉妬が、汀音も同じように埜夢へ感じていたのだ。
「……すみません。僕ばかりそういう思いでいました」
「あはは、私も少し本音を出したら落ち着きました。やっと埜夢さんとの壁がなくなった気分です」
「そうですね。汀音さん、明日からもよろしくお願いします」
荷物を整え、汀音と共に学舎を出た。
汀音は自分の家から通っているらしい。思えば、汀音の昼食も持参の弁当だった。
寮暮らしの埜夢は学舎を出てすぐ寮に着いてしまうため、汀音とはすぐに別れることとなってしまった。
「できれば今度、埜夢さんのお部屋も見せてください。私の家でも構いませんよ!」
別れ際、汀音はそう言っていた。
初日とは思えないほど、早くも同期と仲良くなってしまった。
嬉しいことだ。帰ったら早速兄達に報告しよう。
「……あっ、荷物!」
今日学舎の方に届くと言っていたのをすっかり忘れていた。
寮の目の前まで来て、すぐに踵を返して戻ろうとすると、料理長の
「荷物なら玄関にあるよぉ」
麦芽は窓から顔を出して、それだけ言うとまた戻ってしまった。
(なんで古雲さんが僕の荷物を把握してるんだろう……)
麦芽の言葉通り、玄関にそれらしき荷物が置かれていた。
先に部屋へ戻って手持ちのバッグを下ろし、家からの荷物を二往復かけて部屋へ運び入れた。
中は生活用品、本、趣味の道具等が小分けされて詰められていた。
「これで、今日から暇にならないで済むかな……」
と言っても、その日は荷物の整理に明け暮れてしまい、終わる頃にはすっかり日が沈んでいた。
早めに食堂へ向かい、夕食をとっていると埜夢が席についた頃に見知った顔の精霊が食堂にやってきた。
(あっ……
風花は、長いストールだけは昼間と同じで、丈の長いシャツと半ズボンというかなりズボラな服装だった。
(やっぱり、寮暮らしだったんだ)
埜夢の部屋に無断侵入していた程度だから、大方予想はついていた。
ふらふらと歩いている顔は疲れているようには見えなかった。多分、何も考えずにぼうっと歩いているのだろう。
「……」
眺めていると、風花と目があった。
しかし、埜夢のことを一切気にとめず夕食受け取りのレーンに入っていった。
荷物運びを手伝ってくれた割に結構素っ気ない。
その後、風花は埜夢のいるテーブルのひとつ隣の机に向かい、埜夢とも目線を合わせず一人で静かに食べていた。
(……意外と静かだなぁ)
そう思う埜夢も、相手にグイグイ行けるタイプではない。一人で食べる風花に声をかける勇気は出なかった。
夕食後、部屋の片付けが終わってようやく落ち着いた埜夢は、部屋の換気のために窓を開けてベッドに座り込んだ。
窓から入る気持ちのいい風を受けながら、お気に入りの本を開く。
埜夢は、外から入り込む風とともに運ばれてくるかすかな声に気がついた。
最初は風が鳴っているのかと思ったが、誰かが歌っているようなメロディがあった。
「……ーーー♪」
開けていた窓をそっと広げて、外に耳を傾けてみる。
澄んだ声が、風にのせられて夜空に舞い上がる。
(風花さんだ!)
埜夢は、しばらく聴いて風花のものだと気づいた。
昼間の自由奔放な様子や、食堂での無気力な振る舞いを一切感じさせない、生き生きとした優しい歌声。
即興で歌っているのか、時々メロディや歌詞が迷っている。
学舎では美術を担当していると聞いたが、それをなせるだけの歌声は確かにあるようだ。
この歌声を聴いて、風花がただ無神経な精霊ではなく本当に自由に過ごしているだけなのだと改めて感じた。
程よく冷たい風と歌声が気持ちよく、窓にもたれながら本を開いた。
本のページを3頁めくった頃、ずっと聞こえていた歌声がぶつんと途切れた。
歌うのに飽きたのか、それとも他の部屋の精霊にうるさいと怒られてしまったのか分からないが、その後再び歌声が聞こえてくることはなかった。
「遠くで聴く分には良いんだけどな」
いつの間にか風もやんでいて、埜夢は窓を閉めた。
すぐに明日の準備をはじめ、その日は早めに眠りについた。
明日も、自分なりに頑張れるように。
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